朝目を覚ましたショーペンハウアーは、ひどく不機嫌だった。窓を開けると、昨日まで蒸し返すように暑かった空気がどこかへ消え、冷えた風が頬を打った。夏の残骸を踏みつけるように秋の匂いが忍び込み、鳥たちはあっけらかんと季節を裏切っている。彼は思わずつぶやいた。「いきなり涼しくなるのは、やめてもらっていいですか?」。それは独り言であると同時に、地球そのものへの抗議状だった。
哲学者の眼には、この突然の涼しさは単なる気温の変化ではなく、世界意志の気まぐれに見えた。盲目的で理不尽な自然の力が、太陽と風を操り、ただ人間を弄ぶ。そこには配慮も合理もなく、ただ「こうありたい」という衝動だけが働いている。彼は小声で「地球は無礼だ」と吐き捨てた。世界は意志と表象である――その思想を何度も繰り返してきた彼だが、今朝ばかりは哲学者である前に、単なる被害者だった。
タンスから厚手のセーターを引っ張り出すとき、屈辱の思いが胸に渦巻いた。衣服を通じて人間は気候に従属する。袖を通すたび、我々は天候に膝を屈しているのだ。これは服飾の問題ではなく、屈服の制度化ではないか、と彼は憤る。革命を起こすべきだ。しかし誰に対して?相手は地球であり、天候であり、巨大な球体そのもの。蜂起するには敵が大きすぎた。結局彼はセーターに袖を通し、屈辱の身振りの中で反抗の夢を抱え込むしかなかった。
街を歩けば、広告には「地球にやさしい生活を」と刷り込まれている。人々はエコバッグを提げ、紙ストローを噛みしめながら、昨日まで冷房をフル稼働させていた部屋に戻っていく。ショーペンハウアーは苦笑した。「お互い、支配したいのか、従属したいのか、どちらなんだろう」。彼の抗議は地球に届かないばかりか、人間社会の矛盾に突き返されるばかりだった。
愛犬のアトマは冷たい風に尻尾を振って喜んでいた。犬にとっては散歩日和だが、哲学者にとっては存在論的危機。同じ風でも解釈はこれほど異なる。犬は幸せそうに毛をなびかせ、人間は喉の痛みを予感して身をすくめる。ショーペンハウアーは犬を撫でながら、なぜ犬は地球の横暴を享受でき、人間だけが存在の不条理に震えるのかと嫉妬を覚えた。
夜になり、彼は机に向かって新しい原稿を書き始めた。題名は『いきなり涼しくなるのやめてもらっていいですか?――世界意志への抗議』。冒頭にこう記した。「世界の本質は苦である。その根源は意志である。だが今日私はこう言おう――世界の本質は冷気であり、その根源は地球の気まぐれである、と」。筆は止まらず、彼はページを埋めていく。反抗とは勝利を意味しない。敗北を知りつつなお言葉を投げかける営みなのだ。
翌朝、さらに冷え込んだ。昨日の文句は届かなかった。いや、届かないことこそが地球という巨大な存在の回答だった。コートを羽織り、外へ出たショーペンハウアーの吐く息は白く煙る。「ならば、私は書き続けよう」。彼は歩きながらふと考える。温暖化だの寒冷化だのと議論を重ねる人間たちも、実のところ地球にとっては単なる寄生者にすぎないのかもしれない。けれど、人間が寄生する以上に地球を汚しているのもまた事実だ。抗議しながら加害する――その矛盾こそが、我々の存在の滑稽さではないか。
敗北を抱えた哲学者は、それでもなお筆をとった。地球への反抗文学は、届かぬままに続いていく。そして誰よりも自分自身に突き刺さる皮肉として、残り続けるのだった。