・・・・・
近ごろ、私たちは「相性」という言葉を、アルゴリズムに委ねてしまっている。マッチングアプリが「あなたとこの人の相性は87%です」と表示すれば、なぜかそれを信じてしまう。数字で表されると、あたかも科学的根拠があるように錯覚するのだ。だが、愛と相性が計算可能だと本気で思っているなら、私たちはずいぶん愚かになったものだ。アルゴリズムが提供するのは、せいぜい「共通項の多さ」にすぎない。だが、本当の相性とは共通項の数ではなく、共通項がなくても一緒に笑ってしまう、あの不可解な瞬間に宿るものではなかったか。
アルゴリズムは、相性を「類似性」として測定する。好きな音楽、趣味、食べ物、価値観。入力された情報をもとに統計的な親和度をはじき出す。だが、それは人間をタグの束に分解した結果であって、血の通った「出会いの出来事」ではない。たとえば「映画が好き」と書かれた二人が、実際に映画館で沈黙を共有したとき、その沈黙が苦痛か心地よいかは、アルゴリズムにはわからない。むしろ、その沈黙の手触りこそが「相性」なのに、アルゴリズムはそれを計算外として切り捨てる。
文学は昔から、この「計算外」にこそ愛を見出してきた。雨の日に傘を忘れて、偶然隣に立った相手との沈黙。祭りの雑踏で手を取り合った瞬間の温度。まったく趣味の合わない二人が、なぜか互いを離れられなくなる不合理。こうしたものを私たちは「運命」と呼び、「愛」と呼んできた。だが、アルゴリズムはその不合理を「誤差」として消去する。偶然をノイズと見なし、効率的な類似性を差し出してくる。つまりアルゴリズムは、愛の文学性を最初から拒絶しているのだ。
そして、恐ろしいことに私たちはそれを受け入れ始めている。「この人は相性が良いとアプリが言っているから」と、初めて会う相手に期待する。だがその期待は、すでにアルゴリズムによって調整されたものだ。目の前の人間を愛しているのではなく、「アルゴリズムが推薦した誰か」を愛そうとしているのである。つまり、愛は最初から他者ではなく、システムに向かっている。恋人に惹かれているのではなく、アルゴリズムの正しさに依存しているのだ。ここに潜む皮肉は、あまりに深い。
社会批評的に見れば、これは現代人が「判断の責任」を手放していることに他ならない。かつて相性とは、長い時間をかけて確かめるものだった。ぶつかり合い、誤解し、和解し、また失望する。その反復の中で、「この人とならやっていけるかもしれない」という感覚が少しずつ芽生える。だが、そんな面倒は現代人にとって耐え難い。だからこそ、アルゴリズムに委ねる。「あなたとこの人は相性が良い」と言われたら、その手間を省けるのだから。だが、これは愛の外注である。人生の最も重要な選択を、数式に外注しているのだ。
もちろん、アルゴリズムは便利だ。数万人の候補から、似た趣味を持つ相手を効率的に見つけ出してくれる。だが、便利さの裏で失われるものを考えたことがあるだろうか。偶然、不一致、誤解、無駄――愛を成り立たせてきたのは、むしろそうした非効率の積み重ねだった。条件が揃った相手よりも、条件が揃わないのに気になって仕方がない相手こそ、文学が描いてきた愛の原型である。だからこそ私は言いたい。相性をアルゴリズムに委ねるのは、人間の不完全さを捨て去ることに等しい。
結婚生活を想像してみればわかるだろう。年収や趣味や価値観が一致しても、夜中に布団の取り合いをすることは避けられない。休日の過ごし方が似ていても、疲れて不機嫌になる日は必ずある。子育ての方針が一致しても、現実の泣き声の前では計画が崩れる。生活は「条件外」の出来事であふれている。だからこそ、愛は「条件外」を受け入れる力にかかっている。だがアルゴリズムは、その条件外を「不適合」として排除してしまう。こうして人は「完璧に合うはずの相手」と結ばれて、完璧に不満を募らせていくのだ。
文学的に言えば、アルゴリズムは「物語の始まり」を奪ってしまう。恋愛小説は常に、偶然や誤解や不一致から始まる。源氏物語も、トルストイも、カフカも、愛をめぐる物語は不条理に彩られてきた。だが、アルゴリズムは不条理を取り除き、予定調和だけを残す。そこには物語が生まれない。あるのは、条件の一致という空虚な前提だけだ。つまり、アルゴリズムは愛から文学を奪い、恋愛を「合理的なデータ処理」へと変えるのである。
それでも私たちは、今日もスワイプを続ける。なぜか。孤独が怖いからだ。偶然を待つには、現代はあまりに不毛であり、日常はあまりに忙しい。だから私たちはアルゴリズムに縋る。だが、その縋りつきが孤独を深めることに気づいているだろうか。アルゴリズムが保証するのは「似た条件の相手」だけであり、「あなたの孤独を受け止めてくれる相手」ではないのだ。
相性をアルゴリズムに委ねるのやめてもらっていいですか? 本当に大切なのは、不合理に惹かれてしまう心の震えだ。数値化できない違和感を抱え、それでも共に生きようとする意志だ。アルゴリズムは便利だが、愛を代行することはできない。人間が人間である限り、相性は数式ではなく、不可解な出来事としてしか立ち上がらない。
最後に・・・
アルゴリズムが相性を保証する世界に、果たして「愛」という言葉はまだ必要なのだろうか?