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20250618

昨日は東京都立中央図書館に大道寺将司の書簡集『明けの星を見上げて』や斎藤和についての文章を集めた『でもわたしには戦が待っている――斎藤和「東アジア反日武装戦線大地の牙」の軌跡』を読みに行っていた。

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僕が東アジア反日武装戦線に強く関心を持つようになったのは昨年の7月ごろのことであるらしい。もはや自分は学生ではなく、会社員であるということをいよいよ納得しなければならなくなったころだ。正直に言って、現状、僕の職業であるWeb系プログラマというのは不当に恩恵を受けた集団である。僕のようなペーペーすらも日本人の平均年収を超える金額が舞い込んでくる。残業もないといってよい。

 

もちろんプログラマの中にもいろいろあって、それなりに搾取を受けている人たちもいたりするわけだが、とにかく僕は自分が他者から不当に収奪しているとしか思えないほどの待遇を得ているわけだ。

 

そうなってくると自分たちの加害性に向き合い、爆弾で多くの人々を殺傷する行動に出るほどに内省を深めていった「東アジア反日武装戦線」のことが気になるようになってくる。当初は自傷的な爆弾テロに打って出た彼らに共感していたが、彼らのテロの被害者に対する真剣な反省の弁を聞いて、どこかテロを安易に支持する(それも自分でやる気もないのに!)ところのあった僕は内省を強いられた。

 

「搾取している自分たちは殺されても文句の言えない存在なのだ」ということは信じているし、今でも我々は死ぬべきなのだと衝動的に思うときはある。だが一方でそうやって自責を重ねる自分に酔っているところがあった。私学の中高一貫出身で、Web系のプログラマ*1、というだけでこんなに自分を責めることのできる自分は偉いだろ、というわけである。それでテロを起こすつもりもないのである。プログラマに対しても、東アジア反日武装戦線の人たちに対しても、そしてテロの犠牲者に対しても、あらゆる人たちに対して失礼な考えだった。

 

さて、そこで得たものを一つ結実させたのが今回ひらめき☆マンガ教室の課題として提出した「依子の挽歌(うた)」だった。

 

hirameki.genron.co.jp

 

片岡利明にしろ、大道寺将司(いずれも八人の死者を出した「三菱重工爆破事件」の実行部隊"狼"のメンバー)にしろ、大衆に理解が得られるような形で反日運動を展開しなければならなかったことを悔いていた。デルタ作戦(=三菱重工爆破事件)は単に人道的な罪を犯したというだけにとどまらず「反日武装闘争の正当性を日本の人民の間に浸透させること」という戦略目的において失敗したという戦略としても完全な失敗だったという総括は実行部隊の間では一致をみていると思われる(勉強不足でほかの二人が何て言っているかは知らないけれど……)。そこで、片岡利明にいたっては武闘路線の放棄「民主的社会主義」への転向というところまでいくのである。

 

また、大道寺将司も当時とは大きく考えを変えているようである。書簡集『明けの星を見上げて』には「ゲリラの子育て」と題された(手元にないため記憶が曖昧で間違いがあれば容赦願いたい)興味深い書簡がある。子供を持つと穏健化する、都市ゲリラとしての活動に差し障る、などの理由で大道寺将司・あや子は子供を持たなかったそうなのだが、そうした姿勢についてゲリラも子育てをするべきではなかったか、と自己批判をしているのだ。未来の社会の姿を自分の人生をもって示せるようでなければ社会を変えることはできないという話だったかと思う。面白いことをいうなあ、と目を開かれると同時に、自分も誰にでもできるようなやり方で生きることを実践するべきなんだ、それでいいんだと楽になった。

 

正直、怠慢のためになかなかやるべきだと思う「活動」をできていない僕としてはそういわれた方が楽なのだが、そこに対してむやみに自責を感じる必要もないのかな、と思えたのも大道寺将司の文章だった。これは片岡利明も似たようなことをどこかで言っていたと思うのだが、死は安易な逃げ道であり、自分たちはこの場に踏みとどまって犯した罪の苦しみに向き合うことの方が大変なのだ、という実感が彼ら二人にはあるようだった。

 

そこから自分の今後について考えた。衝動に任せて自暴自棄になって周囲の目を気にせずに官憲と戦うよりは、よっぽど今のまま「ふつうの人たち」との折り合いを考えながら漫画を描いたりした方が自分にとって意味のあることかもしれない、と。武闘をする必要に迫られている人たちと違って、どのみち自分が武闘をやる理由なんて「負い目」くらいしかないのだから、それくらいなら自分のやりたいことと社会をよりよく変えることとを折り合いをつけながらやった方がよっぽどいい。もちろん、自らの「罪」と向き合い続けながらである。罪悪感から東アジア反日武装戦線に興味を持ったはずなのに、むしろ罪悪感から楽にしてもらった。向き合い続けることが大事なのだと考えるとむしろ軽くなる。そして、ゲリラが子育てをするべきなのと同じように、自分は幸せに生きなければ、とも思う。幸せそうに生きる姿を見せることで、この生き方でもいいんだということを示していく。そうするしかない。

 

さて、今回の漫画では、爆弾テロを引き起こした「反テクノロジー武装戦線」のメンバーの一人が武闘路線に反対して一人部隊を抜けて、挙句の果てに自死するという話になった。未来を見せると言っていたのに、なんだかおかしいではないかと思われる人もあるかもしれない。

 

実際、東アジア反日武装戦線の一斉逮捕の際に、"大地の牙"部隊の斎藤和はじめ関係者三名が自殺している。そして、死を深く痛みながら、彼らが死に追い詰めたとして自分たちの思想的欠陥を大道寺将司は自己批判をしているのだ。

 

僕も最初は死なせるつもりはなかった。官憲の手を逃れてどこかで戦いを続けているとか、数年後に逮捕されただとか、生き延びる方策をいろいろ考えた。だが、部隊からも離れて、唯一の他者である男(公太)をも自分は犠牲にしていると気づいた後、この人は死ぬしかないだろうな、と確信してしまった。背負った罪は真剣に内省するにはあまりにも重く、身を寄せる場所もない。こんな状況ではいかに生きるべきだとしても死ぬ以外の道がないと思った。だからせめて彼女が愛されるに足る人間だったのだと示そうと意図して描いたのがラストシーンになる。

 

まだまだネームなのでこれから変えるところもあるかもしれないが、精一杯完成させていきたい。この漫画こそが今の僕にできることなのだと信じる。

 

ところで、支援連(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議)の集会が6月28日(土)にあるらしい。

 

http://www.labornetjp.org/EventItem/1749094627098staff01

 

誰か一緒に行かない?

 

*1:この二つが僕の考える搾取者としての属性の二大巨頭である。おそらくこれを読んでいる人の中には他にもっと反省すべきところがあるのに、と呆れかえる人もいるだろうと思う。遠慮なくせせら笑ってほしい




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