朝目覚めると仕事に行かなければならない時間だった。
漫画を描くはずだったのに。随分長い時間眠っていたらしい。
朝、通勤途中の道では、ヘルメットと作業服に身を包んだ若い労働者がいた。汗まみれの顔だった。上を見上げると、クレーンに吊るされた人影がダイナミックに形を変え続けている。ビルの窓を拭いているのだ。かっこよかった。俺はダメだな、と思った。
今日は調子の悪い日だった。大事な会議で寝ちゃうし、それで業務に戻っても寝ちゃうし。ぐっすり寝たはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう。仕事が嫌だなと思い始めるとダメだ。もっと大変な仕事をしている人はいるのに、俺はなんて弱い人間なんだ。
苦しい思いをしている人がいる隣でいい思いをしているやつらは罰されるべきだとは言ったりするけれども、結局僕は自分にも身内にも甘い。友達にお前は罰されるべきだとは言えないし、むしろ本当に罰されようものなら怒りを覚えるだろう。このブログを読んだ友達なんかがそのことを聞いてくると「友達は許す!」などと言ってそれで自分も何かを納得したような気分になる。どうもこういう態度はよくないのではないか。友達が罰されるのは嫌だという気持ちに真剣に向き合うべきだろう。
楽な思いをして生きている人は探す方が難しいのではないか。
大資本家だって辛い思いで生きていたりするのではないか。
収入はそこそこで、配偶者と子供がいて、仕事はしんどいと同時に楽しくて、子供を支えるのが幸せで……、なんていう人を、幸せそうだからと叩いても何になるだろう。
職場の家族と子供が好きなんだな、って感じのおっちゃんに励まされたときはすごい楽になったもんなあ。
あの人は罰を受けるべきなのか。
俺はあの人に罰を下せるのか。
幸せな人、恵まれている人に罰を下してバランスを取ろうという考えはどこか間違っている。
ひどい暴力をふるう人も何か苦しんでいる。人の尊厳を踏みにじるような言葉を投げかける人も必死で毎日を生きている。じゃあどうすればいい。何がおかしいんだ。
僕のできることは辛くても苦しくても苦境にある人を思いやれる人間になれるよう道を示すことではないか。
どうせ自分は恵まれた人間だ。恵まれない人の気持ちなんてわからないんだ。
その僕にできることは、こちら側の道を示すことではないか。
暴力を振るってしまう人が暴力を振るわなくても済むようになる。
人の尊厳を踏みにじっていた人が人を尊重できるようになる。
そうなれるような道筋を示すことしかない。
上部構造は下部構造に規定されるという。しかしながら、今はどうか。情宣が政治を変えることは誰の目にも明らかじゃないか。もちろん地道にできることを欠かすわけではない。いずれにせよ、自分にできることを探しながらやっていくしかないということだ。