頼まれていた2ページ漫画が描けずにうわあああああああああ!!!! ってなり、例の贖罪活動(こう言い替えてもいいだろう)もうまく動けていないこともあって、自分を責め続けていた。
自らの特権性をもっと反省すべきなのではないか。交際相手が欲しいなどという欲望は全く捨て去るべきじゃないのか。今まで僕が恋愛対象の女性にしてきたことはすべて加害ではなかったか。結構彼女たちはこのブログを見ているので、それを言うのも罪悪感があるな。
僕はあんまり性欲や恋愛については抑圧しない傾向にあるために、もっと特権性を反省すべきだという気持ちになると途端にこういう気持ちになる。
ところで今日はTwitterでストライクウィッチーズの話題を見た。僕が高校時代に好きだったアニメだ。あんなのが好きだったくらいだから、あの頃は自分の特権だとか罪だとかに思いを及ぼすことはなかった。今、僕が考えなければいけないのは、特権とか罪に自覚的でない人たちのことだと思う。そのことを徹底できていなかったからひらマンの課題にあんなネームを出してしまうのだ(たぶん問題の核心はそこではないが)。
みなが自らの特権性を自覚できるようになるのはどうすればよいか、ということについて、大道寺将司は「被抑圧者であると同時に抑圧者であることの確認」が大事なのだということを一貫して主張していた。被抑圧者であることも忘れてはいけないし、被抑圧者に連帯しなければ、抑圧者であることをわかってもらえないのだというのだ。
昨日、いつも通りその話をしていたら、「いや、お前できてないじゃん」と言われた。抑圧者としての自覚が足りないという話をされるのかと思いきや、伝えられたのは、自分の被抑圧者性を認めてないじゃないか、ということだった。たしかに、僕は昔からいじめられる方で、コミュニケーションが苦手で、交際相手ができないなどといったようなことでコンプレックスが強く、抗うつ薬と睡眠薬がなければ生活が難しかったりする。ちゃんと自分自身社会の構造に苦しめられているということを認めなければ連帯だってできないぞ、ということだ。
ほんとうにそれでいいのかなあ。それは自分を免罪していることにならないか。今求められているのは自分がこれまで特権を貪ってきたことへの反省なのに、そんな態度でいいのだろうか。きっとまだまだ反省すべきことがたくさんあるのだ。
精神的に辛いのはたしかだ。何もうまくいかないし、漫画も描けないし。漫画を描くことだって反省の一部だったりする。僕がこれまで漫画に対して取ってきた態度が本当に正しかったのかを知るためだったりする。実際、反省すべきことが次から次へと出てくるのだ。そこでも反省を求められている。今の苦しみのもとはどちらかといえば、漫画の方面である。漫画が描けない。めんどくさい。やりたくない。自分が漫画が描けないということを認めたくない。ひどい漫画を描きたくない。このままでは漫画の世界で何も生み出せない。その事実が怖い。だが、向き合うしかない。