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20250413(2)

どこかの漫画が、「屠殺人」を「サステナブル」でないなどと描いたとかで話題である。

 

自分も素朴においおいそれはあかんだろ、と思ったものだったが、そこであることに気づく。

 

自分自身、職業に貴賤があるという意識から抜け出せていなかったのではないか。

 

たとえば僕は、Webサービスなんてものはインターネットがインフラになっているのに乗っかって庶民や小規模事業者から搾取しているだけだと批判してきた。誰もがスマホとパソコンを持たなければ生きるのが難しい社会にどんどんなりつつある。その固定費は貧しい人にこそ重くのしかかってくるのは自明である。それであるならば、僕がやっているような仕事(Webサービスの開発)は彼らの犠牲の上に成り立っているといってよいのではないか。仕事をして給料をもらっていると、このお金がどこから来るのか、誰かから奪ったものではないか、とつい敏感になってしまうのだ。

 

そういえば村上かつら原作(作画はまなべゆう)の『LOVE?』の一話でも銀行の営業をしている主人公はこんなことを言っていた。

 

そうだ。
ただ笑ってすませられる仕事なんてないのだ。


例えばあたし。

あたしは会社のためにどこかの誰かからお金を奪ってこなくてはならない。

 

一度だけ、話し好きの年寄りが騙されて、年金の振込先を鞍替えしてくれたことがあった。

あたしには初めての「お手柄」だったのに……

ココロが痛んだだけだった…


こののち、主人公は「カモ」の方が楽だと感じる自分に気づいていくことになる。

誰かに価値を感じてもらう、誰かの役に立つ、というのは「カモ」になるということと同義だ。そして、自分はカモになりたい側の人間なんだ。この話はそんなふうに着地する。最後に主人公は思う。

 

願わくば、愛されるカモにならんことを――

 

人のために役に立つということをみんな怖れすぎているように思う。それはきっと、詐欺だったり悪徳商法だったり、ブラック労働だったりが横行する社会で、カモられることが愚かな証拠とみなされるからだ。この社会では人の役に立つことが人間の価値に結びつかない。人から奪うことの方がむしろ評価されるのだ。人から効率よく収奪すると、なぜか「社会」の役に立ったかのように評価される。そんなのは、おかしいに決まっている。きっとこれが書かれた25年前にもすでにそんな空気に社会が包まれていたのだろう。

 

「カモ」になった人こそ評価される社会であってほしい。僕もカモになりたい。カモでいいはずだ。愚かで何が悪いんだ。




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