えーっと、感情的にどうのこうのというのではなくて、むかしから「死」について、死ってなんだろうなぁと思ってます。普段あまり会話にでてくるテーマでもないので、あれこれご本から ちまちまとそれにまつわる文章を見つけては、ふんふんと読んでいます。ここ数年では、終活ということばが世間様にも馴染んで、エンディングノートとか樹木葬とか墓じまいとか、TVとかでも目にするようになったけれど、これは、なんていうか死の前後の「こちら」での物理的なお話なんですよね(それも興味深くはあります)。
「どうやったら死ねるの」と問う自殺志向の若者に、ホームレスまがいの老人が「生きてたら死ねる」と答えてるご本があって、そのセリフが一番好きです。たしかに見渡しても不死の人は、周りにおりませんのでねぇ(隠れて存在するのかもしれないけれど)。
人は必ず死ぬんだから 生きてたらええねん、というのが好きです。
「このあと どうしちゃおう 著:ヨシタケ シンスケ」を見つけました。ヨシタケシンスケさんは、書店で平積みされていた「もうぬげない」をなにげに手に取って即買いして以来、大好きな作家さんです。そのヨシタケさんが死についてのお話を書いている! ということでさっそく読んでみました。主人公の子供がおじいちゃんが死んだ後、布団の下から ”このあと どうしちゃおう” と書かれたおじいちゃんのノートを発見するというお話。生まれ変わってなりたいもの1位に、”お金持ちに飼われているネコ”というのがあって、かねてからの私の野望と重なってて 笑ってしまいました。イジワルなあいつがいく地獄 は、”いつもぎゅうぎゅう”とか” ”チクチクする制服”とか、とにかく面白い。”このあとのよてい” は私がなんとなく思っているのと同じだなぁと安心したり。
あ、似たような本、持ってたなぁと、ごそごそと書棚をあさりました。「死にカタログ 著:寄藤文平」です。JTの「大人たばこ講座」という広告のイラストとか書いてる人で、イラストもなじみ深くて好き。これはむかぁし書店でふと目について。このタイトルが書棚にあると、訪ねてきた友人たちがみんなして「なるちゃん、大丈夫? なにか悩み事?」と心配するので、人目につかないところに所蔵しておりました。内容は、いろんな国、文化、宗教の死生観をまとめたもので、すごく面白い。どこで死ぬのか、死因は何か、とかの統計とか、歴史的人物はじめ著名人の死がどんなだったかとか、こちらとあちらを区切る考え方とかがいろいろ書かれています。ただ、葬儀のことは、そこまで書くと大変ということで割愛。
葬儀については、こないだの「死と身体 著:内田樹」にくわしく書かれてました。たしかに、そのテーマまで盛り込むとえらいことになるだろなぁと。
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葬礼は生物的に死んでから、儀礼的に死ぬまでの期間になされる。そのあいだ、死者は「死んでいるけれど、死んでいない」状態にある。人間の生きている世界と、人間がけっして触れることのできない世界の中間。人間が踏み込むことができるようなできないような、あいまいな領域-に死者がいる。「あいだ」があることでコミュニケーションが成立する。
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で、このあとに、死者とのコミュニケーションのことが書かれていて
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「死者の声はわたしにも聞こえる。でも、何を言っているのかわからない。」とするもの。「死者がこう言ってる」と通訳するようなことは、結局は話す本人が、聞きたいこと、話したいことでしかない。死者の本源的な他者性を毀損しないため、「死者に代わって語る」資格を自分に授与してはならない。残響に耳を傾ける、立ち尽くす。死者に代わって語る権利はぼくたちにはない。でも、だからといって死者たちの声に耳を傾けることを止めるものでもない。人間が「死者の声を聴く」というのは、想像的な境位でのことで、人間にしかできない。
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「死と身体 著:内田樹」は、難しい漢字がたくさん使われていて、理解しきれない箇所もたくさんあったのだけど、わかるところはすごく面白かったです。
以上、本日はヨシタケシンスケさんのご本から、芋づる式に3冊のご本の記事となりました。