就職してからというもの、自分の人生の限界というものを意識する機会がますます増えてきた。
それに伴い、中年の人の心理を描いた漫画に共感することも増えてきた。
たとえば、岩舘真理子の「月夜のつばめ」(岩舘真理子, 1989,『五番街を歩こう』集英社. 収録)。

「あたしには19歳年の離れている姉がいる」というフレーズで始まるこの短編は、高校生・愛子が、稼ぎ手を失った家族のために人生を捧げて生きてきた腹違いの姉・哲子について、「哲子姉さんを見てるとね…… あたしはなにかを見つけなきゃって思うの」と語る場面から始まる。
哲子はかつて家族のために結婚を諦めたことがある。
縁談の話にもまるで興味を示さない。
誰かのために人生を犠牲にして単調な会社勤めを続ける哲子の人生は、愛子の人生観に深く影響を与える。愛子は姉のようになりたくない一心でモデルを志望するのだった。
そんな折、家に一本の電話が入る。愛子が少女漫画の新人賞に入賞したという。ところが実は哲子が自分の年齢を恥ずかしく思い、愛子を装って応募したものだった。それから愛子は作者のふりをして編集者と接することになる。母も哲子の犠牲の返礼として愛子に応じるようにいう。哲子の「犠牲」に対する負債の意識が一家を包み込んでいる。
作者の姉のふりをして電話に出た愛子は締切まで一週間だと編集者に告げられて叱咤される。狼狽する哲子に愛子は描くことを迫る。
その後の4ページが僕は好きだ。一家総出でパニックになりながら原稿に向かう一週間。その祝祭のような一週間を終えたとき、愛子は哲子の「顔が変わっているような気がした」と語りだす。17年間積もり続けた負債は花びらのように舞う原稿に変わっていく。

愛子は哲子について、「姉さんを責めたいような それでいいような」複雑な気持ちがあったことを語る。「自分が臆病でなにもできないでいるのを 姉さんがいることでほっとしているような気がする」と。
哲子は「犠牲」になった自分の人生について「自分のためだったのかもしれない」と振り返る。「自分のなかでなにか理由を作っては あしたもあさってもこの家に帰ってくる毎日を一日でものばそうとしている」と。
漫画家の仕事のために哲子がいよいよ家を出る日、愛子と哲子はいう。
「これからひとりになって」
『あたしとお母さんもまた』
「『淋しさと闘う』」
最後は愛子のモノローグで締められる。
結局あたしは まだ夢もつかめず 恋人もいない 平凡な大学生活を送っている
僕は人生を変えるために頑張れなかった。惰性で流されて生きてきた。そうして自分を変えられないことの不安に怯えながら、30に、40に、50になっていく。
岩舘真理子「月夜のつばめ」。
これからの僕の人生において大切な物語になっていくのだろう。