人間が社会生活を営むにあたって、二大不可能事がある。ひとつは「定時に帰ること」であり、もうひとつは「歯医者の予約を取ること」である。前者についてはもはや言うまでもない。定時退社は法的には認められているが、実際には神話上の存在であり、ユニコーンや河童と同じ領域に属する。だが後者、すなわち歯医者の予約の不可能性は、あまりに地味であるがゆえに深刻さが軽視されてきた。ここであえて私は声を大にして言いたい。「働いていると歯医者に行けない」という事実は、労働問題の核心を突く根源的テーマなのである。
考えてみてほしい。歯医者の診療時間は、だいたい午前九時から午後六時くらいまでである。奇跡的に夜八時まで開けている医院もあるが、そういう場所はたいてい人気すぎて三か月先まで埋まっている。つまり労働者が働く時間帯と、歯医者が働く時間帯がほぼ一致しているのだ。これは歴史的なねじれである。労働者が社会を支えるために歯を食いしばって働くと、その歯を治療する機会が永遠に失われる。歯を守るための歯医者が、歯を食いしばる労働者を拒んでいる――この矛盾に気づかないでよいのだろうか。
上司は言う。「歯医者? 土曜日に行けばいいじゃないか」。だが、土曜日の予約は一瞬で埋まる。月曜の朝に「今週土曜の午後」などと気軽に電話してみればよい。受付の人は、すでにあきらめを含んだ声で「申し訳ありません、来月の土曜でしたら…」と告げるだろう。来月? その頃には虫歯が神経に達し、もはや土曜どころか救急外来コースである。土曜予約はブラックホールである。光すら逃れられない。
では有給休暇を取ればいいのではないか。確かにその通りだ。だが有給取得をめぐる心理的ハードルは、歯の痛み以上に人間を苦しめる。「こんなことで休んでいいのだろうか」「プロジェクトが遅れたらどうしよう」「上司に何か言われたら…」という無言の圧力が、歯の神経にまで響いてくる。人は虫歯よりも「休みを申請する勇気」を失っていくのだ。結果、痛みに耐え、ロキソニンを飲み、歯医者に行かないまま労働を続ける。歯の神経は死に、労働者の神経もまた死んでいく。
この状況を逆に考えてみよう。もし人類が働いていなければ、歯医者の予約はいつでも自由に取れるはずである。失業者はいつでも午前十時に電話し、午後二時に治療を受けられる。無職は虫歯にならない、という新たな真理がここに発見される。つまり、虫歯の原因は糖分でも不衛生な生活でもなく、「労働」そのものである。働くからこそ虫歯は悪化し、働くからこそ治療ができない。この二重の呪いが労働に組み込まれているのだ。
もっと言えば、歯医者の待合室は資本主義社会の縮図である。朝一番に予約を勝ち取る者は、競争に勝ったブルジョワであり、昼休みに駆け込むサラリーマンは、たった十五分の診療に全存在を賭けるプロレタリアである。そして「キャンセルが出たので今から来られますか?」と連絡を受ける者は、歴史の偶然に救われた選ばれし者である。歯医者は歯を削ると同時に、労働者の魂をも削っている。
それでも我々は歯を磨き続ける。治療できないからこそ、予防にすがるしかない。電動歯ブラシを買い、フロスを使い、マウスウォッシュで口をすすぐ。夜遅く帰宅しても、眠い目をこすりながら歯を磨く。磨かなければ明日の朝に激痛が襲うと知っているからだ。この「セルフケアの強迫」がまた、労働の延長線上にある。労働によって生じた矛盾を、さらに労働によって補うという無限ループである。
なぜ働いていると歯医者の予約が取れなくなるのか。答えは単純である。歯医者もまた働いているからだ。働く者同士の時間が重なり合い、互いに相手を拒絶する。資本主義とは、労働時間が重なる社会のことである。もし歯医者が夜中の二時に診療を始めたら、そこは行列必至の大繁盛になるだろう。だがそうなったら、夜勤の人が来られなくなる。どこまで行っても、労働と医療は噛み合わない。まるで上下の歯がずれてしまった不正咬合のように。
それでも私たちは歯を食いしばって働く。歯を食いしばれば食いしばるほど、歯医者から遠ざかる。こうして「働く」という行為そのものが、ひとつの巨大な虫歯として人類を蝕んでいくのである。
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