会社勤めを始めてから、自分が社会に貢献するために(より具体的に言えば世間に痛めつけられている人たちを助けるために)何かやらなければと焦ってばかりだ。痛めつけている人を助けるつもりが、じゃあこうして安閑としている自分はなんなんだと、自分を痛めつけてしまう。そうするとイライラしてくる。
会社で恋人の話をしている人を見ると怒りが湧く。自分は幸せな時間を過ごしてきた過去のことを責め続けているのに、なぜ呑気に幸福を貪っている人たちがいるのだろう。なぜ手放そうとしないのか。
自分の中の自分だけ助かろうという気持ちを失くすためには不断の自己反省と自己否定が必要だ。それには抑圧を伴わざるを得ない。そしてその抑圧が回帰するところは、自己否定の足りていない輩への憎悪になる。
会社に入って差別を目にして、世間の人たちはどうして差別をやめろとこんなに言われているのにやめないのか、というところをよく考えるようになった。思うに、差別をやめろと言う側に欺瞞があるのではないか。それを鋭敏に感じとられているのではないか。
我々は差別をやめろという。一方的に。正しさが自分の側にあることを疑わずに。しかし、そこには憎悪がある。相手への侮蔑がある。最近の参政党の支持者に対する諸派の暴言は本当に目に余る。頭が悪いだのとよく人に向かって言えるなと思う。あの人たちがひどい暴力を振るっているからと言って、暴力で返してどうする。普通の人の集まりに向かって暴言を吐いてどうする。もし戦略的に正しい暴力ならば僕は肯定する。そうするしかないという暴力ならば肯定する。だが、あれは違う。反発を買うだけで何も良い方向に向かわないことは明らかじゃないか。もうそれは社会を良くする活動なんかではなく、ただ自分の中にある攻撃性を顕にしているだけだ。
きっと、自分の中の抑圧に目を向けて冷静になったほうがよい。不要な抑圧は避ける工夫をした方がよい。不要な抑圧とは戦略的に正しくない抑圧であり、そして、自分を冷静に振る舞えなくなるような状態に陥らせるほどの過剰な抑圧だ。自分が無理をしているということに気づかなければならない。
僕も含めて……。