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20250715

漫画の締切が迫っているために、簡潔に書く。

 

昨日は友人から離党と自己批判を求められて議論をしていた。

 

痛いところをたくさん突かれてしまったわけだが、クリティカルな批判に対する差し当たっての考えを書き記しておく。なお、反論とも限らない。

 

・拙速すぎるのではないか。もっと外の立場から話し合って段階を踏んでから入党すべきだった。

 

拙速すぎるのは全くその通りで返す言葉もない。焦っていたし、自分の中の無意識に突き動かされていた側面も大きい(この無意識についてはおとといの記事に書いた)。

 

・反差別・反抑圧のためだとして、入党により参政党の差別に加担するという手段は間違っている。間違えないやり方で対話しようと頑張っている人もいる。周囲からの信頼を失う卑怯極まりない行為だ。

 

僕は前述の通り衝動で入党した。しかしながら、違う立場として対話しに行って、いい結果になるようには初めから思えなかった。それに、これは自らの怠惰を告白することになるが、入党くらいしないとやる気が出ない気がした。

 

これまでの僕の態度とは、たとえばこのようなものだった。

 

女性を攻撃するいわゆる「弱者男性」に対しては「気持ちはわかるけども実際男女差別はあるのだから間違っているよね」と少し引いた立場でみる。一方で過激な要求を繰り返す「フェミニスト」の一部に対しては、「辛かったのはわかるけども、公平さに欠ける要求に従う必要はない。礼儀が欠けているのは相手なのだから」などと都合よく「礼儀」を持ち出して寄り添おうとしてこなかった。どこか怖いと思って逃げていたところがあった。その態度こそがまさしく特権的であったと思う。

 

このかつての僕の主張はそんなに「間違っている」わけではないと思うし、実際、なんとなく「リベラル」な多くの人が取っている立場だろう。しかし、現に苦しんでいる人のうち、「差別」をせず「公平さ」を保ち続けられる人がどれだけいるだろうか。もし、そんなことができるのだとしたらそれは既にひどく抑圧されている人ではないのではないか。

 

むしろ苦しんでいる人を抑圧してきたのは自分ではないだろうか。自分たち余裕のある人にしか守れない「潔癖さ」を周りに強要して、守れない人は排除して、何が反差別なんだ。なんとなくずっとそう考えていて、参政党の主張を見て、「ああ、彼らは僕たちに怒っているのだ、ならば僕がすべきことは、その声に連帯して抑圧者たる自分を変えていくことだ」と思ったのだった。

 

ならばお前は自分が外国人に自ら直接暴力を振るうことを許容するのか? それは絶対に許容してはいけないラインを越えている。

 

難しい問題だ。申し訳ないと思うけれども、そんな謝罪には何の意味もないだろう。とにかく実際に活動してみないとわからないこと、聞けないことがあると感じたのだった。

貧困の話しかしない会なら大丈夫だったのだが、外国人の話をしている会の街宣は正直かなり心にダメージを負ったので、なるべく避けられないかと思っている。心が持たない。あるいは、それも引き受けないといけないのだろうか。

それに、そもそも何もしなかったとして我々がそんなに潔癖でいられているだろうか。どうして少なくない人からあんなに憎まれているのか、考えないといけない、と思う。僕にとってはそれがちょうど今だったということだ。

 

僕に言いたいことがある人は他にもいるかもしれないが、容赦のない批判を期待する。が、これから7/19いっぱいまで漫画を描くので、返事をするとしても7/20以降になると思っておいてほしい。

 




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