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読書日記2094

 

つづきを展開

 

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日記

「昇進への敏感さ」は虚栄ではなく、私の中に芽生えた“戦争の気配”であり、その気配が人間性を削る前に、倫理の折り返し地点を先に置きたくなった

仕事への情熱の裏には、飽くなき欲望、飽くなき出世欲が隠れている。嫌と言うほどわかる。わかるというより、身体の側が先に嗅ぎつけている。会議の空気、報告の言い回し、評価の視線、雑談の微妙な間合い。昇進という語が直接出てこない場面でも、上下の匂いだけは漂っている。匂いは言葉より早い。言葉より早いものは、こちらの撤回筋肉を試してくる。だから私は、去年の自分がここまで考えなかったことを、いまは考えてしまう。去年の自分は、キャリアとは縁がないと思っていた。縁がないと思っていたときは楽だった。楽というのは、諦めがあったからだ。諦めは痛いが、同時に鈍い。鈍いから、比較の痛みを避けられる。ところが人生は何があるかわからない。自分はまだ上にいけるかもしれないという確かな結果が出た。結果が出た瞬間、私の目は周囲の階段を数え始める。数えるとは戦争の準備である。準備が始まったとき、人間性が削られていく感覚が生まれる。私は今日、その削れ方を、まだ薄いうちに言葉にしたかった。

エネルギーが社会に善い方向に還元されるならば、それでいい。私は、努力や野心そのものを悪として裁きたくない。裁き始めると、私はすぐに「純粋さ」へ逃げる。純粋さへ逃げると、現実の運用が見えなくなる。運用が見えないまま倫理を語ると、倫理は棍棒になる。棍棒は吠え声になる。吠え声は暴力になる。私はその回路を嫌っている。だから私は、野心を否定しない。否定しないが、野心の運用には折り返し地点が必要だと思う。折り返し地点とは、どこで引き返すかの設計である。どこで線を止めるかの設計である。線を止めない野心は、いつか人間性を削り尽くす。削り尽くされた人間性の上には、勝利と空虚が残る。私は勝利より空虚が怖い。

『ジョン・メイナード・ケインズ』の中で、ヴァージニア・ウルフがケインズについて「人間性を失いかねない」と思った時期があった、という件を読んだ。今日はそれが刺さった。刺さった理由は単純である。刺さる言葉というのは、こちらがうすうす知っていたことを、他人の声で確定させてしまうからだ。戦争・お金・政治。世俗的なことにとらわれるといつか自分を、そして人間を見失う。ウルフがそう感じた瞬間があったという事実が、私の直感の背中を押した。私の直感が言っている。「気をつけよ」。この「気をつけよ」は、道徳の説教ではない。アラームである。アラームは、結論ではなく点検へ戻る合図である。私は今日、その合図を聞いた。

ケインズという人物は、経済学者として記憶されることが多い。しかし彼の周囲には、経済学だけでは収まりきらない文化的な厚みがある。ウルフとの関係、ムーアとの関係、ケンブリッジの知的共同体、ブルームズベリーの気配。そうした空気の中にいた人間が、戦争や政治や金という巨大な運用へ深く関与していく。その関与が、ウルフの目には「人間性を失いかねない」と映った。私はその視線を、単なる恋人の心配として片づけたくない。恋人の心配として片づけると、今日の私の危機感が薄まってしまう。私は薄めたくない。薄めたくない理由は、いま私の目の前にも「世俗的なこと」が増えているからだ。昇進、評価、制度、手続き、数字、他部署との摩擦。これらは立派な戦争の語彙である。戦争という語を使うと大げさだが、大げさであることが今日の私の気分に合っている。会社もある意味戦争である。だから私は、戦争論を仕事のレベルにまで落とし込みたくなった。

そこで私はウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』を手に取った。手に取った理由は、仕事を戦争と呼びたいからではない。むしろ逆である。仕事が戦争へ変質する前に、戦争論の倫理で線を引いておきたいからである。戦争論の倫理には、少なくとも二つの役割がある。ひとつは、戦争を始める理由の正当性を問うこと。もうひとつは、戦争をどう戦うかの正しさを問うこと。前者は「正しい戦争かどうか」。後者は「正しいやり方で戦っているかどうか」。私はこの二分法を、仕事に持ち込みたい。

仕事における「正しい戦争」とは何か。ここで私は、野心を否定しないという前提を守る。野心それ自体は悪ではない。だが野心が正しい戦争になる条件はある。私はそれを、目的の言語で考えたい。自分の出世欲が、最終的に何を作るのか。制度の改善か。現場の負担の軽減か。働く人の尊厳の保全か。成果の可視化か。もし出世が、これらに繋がるなら、それはまだ正しい戦争に近い。だがもし出世が、「他人の敗北の上に立つ」ことだけを目的にし始めたら、その戦争は不正になり始める。私は今日、この分岐点の匂いを嗅いだ。匂いを嗅いだから、ウルフの言葉が刺さった。

