昨日の参政党の演説会の帰りの電車で、『ペパーミント・キャンディー』という映画を見ていた。
最近、近くに住んでいる友人がいつもこの画像を貼っている。何の画像なのかを聞くと『ペパーミント・キャンディー』のことを教えてくれた。京都で同じシェアハウスに住んだ友人だ。そう。僕たちは同じところに帰りたがっているのだ。
どうしてこの男は帰りたがっているのか。どこに帰りたがっているのか。それが知りたくて、気になって仕方がなくて、観始めたのだった。
1999年に作られたこの映画は韓国民主化運動が大きな通底奏音をなしている。「帰りたい」と叫んで列車に飛び込んだこの男・キム・ヨンホは、民主化運動の最中、兵士として、公安刑事として、同胞を痛めつけてきた。警察を辞めてのちも、妻と子をも裏切り、事業に失敗して何もかも失った。人を傷つけることをやめられなかった。そうして思うわけだ。無邪気だったあの頃に帰りたいと。
この話を日本人の我々が観ると、否応なくかつて日本が韓国に犯した過ちのことを想起せざるを得ない。どうして徴兵制があるのか。どうして軍事独裁政権が存在しているのか。35年間もの日本の植民地支配。悲惨さは筆舌に尽くしがたい朝鮮戦争、その後の30年余りにわたる軍事独裁。敗戦後、侵略国家たる日本はどうして来たか。朝鮮戦争の特需で甘い汁をすすってきたのではないか。冷戦の最前線でアメリカが支援する軍事独裁政権に日本は守られてきたのではないか。日本の繁栄の裏でまたも痛めつけられたのは韓国の民衆だったじゃないか。むろん北朝鮮の民衆に対しても日本の責任は重いに決まっている。
アメリカやソ連、中国の罪を僕は否定しない。けれども日本が韓国を痛めつけ犠牲にしてきたのは事実だ。その認識から始めないといけない。
支援連(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議)の集会に参加したときに、韓国の若い学生が来ていた。彼らが東アジア反日武装戦線のことを知った時、まず考えたことは日本の加害ではなく韓国の加害だったのだという。ベトナム戦争のおり、韓国軍はベトナムの民衆を虐殺した。残念ながら韓国世論はそのことを反省しないのだという。韓国軍の加害の話をすると否認して怒りだす人がいるのだという話を聞いて、どこも同じなんだなあとしみじみ思う。これが韓国人に引き継がれた「反日」だ。他でもない韓国人にこうした形で「反日」を引き継いだ人たちがいると聞いて僕もしっかりやらなきゃな、と思う。
我々日本人は東アジア・東南アジアの人たちを加害した。否、今も様々な国で行われている搾取の甘い汁をすすり続けている。
一方で、日本に侵略された韓国もまた加害の歴史がある。
我々中産階級リベラルも反差別主義に笠に着た排除・あるいは真逆の自己責任論(この二つはコインの裏表だと思う)をもってして、国内の他者を抑圧してきた。
そしてその横暴に怒った人々が今、さらに弱い者たちを攻撃しているのではないか。
僕だって罪を背負っていることに気づいていなかったころに帰りたい。京都に。僕にとって働くということは罪を重ねることだった。けど、向こうにいたって本当は同じだったんだよな、目を逸らしていただけで。まずはできることをやって、それでちゃんとやったぞと思えるようになって、自分に誇りを持てるようになりたい。そうしてまた誇りを失って、また取り戻して、そのサイクルを一生続けるのだ。後悔しないように生きるためにはそれしかない。せめて、自分の過ちを否認せずに認められる人間になる。素直に認められずに抑圧することが人を不幸にすると信じる。過ちを犯すそのたびにそれを認めて反省していくこと以外に幸福になる道はないと信じる。
あの演説会の会場の空気が肺に残ったままに、『ペパーミント・キャンディー』を観て、その思いを再確認できた。