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しょーぺんちゃん、読書会を開く

しょーぺんちゃん

 

・・・しょーぺんちゃんは、どちらかといえば静かな人だった。というか、誰かと何かを語るより、誰かが何かを語らずに黙っている時間の方が好きだった。

それでも、読書会を開いてみようと思ったのだ。
なぜって?理由はない。ただ、語られなかった言葉たちが積もっていくのを、見ていられなかったのだ。


宮台真司って、ラーメン屋ですか?」

最初に来たのは、ニーチェ先輩の弟だった。眉毛が太くて、語尾がいつも疑問形。哲学っぽいことにはやたら詳しいが、基本的に早とちりだった。

「違うよ、社会学者。性的退却とか、公共性とか…って言っても、まあ来ないよね」

「性の退却?…あ、それ、うちの母ちゃんが言ってました。“最近の若いもんは全然恋愛しない”って」

そういう話ではないのだが、何となく通じている気もするから、しょーぺんちゃんはうなずいておいた。


次に来たのは、カント先生。フリースクールで倫理を教えているらしい。

「読書会ですか……あれですか、“本を読んできてください”ってやつ。読んでなくても怒られないやつ」

「そう、読んでなくても怒らない。でも、読まなくても感じてること、言ってほしい」

「それって、逆に怖いですね。言葉を持たないまま、輪に入るのって」

そう言って、カント先生は時間通りに帰っていった。やはり定刻主義だった。


誰も来ない日が続いた。

それでも、しょーぺんちゃんは部屋を開けていた。というか、カフェの片隅を毎週予約していた。
コーヒー代は持ち出しだ。苦い味のする公共性。抽出されたのは孤独だった。


ある日、ノートを広げて「読書会が集まらない哲学的理由」を10個くらい並べていたら、見知らぬ女の子が声をかけてきた。

「それ、読んでもいいですか?」

「……どうぞ」

彼女は、やけに楽しそうにそれを読んだ。

「へえ。“知への欲望が羞恥とされる”って、めっちゃわかる。なんか“ちゃんとしてる人”って煙たがられますもんね」

「そう。“わかりあいたい”が共有されない時代」

「じゃあ、“わかりあえないけど話したい”でいいんじゃないですか?」

「……それだ!」


その日から、しょーぺんちゃんの読書会には、ぽつぽつと人が来るようになった。

「今日のテーマは、“名前のない生きづらさを、名前で呼ばない勇気について”です」

「長っ!」

「そういう感じです」

誰かが語り、誰かが黙り、誰かがコーヒーのおかわりを注文し、誰かがスプーンで氷をかち割った。

そのすべてが、読書だった。
文字を読むのではなく、沈黙と呼吸と、すれ違いを読むこと。


しょーぺんちゃんは、こういうのを「読む」って呼んでいる。

 

 

 

 

――「誠意は返品不可、愛もまた同様」の巻


ある日、しょーぺんちゃんは返品カウンターに立っていた。

「すみません、これ返品したいんですけど……」

差し出されたのは、やたらくたびれた小箱。ラベルには手書きでこう書かれていた。

「誠意」

店員の女の子は困った顔でそれを見つめた。

「えっと……誠意は返品対象外ですね」

「どうしてですか?」

「まずですね、使用済みです。あと、そもそも“誠意”って、こちらの商品ではなく、お客様がご自身で持ち込まれたものかと」


しょーぺんちゃんは思った。
“返品不可”――つまりこれは制度の問題なのだ。
でも、持ち込まれた側からすれば、「あまりにも重たすぎる」という現象でもある。


かつて、しょーぺんちゃんはある人に誠意を渡した。
誠意を込めた言葉。誠意を込めた企画。誠意を込めた返信。誠意を込めた沈黙。
どれも空振りに終わった。

そして気づいたのだ。
誠意は「込める」まではできても、「受け取る」かどうかは他人の自由だということに。


「じゃあ、処分してもらえますか?」

「それもできません。責任の所在が不明ですので」

「じゃあ、僕がこの誠意を抱えて、生きていくしかないんですか?」

「……それが、“生きる”ということではないでしょうか」

店員の女の子は、少しだけ優しい声でそう言った。


帰り道、しょーぺんちゃんは電車の窓に映る自分を見て、こうつぶやいた。

「重たいけどさ、きっとどこかで、誰かの誠意に触れたとき、今日のこれも意味を持つのかもしれないね」

そのとき、カバンの中の小箱がカタ、と鳴った。

中で、何かが微かに温まっていた。

 

