幸せになってはいけない、と昨日の記事で書いた。
あれから眠った。布団から起きだしたのは12時過ぎだった。相当長く寝ていたらしい。
睡眠をとると頭が冴えてくる。それでふと思い返した。僕が人を傷つけたときは大抵余裕がなかった。簡単にいうと不幸せなタイミングだった。人を傷つけたくないなら、余裕が必要だ。余裕があるくらい、幸せにならないとダメだ。そう考えたとき、幸せになることはもはや義務になる。
そうなると、この僕に幸せになりたいという権利があるのだろうか、といういつもの問題に戻ることになる。これを書いている今も罪悪感がむくむくと湧き上がっている。幸せになってもいいんだと誰かに言ってもらいたいから書いてるんだろ、と。それはその誰かに負担を強いていることになる。
そういえば、大学時代に当事者研究にハマったのはこういう加害/被害の関係から抜け出せる論理が自分にとって新鮮で救いになったからだった。だからフロイト読書会もやっているし、加害/被害に苦しむ人にはそうした論理を使って慰めもする。けど、自分が加害をしているという感覚からはなかなか抜け出すことができない。ホリィ・センが昨日こんなツイートをしていたが、こういう発想にでもなれたら楽なのだろうが。
だからこそ、たまたま奪われたり殺されたりせずに済んでいる人や、間接的には奪ったり殺したりしているけど罪に問われずに済んでいる人が、いかにそのことに「感謝」して世界に還元できるんだろうかと考える。もっと言えば、いい感じに生きられてるんならノブレスオブリージュを果たそうぜ、って思う
— ホリィ・セン (@holysen) 2025年4月4日
とにかくいずれにせよ幸せにならなければいけないことは確かだ。幸せになろう。