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20250926(2)

反日の闘士になりたかった。

 

抑圧されている人たちを助けて、抑圧している人たちに罰を与えるということを欺瞞のないやり方で貫きたかった。

 

やろうやろうと思っているだけで、何もしていないのに、本当に疲れてきた。

 

僕は目の前のあらゆる抑圧・搾取・不正義に怒りを感じることができるようになった。それは何よりも自分の搾取者性・抑圧者性に向き合うことだった。会社の人と接していても、旧来の友人と話していても、怒りだけに支配されていた。僕は会社の人を、友人を、自分を責め続けた。楽しそうにふるまいながら、人を、自分を、加害者だ搾取者だと責め続けた。それに、その怒りを行動に移せない自分が憎かった。怒りを表明できない自分が憎かった。そこはいつもブレーキがかかっていた。こんなことはずっとは続けられないと自分でもわかっていたんだろうか。貫徹できないならやめるべきだった。そして、今、貫徹できないことが明らかになりつつある。

 

使命のためだけに生きると決めた人たちがいる。革命党派に限らず、様々な場所でそういう人たちがいることを僕は知っている。

 

僕はそうはなれないということが明らかになりつつある。

怒ることに疲れている。抑圧に怒ることを習慣化していくと、怒りはどんどん身近に向かっていく。友人はお前は怒りを見当違いの方向に向けているとたびたび指摘してきたが、それは間違っていないだろう。今、僕がもっとも怒りを覚える対象は中産階級だ。感情的には資本家など放っといて中産階級を殲滅したいくらいの気持ちでいる。何より自分が一番憎い。資本家に怒りを向けると自分を許す口実を与えてしまうようで嫌だった。あらゆることに怒っていると、そうなる。ダメだとわかっていても、そうなる。みんなそうはならないんだろうか。

 

もう疲れた。俺には反日の闘士は無理だった。

 

ブルーハーツとかが好きで、それなりにデカい家住んでて、子供とかいたりして、立憲民主党共産党に投票して本当にたまにデモに行ったりする、はっきり言ってクズだと思うんだけど、俺もそういう人間になるしかないんだろうか。僕は自然に生きたらそうなる。だからクズだと罵るしかなかった。参政党や維新や国民民主に入れるようなやつよりも一番に悪なのだと言う必要があった。自分がそうなってしまいそうだからだ。僕が参政党や国民民主的なものを心から支持するなんてことはあり得ないのだからその心配はしないで済んだ。資本家には当然なれるはずもなかった。だからブルーハーツ的なものを徹底的に叩く必要があった。自分がなりえる悪だからだった。だが、それももう限界を迎えようとしている。

 

はっきりさせなくてもいい

あやふやなまんまでいい

僕達はなんとなく幸せになるんだ

 

悪だ。

 

だが、悪を引き受ける勇気をそろそろ持つべきなのかもしれない。

 

このままだとどこかで限界が来る。

ブルーハーツとかが好きで、それなりにデカい家住んでて、子供とかいたりして、立憲民主党共産党に投票して本当にたまにデモに行ったりする、はっきり言ってクズ野郎の人生。

でもそういう人生を歩んだ方が、今のままでいるよりもずっと抑圧されている人のためになるんじゃないか?

 

怒りで動くより、なんとなく幸せになった方がいいんじゃないか?

 

ごめんなさい。僕は今、大事なものを諦めようとしている。そっちに行ったら、本当に苦しんでいる人と連帯できなくなる気がする。怒りを失ったら、頑張れなくなる。

 

怒りがなければ頑張れないほど、僕は弱い。

 

どうすればいいんだよ。

 




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