ハーマンの『心的外傷と回復』の一章(「歴史は心的外傷をくり返し忘れてきた」)と二章(「恐怖」)を読んだ。
ちょうどフロイト読書会をやっていたところだったので、フロイトが精神疾患の影に性暴力があることに気づいた人であり、またそれを否認し隠ぺいした人でもあったというフロイト解釈は興奮した。それとヒステリー研究とシェルショックの研究史が交わる過程としてトラウマ研究を整理していたのも面白かった。
二章「恐怖」もすごかった。PTSDを患うと、日常的に交感神経が過剰に活発化してしまってリラックスした状態にならないのだという。不眠などの日常的な症状の多くはそれで説明できる。いわゆるフラッシュバックについて解説した「侵入」という節では、ふとした瞬間にどうしてトラウマを再演してしまうのか、事例とその解説に圧倒されてしまった。
ところでふと思ったのが、僕は少し会社で緊張状態になりすぎてないか、ということである。もしかしたら誰もがそうなのかもしれない。だとしたら会社員や会社員を経験した人全体が抱える病理である。僕含め少数の事例にとどまるならば、まさにトラウマの問題になる。
なんだか、いつも責められないかびくびくしてしまう。実際少しでも責めるような口調で言われるともう死んだ方がいいような気持ちになる。精一杯配慮しようとしてくれているのは伝わる。それでも怖い。上下関係というものに僕はどうしても馴染めないのだ。
おそらく小学生のころにガキ大将の忠実な部下としてパシリをさせられていた経験が影響していそうである。上下関係になって五年目のある日(それは小学校二年のころから続いていたのだ)、突然僕は嫌だということに気づいた。それからはそれまでのすべてが被害の記憶に変わった。そういえばこの前読み返した(初読だがほぼ同じ内容のここセクは読んでいたため)牟田和恵の一般書『部長、その恋愛はセクハラです! 』では、一時的に恋愛関係だった(と思い込んでいた)はずがセクハラになってしまう事例が載っていた。セクハラ被害の中には被害者が一時的に自分で望んだ関係だと思い込む事例が数多くあるのだという。被害に気づいた瞬間にそれはすべて加害になる。僕の身に起こったことも同じだろう。まさにトラウマ的な体験だった。
僕が目上の人との関係で時折感じるとんでもない恐怖はPTSDの症状に近いのかもしれない。きっと似たような体験をしている人は多いだろう。「会社を三日でやめる若者」の正体はこれなのではないか。僕もいまの職場でなければやめていたかもしれない。
もし、どこに行っても仕事が長続きしない人の多くが「これ」を抱えていたとしたら……。
いつも割を食うのは被害者であり、虐げられた人たちだ。どうしたらいいんだ。悔しい。僕は、どうすればいい。どうすればいいんだ。