たった今、東京の家に着いた。
帰りの新幹線は混んでいて、狭いデッキで立たされていた。
麻枝准作詞作曲の「Brave Song」を聴いていたら感動してしまい、歌詞をツイートしている人を探して片っ端からふぁぼるなどして時間をつぶしていた。
Twitterを見ていると差別的な言動が目立つ。大半は嫌悪しか浮かばないが、なかにはひそかに共感してしまうものもある。フォロワーの中にはそうやって際どいツイートをして人から承認を得てしまい、癖になってやめられなくなっていそうな人もいる。なんだかそれを見ていると、いつも彼(たいていはシスヘテロ男性だ)に申し訳ない気持ちになる。
なぜなら僕には彼に自分のひそやかな気持ちを代弁してもらうことで救われている部分があるからだ。しかし、僕の後ろ暗い部分は叩かれることはない。彼が人から白い目で見られときには手ひどく批判されているのをみると、なんだか僕の代わりに僕の罰を引き受けてくれているようで、申し訳なくなる。僕のようなひそかに共感している存在が彼にあんなことを言わせてしまっている。彼に対して誠実であろうとするなら、自分も一緒になって差別的な発言をするほうがいくぶんかマシかもしれない(もちろんそれは彼に対して誠実である選択肢だ。人を傷つけることはなるべく避けたほうがよい)。
僕は潔癖であろうとして自分の歪みを彼らに押し付けてしまっている。社会全体を見て考えるならば、そうした潔癖であれという歪みが結果としてヘイター政治家を生み出しているのではないだろうか。やっぱりせめて今日だけでも潔癖であろうと考えるのはやめよう。
交際相手が欲しい。みんなにすごいって思われたい。認められたい……。
京都で過ごしたあの幸せな時間は戻らない。でも諦めない。もう一度、自分の居場所を作るために頑張ろう。