今日は会社で嫌なことがあった。
別に最初から何も期待してはいないのだが、陰鬱な気分にはなる。
金銭で結ばれた関係のなんと冷たいことか。ああ、資本主義が許せない。いやしかし、本当に資本主義だけが問題なのだろうか。連合赤軍事件にも同じことがいえる。彼ら彼女らは革命の大義の元に結集したけれども、結局凄惨な暴力で仲間同士で殺しあうことになった。
人が人を手段だとみなすとき、人は人に対しておそろしく冷たくなる。それは官僚制が原因とも限らない。家庭内暴力を例にしてみても、相手を一人の人間として尊重できずに自分の欲求を満たすための手段として考えているから「こんなにあなたのためを思っているのに」と自分に言い聞かせながら平気で惨い暴力を振るえてしまう。
俺は左翼を名乗っておきながら会社内の暴力に対して声を上げることができなかった。それは容易に潰されることがみえているからで、数年我慢すれば仕事選びも自由になるという希望を捨てきれないからで(現実そううまくいくだろうか)、僕の周りの人は僕に優しくある程度の居心地の良さも感じているからで、要するに、今の自分の権益を捨てるのが怖かったのだ。
もちろんその分は何らかのかたちで別の人を助けるために使いたいと思うのだけど、それでいいのだろうか。それは目の前の人を手段にしてないだろうか。
今日は仕事上がってからずっと辛くて、こういうときスマホばかり見てしまってどんどん気分が重くなって、絶望感が身体を包み始めていて、その絶望感から必死で逃れようとしてアニメ版『ちょびっツ』21話「ちぃ 答える」を見た。
台詞ひとつひとつが僕を優しく包んでくれた。柚姫の「私の処理能力がもっと早ければ実さまにここまでご負担をおかけすることもなかったんです。私さえもっとお役に立てたら…」というセリフ。
ああ、人("パソコン"だけど…)は人の自分への気持ちを信じられないとき、いとも簡単に自分の価値を見誤ってしまう。その誰の目にもわかる交換可能な"能力"だけが、人にとっての自分の価値だと決めつけてしまう。
そんな風に自分を決めつける姿はけなげで哀しい。
「でもきっとほんとうのお姉さまなら…」
「なんか、変だよ」
秀樹の疑問。
「柚姫は姉さんじゃない!」
実の叫び。
ああ、なんて救われる言葉だろうか。
「柚姫は姉さんじゃない。」
「誰も姉さんの代わりにはなれない。だから、柚姫の代わりもいないんだよ。」
「たとえそれがプログラムされたものでも、柚姫は柚姫だから…」
僕は人が自分のことをかけがえがないと思ってくれていることをなかなか信じられない。どんなにそれを示されても、落ち込むとすぐに「みんな僕をいらないんだ」と思ってしまう。自分のかけがえのなさが信じられなくなると、今度は人を手段としてみなし始めてしまう。地獄の入り口に足を踏み入れてしまう。そこからなんとかして踏み入れた足を引き戻す。その作業をずっと繰り返している。