ボードゲームをもうやめよう、と思った。
鬱気味でコミュニケーションが苦手で時間の有り余っていた自分だからこそ必要だった人と触れ合うためのツール、ボードゲームからそろそろ卒業しなきゃいけない気がする、という話だ。
この話は、Twitterについても同じことが言える気がした。
僕が日々Twitterを見ているのは麻薬的な快楽だけではない。人に見捨てられるのが怖いんだ。人と繋がっていないのが不安なんだ。だから人と会話する糸口を求めて、ツイートを見る。
人と会話するきっかけを求めるのは正しい。だが、それが惰性になっているのがいけない。もっと言えば時間が有り余っている状況でもないのに、Twitterに時間を使い続けるのは厳しいということだ。
しかし、だとして、この時間がないという感覚はどこから来るのだろう。
思うに、結局これも孤独に対する不安から来ているのだと思う。
今までの人生でうすうす、Twitterに張りつく時間は必要最小限にして、いろいろな経験をして引き出しを増やした方が孤独を回避できるということに気がつきつつある。や、それができない弱さがあるからこそ人に好かれてきたってところもあるし、それは否定したくないんだけどさ。結局なんだろうなあ。時間が残り少ないってことに対する焦りかなあ。これは学生生活の最終盤以前はなかった感覚だ。僕が変わったとしたらそこだろう。
最近になってTwitterのリストを整備した。見たいツイートを効率的に見れるようになった。十年Twitterに依存していたが、今度こそ距離を置けるような気がする。必要に迫られているからだ。