以下の内容はhttps://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2025/09/20/164226より取得しました。


プロフィールを株式公開みたいに書くのやめてもらっていいですか?

婚活のプロフィールを眺めていると、ときどき奇妙な既視感に襲われる。これはいったい何なのかと考えていると、ある瞬間にすべてがつながった。「ああ、これは株式公開(IPO)の目論見書だ」と。名前、年齢、年収、学歴、趣味、家族構成、将来設計――それらはまるで企業の財務諸表や成長戦略のように整然と並べられ、投資家=お相手候補の関心を引きつけるべく工夫されている。しかもそこには必ずといっていいほど「リスク要因」まで添えられている。「やや神経質なところがあります」「残業が多い職場です」「親との同居希望」――それはまるで「為替リスクあり」「不安定な市場環境」と脚注に書かれた金融商品そのものではないか。
そもそもプロフィールというのは、本来なら「不完全な人間がどんな偶然を生きてきたか」を伝えるものであるはずだ。だが婚活市場のプロフィールは、徹底的に「投資対象としての自己PR」に変形してしまった。自分の過去の失敗は「一時的な業績不振」と書き換えられ、趣味は「今後の成長分野」と見なされる。家族との関係性は「株主との良好な関係」と言い換えられ、健康状態は「今後も安定的な収益基盤」と脚色される。ここまで来ると、もはや愛の物語ではない。これは完全にビジネス文書である。結婚とは株式上場であり、夫婦生活は投資回収フェーズだというのか。
そして悲しいことに、この「株式公開的プロフィール」を読み解く眼差しを、我々も身につけてしまった。数字や経歴を素早くスキャンし、「割高か、割安か」「将来性はあるか」といった思考回路で人を判断する。愛する前に、まず投資判断を下す。デートの席は株主総会であり、質問のひとつひとつが「この企業に投資してよいのか?」という冷徹な視線を帯びる。そこにはもう、恋のときめきも、偶然の笑いも存在しない。ただの決算発表会である。笑いながら話している相手の顔が、ふと「IR担当者」にしか見えなくなる瞬間、恋愛市場の不気味さは頂点に達する。
だが、なぜここまで「株式公開的」になってしまったのか。答えは簡単である。市場に人が溢れすぎたからだ。数万人、数十万人単位で人がプロフィールを公開している状況では、「感性」や「雰囲気」だけで選ぶことは不可能になる。そこに現れるのは必然的に「比較可能な数字」であり、数字をそろえて書くことが生存戦略になる。年収、身長、学歴、勤務先――それらは株価チャートの指標のように、比較され、ランキングされ、評価される。投資家が「PER(株価収益率)」を気にするように、婚活者は「年齢÷年収」を暗算してしまう。人間が株式に還元される瞬間である。
アイロニーなのは、この仕組みが「透明性」「誠実さ」を謳っている点だ。株式公開の目的は投資家に情報を開示し、公平な取引を可能にすること。婚活プロフィールもまた「隠し事をせずに、最初からすべてオープンにしましょう」と教え込む。だが実際に起こるのは、逆のことだ。誠実さの名の下に、不誠実な脚色が横行する。年収は四捨五入され、体重は「多少ぽっちゃり」に変換され、趣味は「カフェ巡り」と無難に丸められる。まるで粉飾決算である。IPO直前の企業が赤字を隠して粉飾するように、人間もまた「恋愛上場」を果たすために、数字や言葉を加工するのだ。
そして投資家=お相手候補もまた、それを知っている。数字は盛られている、経歴は美化されている、リスク要因は過小評価されている。だが、それを承知で「まあ、この程度なら投資対象として許容範囲かな」と考えてしまう。そこにあるのはもはや愛ではない。完全な投資マインドである。相手がどう笑うか、どう怒るか、どう沈黙するか――そうした人間的な要素は「予測不能な市場変動」として処理される。愛はノイズであり、スペックと条件だけがシグナルなのだ。
しかし、ここで忘れてはならないのは、結婚生活とは決して株式公開後の安定配当などではないということだ。むしろ「予測不能な赤字続き」こそが現実である。子育ての苦労、病気、失業、家庭内の小さなすれ違い――それらはすべて、プロフィールには記載できない。にもかかわらず、株式公開的プロフィールは「未来は明るい」「成長余地大」といった楽観的な予想ばかりを並べる。だからこそ、結婚後の失望は大きい。投資家が「粉飾決算企業」に騙されたと怒るように、配偶者も「こんなはずではなかった」と嘆く。だがそれは騙されたのではなく、そもそも株式公開方式そのものが人間に馴染まなかっただけなのだ。
人間は企業ではない。愛は株価ではない。プロフィールを株式公開のように整備することは、一見公平で合理的に見える。だがその合理性の裏で、もっとも大切な「予測不能な魅力」が削ぎ落とされてしまう。誰かの笑い声に不意に惹かれること、雨の日に傘を忘れて一緒に走ること、どうでもいい失敗を笑い合うこと――それらはどんな目論見書にも書けない。むしろ「投資に向かない」と切り捨てられる要素こそが、愛を成り立たせてきたのではなかったか。
だから、私は言いたい。プロフィールを株式公開みたいに書くのやめてもらっていいですか? 人間を財務諸表に並べるのをやめてほしい。愛を投資判断に委ねるのをやめてほしい。もし愛に株価があるとすれば、それはいつだって暴落寸前であり、同時に奇跡的に持ちこたえる不可思議な曲線を描くはずだ。その曲線を面白がる余裕を持たず、安定成長と配当利回りばかりを求めるのなら、結婚はますます無味乾燥な金融取引に変わってしまう。
プロフィールは、数字や条件の開示ではなく、むしろ「どうしようもない自分の不完全さ」を滲ませる場であるべきだ。そこに惹かれる誰かと出会うことこそ、愛の始まりである。上場審査を通過するのではなく、たまたま笑ってしまう相手に出会うこと。その偶然を信じられなくなったとき、我々は人間をやめ、ただの銘柄コードになる。
さて、あなたは愛を探しているのか、それとも投資対象を探しているのか。




以上の内容はhttps://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2025/09/20/164226より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14