この日のブログでは関学ダメライフくんの次のようなツイートを取り上げた(散々こすって申し訳ないが……)。
加害性謝罪してる実家の太いクネクネくんって、自分がブルジョワであることの加害性に関する謝罪はほぼしないから気持ち悪いと思う
— 関西大学だめライフ愛好会🍉🏳️🌈🏳️⚧️🏴 (@kandai_damelife) 2025年3月30日
あなたの性欲よりあなたの家が低級労働者の汗水で成り立ってることの方がよっぽど加害的ですよ
— 関西大学だめライフ愛好会🍉🏳️🌈🏳️⚧️🏴 (@kandai_damelife) 2025年3月30日
僕はこれまでクネクネくんには珍しく、ブルジョワであることの加害性については自己批判は結構してきたつもりである。なので、今日のところは自分の女性(シスヘテロ男性なので……、以下それが前提ということで……)に対する加害性について話していこうと思う。
この加害者意識はどこから来たのか。
まずは男性に対する劣等感である。僕は女性を喜ばせる能力に乏しい。見た目がいい方だとも思わないが、それが問題だとはあまり思っていない。まずは、気が利かないこと。そして次に、能力がないことだ。会話の能力がないこと。仕事の能力がないこと。誇れるものは何もない。自信がないと言い替えてもいいかもしれない。
そしてその上で性欲があるのが辛い。僕が女性と交際できるとしたら、自分を偽って騙くらかすしかない。あとは権力だ。もちろん、それには男性としての権力も含まれる。
今、僕はリベラル用語で装飾して逃げようとした。確かにそう思うことも多いが、それはおそらく本質ではない。
人とほんとうに深く付き合うのが怖いのだ。深く付き合えば付き合うほど、相手に対する思いの強さが試される。もしトラウマを植え付けたらどうする? そんなことは友人同士では珍しくても、恋愛では実によくあることなのだ。
恋愛で幸福にするというのは中々できることではない。この人と付き合えてよかったと思われるのはすごいことだ。それが自分にできることとは到底思われない。
つまり、僕が女性と付き合いたいと思うということは相手を不幸にしたいと願うことと同義なのだ。幸せにして、自分も幸せになるというのが一番いい。いやしかし、僕はそのことだって怖れている。自分が幸せになっていいはずがない()。自分の幸せを願わないからこそ、最後には不幸にするのだと確信が持てる。
ちょっと今日は鬱がひどいのかもしれない。書く内容もそうだし、たったこれだけの記事を書くのに二時間もかかっている。疲れているのだろうか。これを出したらすぐに寝ることにする。