 

 

 

――「落とし物センターにて」の巻


「落とし物をお預かりしています」

そう言われて、しょーぺんちゃんは首をかしげた。
何も落とした覚えはなかった。

「この“公共性”、お心当たりないですか?」

カウンターの奥から差し出されたのは、透明なケースに入った何かだった。
タグにはこう書かれていた。

拾得物名:公共性
特徴:よくわからないけど、誰かのための何かっぽい
拾得場所:図書館と公園のあいだのベンチ


「いや……公共性って、持ち歩くものなんですか?」

「多くの人がそう思ってないんです。でも、落とされるんですよ、よく。道端に。気づかないうちに」

「持ち主は?」

「だいたい、誰かだと思ってたら、自分だったってケースが多いですね」


しょーぺんちゃんは、しばらくそのケースを見つめた。
中の「公共性」は、しゃぼん玉みたいにふわふわしていた。
形が定まらず、見る角度によっては“誠意”や“孤独”にも見える。


ふと思い出す。

読書会を始めたころ、「来る理由がない」と言われたことがある。
「それって、誰のための会なの?」と問われ、うまく答えられなかった。

あれは、たぶんこの「公共性」を落としていた瞬間だったのかもしれない。


「じゃあ、預かります」

「ご自身のものとして?」

「……まだわからないけど、とりあえず、“置いておかない”ということで」


帰り道、公共性のケースはずっとかすかに震えていた。
人通りの少ない駅のホームで、ベンチに座ってしょーぺんちゃんはつぶやいた。

「こういうのって、誰かに返すものじゃなくて、たぶん、誰かと持ち合うものなんだよな」


ケースの中で、“公共性”が、ほんの少しだけ、形を帯びた気がした。

 

 

 

 

――「文学ギャグと、語感の責任」の巻


その日は朝から落ち着かなかった。
洗濯機がガタガタ鳴っているのに、しょーぺんちゃんの心も同じリズムで揺れていた。

「じっとできない……」

何かに追い立てられているわけではない。
だが、焦りにも似た内側のザワザワが、椅子に座るのを拒んでくる。


「そんな日は、ジッドを読むしかないな」

言葉が口をついて出た。
この文脈では、完全にダジャレだった。

「じっとできないから、ジッドを読む」


そのとき頭に浮かんだのは、かつて友人が放った一言だった。

「語感って、責任を持って遊ばないと、すぐ寒くなるよね」


しょーぺんちゃんは、書架から『狭き門』を引き抜いた。
本当に読みたかったのかどうかは、わからない。
でも、ジッドという響きに託された何かに、自分の落ち着かなさが共鳴したのは確かだった。


読み始めると、不思議なことに、じっとできるようになってきた。
いや、正確には「じっとしていることの意味」がわかってきた。

欲望を抑え、理想に殉じる人々の、息の詰まるような静けさ。
そこには、激しい葛藤と、語られない激情が潜んでいた。


「言葉って、表面は遊びでも、奥には火薬が詰まってるんだよな……」

ページをめくりながら、しょーぺんちゃんはそっとつぶやいた。
ジッドの文体の間に潜む、倫理と不安定さに、自分のザワザワが染み込んでいく。


その夜、しょーぺんちゃんはノートに一行だけ書いた。

語感の快楽には、意味の責任がついてまわる。

それは、ギャグを書く者としての、ささやかな倫理宣言だった。

 

 

 

