今日は散々な一日だった。
仕事の進捗が悪くて絶望した。
企業の世界では仕事のできる/できないが生きやすさに大きくかかわる。それは企業の中だけじゃなくて雇用労働者が形作る社会全体がそうである。もちろんいくらでもアジールがあることは知っているし、そこにアクセスすることに全く抵抗はないのだが……。
沢渡真琴も僕にとってはそうしたアジール*1の一つでもある。僕は真琴を自分の中に宿すことでかろうじて狂わないで済んでいる。
『Kanon』の作中で真琴は人に迷惑をかけてばかりで何の能力もないのに、ただそこにいるだけで存在を肯定される。いや、僕にとって最も重要なのはそのことではないのかもしれない。真琴が水瀬家に肯定されたこと以上に、そんな真琴を僕自身が肯定できたということが僕の人生にとっては大きかった。無能な自分を自分自身で肯定できる可能性を真琴は与えてくれたのだ。
会社からの帰途、僕は茫然として何もできずに『Kanon』のエンディング「風の辿り着く場所」だけを聴いて電車に揺られていた。ぎりぎりのところで「風の辿り着く場所」の旋律がが生きる意味を担保してくれていた。
何かしてないと発狂しそうで、家に着いてからはイライラしながらTwitterをずっと眺めて、同居人が帰ったらボードゲームの相手をせがみ、断られては一人でパソコンに向かって世界に相手を求めた。結局、最後まで同居人とあーだこーだ言いながらゲームを進めた。こういうとき、同居人の存在は本当にありがたい。
もしかしたら、仕事ができない人生を受け入れないといけないかもしれない。今日も例の技術ブログ、更新できなかったし。やる気にならないといけないはずなのだが、会社の人たちと僕では熱量が違う。
僕は価値を認められない場所にいることがいたく苦痛で耐えられない。職場はこれから人生のうちで本当に長い時間を過ごす場になる。そこで認められるためにも頑張らないといけない。そもそも、何もできない自分を最初から認められるなら真琴を求めたりなんてしない。結局、やるしかない。
*1:この語法合ってる?