今日は応用情報技術者試験だった。
試験日が近づいてくると思ったより余裕がなくて受けたことを後悔したが、落ちるのは嫌だった。今はこれに縋るしかない。昨日一日だけとはいえ必死に勉強した。
試験会場は法政大学市ヶ谷キャンパス。
会場の教室に着くと、みんな受験票に写真をつけていて、驚いた。受験票には写真がなければ受験ができないという文言が。そ、そんなぁ……。ちろ、三時間しか寝ずに頑張ったのに……。
まだ試験開始まで30分弱あった。僕は走った。足を動かしながらGoogleマップで最寄りの証明写真機を探した。他にもいっぱい同じような人いるだろうな、と思って不安だったが、とりあえず最寄りのところから総当たりでいくことにした。着いてみると、ラッキーなことに誰もいなかった。え、こんなことしてるの、僕だけなの……? 5人くらい並んでるかなと思ってたのに……。
途中、キャンパス内のコンビニでハサミとのりをそろえて、急ぎ足で会場に戻ったのだった。
法政大学市ヶ谷キャンパスといえば、2000年代の法大闘争の舞台だ。当時運動の現場にいた人から話を聞いたことは何度もある。が、来るのは初めてだ。あの人たちが大事にしていたという場所を探して歩いた。
すると、先ほど立ち寄ったコンビニのある棟、外濠校舎が、学生会館の跡地だったことに気づく。そうか。ここだったのか。
下に降りるとサークルの部室がまとめられている。学生会館のWikipediaにはこうある。
学生会館の跡地には「外濠校舎」が建設された。教室や講堂、コンビニエンスストアなどが入った通常の大学施設となっており、そこには学生会館時代のような「自主管理」は存在しない。サークルの部室は、地下に置かれている「長期会議室」という名称の全面ガラス張りの部屋を、複数のサークルで共用するという形になっている[5]。
絶望的な光景を想像する。ところが、実際行ってみると案外にも雑然としていて居心地が良い。ここも今では学生たちにとって大事な居場所になっているのだろう。それがわかってよかった。
かつて、学生の溜まり場になっていた場所については学生会館以外にもいくつか聞いていた。そのひとつが「ピロティ下」である。広場のどこかにあるはずなのに、どこにもない。ここも建て替えられていたことがわかる。ここもないのか。僕が試験を受けた棟、大内山校舎の入口あたりだったようだ。
そして松本哉の「ボアソテロ」の現場、ボアソナードタワーも見に行く。

高い。
入ってみると学生ホールなる空間があって、サークルの説明会やらで大勢の人もいた。自分が浮いているようで怖かった。もはや学生ではないことを突き付けられた感じがした。この瞬間、これ以上歳をとるのがたまらなく怖ろしくなった。
ボアソナードタワーを出てからは広場を離れて東の方向へ。すぐに門が見えて市ヶ谷キャンパスが案外にも狭いことがここでわかる。体育会系の部室も入っている古そうな校舎を見て回ってから、構外に出たその時だった。
背後のシャッターが突然閉まっていく。振り返ると警備員が真ん中に立っている。まさか警戒されているのか? 回り道をして北に進路を取ると目の前に熊野寮で何度も見たあのカマボコが。
「なんで???」
思わず大きな声が出る。ほぼ無人のまま停めてあるだけのようだったけれど、動揺のあまり急ぎ足になる。外濠校舎門にたどり着くと真ん中に警備員が立っていた。さっきこんなのいたっけ? 戦意はとっくに失っていた。本当は何でもないのかもしれないが、怖かった。
ふと外濠校舎の向かいに目を向けると、川に気づく。柵の下には川に並行して総武線の堂々とした四本のレールが。線路、という連想も手伝って、人が足を踏み入れてはいけない聖域のような雰囲気が漂っていて目を奪われていた。
ここが、外濠である。実は川ではない。ベンチに寝転がって景色を見ていると、実に気持ちがいい。

学生会館があって、すぐそばに外濠があって、そんな学生生活はさぞかし幸せだったことだろう。京都で幸せな学生生活を送ってきた僕には容易に想像がついた。ああ、本当にいい眺めだ。かつて学生会館にいた学生たち*1もこうやって寝転がっていたのだろうか。
そんなことを考えていると、何やら後ろからスピーカーの音声が聞こえてきた。
「大学のみなさん、17:45をもって、当館は閉館いたします」
「なお、閉館時刻になりますと、すべてのドアが施錠されますので、ご注意ください」
なんだ、それは。構内から追い出されるってこと? 多くの大学はそうだとは聞いていたが、実際に目の当たりにするとショックだ。
このタイミングで、そろそろ出発しなければいけないことに気づく。
眠い頭を引きずるように体を起こす。
外濠の景色はやっぱり美しかった。
*1:言うの忘れてたけど学生会館があったころにいた人は誰も知り合いにはいないけどね。