一方で、戦争が正しい目的を持っているとしても、戦い方が不正なら人間性は削れる。会社での不正な戦い方とは、だいたい“無音の運用”として現れる。露骨な暴力ではない。書類の書き方、根回しの順番、会議の議事録、評価指標、情報共有の遅延。こういう乾いた仕組みの中に、他人を踏む設計が混ざる。踏む設計は、善意の顔をしていることが多い。「効率化」「適正化」「標準化」「透明性」。これらは善の顔をしている。善の顔をしたまま、撤回条件を削り、異論の通路を塞ぎ、反例を例外として棚上げし、静かに選別を進める。私は就労支援で「無音の運用」を恐れてきた。会社という戦場でも、同じものが増殖する。だから私は、正しい戦争/不正な戦争の区別を、まずはここに当てたい。不正な戦争とは、勝っても後に残るのが沈黙だけになる戦争である。沈黙が残る戦争は、人間性を削る。

私の直感が「気をつけよ」と言ったのは、この沈黙の気配に対してだと思う。昇進に敏感になると、言葉が変わる。言葉が変わると、沈黙が増える。沈黙が増えると、制度は静かに回る。静かに回る制度は静かに人を選別する。私はこの順番をすでに知っている。知っているのに、敏感になった瞬間に、同じ順番に引っ張られる。だから私は折り返し地点を先に作りたい。

折り返し地点を作るとは、具体的には何か。私は今日、それを三つだけ考えた。三つだけ、というのが大事である。多い倫理は守れない。守れない倫理は免罪符になる。免罪符になった倫理は、むしろ不正な戦い方を助ける。だから三つだけである。

一つ目の折り返し地点は、言葉の範囲である。私は、人を「駒」として語り始めたら引き返す。人を「リソース」として語り始めたら引き返す。こういう語は便利である。便利だから危ない。便利な語は人間性を削る。削り始めたら引き返す。これはウルフの「人間性を失いかねない」に一番近い警報である。

二つ目の折り返し地点は、手続きの範囲である。私は、撤回条件のない制度変更を提案しない。撤回条件とは、どの指標が歪んだらやめるのか、どの副作用が出たら止めるのか、どの頻度で見直すのか、誰が異議を言えるのか、である。撤回条件がない変更は、勝っても負けても人を踏む。だから撤回条件を先に置く。

三つ目の折り返し地点は、比較の範囲である。私は、周囲の昇進に敏感になる自分を否定しない。否定しないが、比較が私の言葉を汚し始めたら引き返す。汚すとは、相手を被告にすることだ。相手を被告にした瞬間、私は裁判官になる。裁判官になると、私は正しい。正しくなると、私は吠える。吠えると、沈黙が増える。沈黙が増えると、不正な戦い方が勝つ。だから比較が汚れ始めたら引き返す。引き返すとは、目的に戻ることだ。社会に善く還元する、という最初の目的に戻ることだ。

こうして私は、野心を完全に封じるのではなく、野心を運用として扱う道を取りたい。野心は燃料である。燃料は危ない。危ないからこそ、燃料には容器が要る。容器が倫理である。倫理は裁判ではない。倫理は折り返し地点である。折り返し地点があれば、私は人間性を失いかねない地点で、いったん止まれる。止まれれば、戻れる。戻れれば、戦争は不正になりにくい。

それにしても、去年の自分はこんなことを考えなかった。考えなかったのは、視界に階段がなかったからだ。階段が見えないとき、私は比較をしない。比較をしないとき、私は静かだ。静かだが、その静かさは諦めの静かさだった。いまの静かさは違う。いまの静かさは、まだ燃料がある静かさである。燃料がある静かさは危ない。危ないが、扱い方次第で善にもなる。私は今日、そこに立っている。

だから私はケインズを読み、ウルフの言葉に刺され、ウォルツァーを手に取った。私の直感は「気をつけよ」と言っている。直感は理由を持たない。理由を持たないからこそ、直感は早い。早い直感を、遅い運用に落とし込む必要がある。遅い運用とは、折り返し地点を紙に書くことだ。紙に書けば、私は明日も見える。見えるなら、私は少しだけ止まれる。止まれれば、私は少しだけ人間性を守れる。守れれば、野心は社会へ還元されうる。還元されるなら、昇進への敏感さはただの俗ではなく、運用の燃料になる。

では私は、仕事という戦場で、正しい戦争と不正な戦争の境界線をどこに仮置きし、ウルフの「人間性を失いかねない」という警報を、ただの不安で終わらせず、撤回条件としてどの手続きに埋め込み、野心という燃料を燃え散らかさずに社会へ還元するために、明日どの一つの折り返し地点を自分の言葉と行動に追加すべきなのだろうか。

 

 

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