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婚活市場という言葉を口にするだけで、私たちはすでに世界を誤って理解しているのかもしれない。「市場」という響きは、需要と供給があり、数値化された価値があり、競争があるという前提を持ち込む。だが、そもそも人間の出会いや愛や家族の形成は、市場に乗るべき性質のものではなかった。婚活市場とは、愛を資本化し、人間を商品化する装置にすぎない。そして皮肉なことに、この市場が拡大するほど少子化は深まり、孤独は強化されていく。だからこそ、もし少子化を本気で改善したいのなら、婚活市場を壊さなければならない。ここに逆説がある。
婚活市場は「効率」を掲げて成長してきた。出会い系からマッチングアプリ、婚活パーティー、結婚相談所に至るまで、そのすべてが「効率的に最適な相手を探せる」という幻想を売りにしている。だが効率とは、条件の最適化を意味する。条件が数値化され、スペックとして比較可能になる。すると人間は人間ではなくなり、ただのデータ列として商品棚に並べられる。年収、学歴、身長、趣味、価値観。これらが照合され、フィルターにかけられ、ランキングされるとき、出会いは偶然性を失い、恋愛は統計の一項目に変わる。
しかし愛とは本来、無駄と偶然の中から生じるものだ。非効率だからこそ、人は予想外の相手に惹かれ、予定調和を裏切るように関係を深めていく。タレブが「ブラックスワン」と呼んだ稀な出来事は、人間関係の領域でも頻繁に訪れる。誰もが予期しなかった出会い、ありえないと笑われるような組み合わせ、そこからこそ子どもが生まれ、社会は持続してきたのだ。婚活市場はこの偶然性を排除する。だからこそ、人間は商品となり、出会いは形式化され、愛は形骸化する。結果、子どもは減る。
なぜか? それは「効率化」が生の厚みを奪うからだ。効率的に相手を探そうとすればするほど、相手は「最適化された条件を満たす誰か」であって、「この人でなければならない」という不可欠性を失う。互換可能な商品としての出会いは、互換可能な別の出会いに容易に置き換えられる。だから決断は先送りされ、コミットメントは弱まる。結婚を決められず、結婚しても続けられない。婚活市場は「出会いを増やす」のではなく、「決断を不可能にする」のだ。
ここにイリイチ的批判を重ねれば明快になる。イリイチは教育を制度化すればするほど人は学ばなくなると喝破した。同じように、結婚を制度化し、市場に委ねれば委ねるほど、人は本当に出会わなくなるのだ。市場に依存すればするほど、自分自身で出会いを紡ぎ出す力を失う。つまり婚活市場は、愛の非市場的な側面を破壊し、偶然の豊かさを剥ぎ取る制度なのである。
少子化の本質は、出会いの欠如にあるのではない。むしろ「出会いが市場化されすぎていること」にある。市場が提供するのは「大量の選択肢」だ。しかし選択肢が増えれば増えるほど、人は選べなくなる。結婚とは、不確実性に賭ける決断だ。だが市場は不確実性を削り取ろうとし、条件の最適化という幻想で不確実性を隠蔽する。その結果、かえって不確実性は不気味さを増して立ち現れる。結婚が「選択」ではなく「恐怖」になるのだ。
ならばどうするか? 市場を壊すのである。婚活産業を批判し、出会いを再び公共圏に取り戻すのだ。偶然が起こりうる場、無駄が許される場、非効率が豊かさに転じる場を回復しなければならない。地域のコミュニティ、友人関係、学びや遊びの場。そこにこそ「商品ではない人間としての出会い」がある。
ここで逆説が炸裂する。婚活市場を破壊することが、実は少子化改善の最短の道なのだ。なぜなら人は「条件の最適化」ではなく「偶然の必然」によって動くからである。恋愛も結婚も出産も、そのすべては効率の外側で起こる。偶然性と不確実性を回復することこそ、社会に生命力を取り戻す方法なのである。
タレブが強調する「アンチフラジャイル」とは、変動や不確実性から利益を得る仕組みのことだ。人間の関係も同じである。偶然やリスクにさらされることでこそ関係は強まり、世代は続いていく。婚活市場はその不確実性を消去しようとするがゆえに、アンチフラジャイル性を奪い去り、社会を脆弱にする。だから私たちは市場を壊さねばならない。
結局のところ、愛や結婚や子どもは、消費財ではない。比較して選び取るものではなく、流れの中で生まれるものだ。市場が拡大するほど、私たちは生の根源から遠ざかる。だから問わなければならない。
もし婚活市場を壊したら、何が始まるのか?
答えはこうだ。市場を壊せば、偶然が戻る。偶然が戻れば、人間が商品でなくなり、人間が商品でなくなれば、愛と子どもが戻る。