――「沈黙と内面の劣化について」の巻


「読書とは、読むことにあらず。読まぬことを含んで読書である」

しょーぺんちゃんがこの言葉をメモしたのは、雨の日だった。
傘を忘れ、駅のベンチで濡れながら、なぜかそう思ったのだった。


このところ、本を開いてはすぐ閉じることが多い。
読む前にため息、読みながらまばたき、読み終える前に寝落ち。
そんな日々が続いていた。

「なんかさあ……読むって疲れるよね」

しょーぺんちゃんは、半分ベッドに埋まりながらベケットを開いた。


ゴドーを待ちながら

ページをめくっても、ほとんど何も起こらない。
登場人物たちはただ、待ち、喋り、諦め、また待つ。

それなのに、なぜか心が波立った。


「ボケッとしてることに、罪悪感がついてまわるのはなぜだろう」

SNSも、読書も、予定表も、すべてが「ちゃんとしろ」とささやいてくる。
でもベケットは違う。ベケットはむしろ、「ちゃんとしないこと」に居場所を与えてくれる。


しょーぺんちゃんは本を閉じ、窓の外を見た。
夕焼けが、ものすごく中途半端なオレンジだった。

「この空、完全に“意味なさげ”だけど……いいな」

そのとき、ひとつの思考が降ってきた。

“無意味”に居ることを、怖がらなくなったとき、言葉が静かに戻ってくる。


夜。ノートに今日の感想を書こうとして、ペンを止めた。
代わりに、まっさらなページを開いて、何も書かずにそっと閉じた。


それもまた、しょーぺんちゃんにとっての“読書”だった。

 

 


しょーぺんちゃんは焦っていた。
部屋に山積みの未読本、SNSにあふれる「この本が人生を変えた」系の投稿、
気がつくと、自分が何も積み上げていない気がしてくる。

「このままじゃ、何にもなれないんじゃないか……」


とにかく、古典を読むべきだと思った。
哲学の筋トレ。思考の基礎体力。
選んだのはアリストテレス

『ニコマコス倫理学

なんか、読んでるだけで賢くなりそうな響きだった。


だが、読み始めてすぐ、めまいがした。

「すべての行為と選択は、ある善を目的としている」

ああ、出た。目的論。

何かをするには、目的がなければいけないのだ。
でも、自分にはよくわからなかった。
そもそも、読書って「何のため」なんだっけ?


焦ってページをめくるたびに、「目的」「完成」「幸福」「最高善」――
どれも、しょーぺんちゃんの“今ここ”にはフィットしなかった。


そのとき、ふと本から目を上げる。
窓の外では、ちょうど夕陽が、隣のアパートの壁に半分だけかかっていた。

「あの夕陽って、何の目的で、あそこにかかってるんだろう」


たぶん、何の目的もない。
でも、その“意味なさげな一瞬”の美しさが、
アリストテレスよりもしょーぺんちゃんの心に残った。


その夜、彼はノートに書いた。

目的がなくても、立ち止まって見てしまうものがある。
それが人生の“余白”だとしたら、読書もまた、そこに属するのかもしれない。


本を閉じる。
焦りも、少しだけ静まっていた。

 

 

 

 

――「承認欲求と、哲学的ひとり相撲」の巻


「どう思われてるんだろう……」

しょーぺんちゃんは、コーヒーを飲みながらスマホの画面を見ていた。
いつもより長く「いいね」がつかない。
読書会の投稿にも反応がない。

「もしかして、ウザいって思われてる……?」

いや、誰も見ていない可能性だってある。
そもそも、自意識が勝手に暴走しているだけかもしれない。


そんなとき、ふと思い出した一冊があった。

コジェーヴヘーゲル読解入門』

「承認欲求」を哲学的にこじらせた第一人者(?)の本だ。

人間とは、承認を求める存在である。

ページを開いたとたん、しょーぺんちゃんは膝を抱えた。
なんだか、自分の全部が見透かされている気がして。


「僕って、SNSの“いいね”を求めて読書してたのかな……」

そんなわけはない。そんなつもりはなかった。
でも、誰にも読まれない読書日記に、どこかで「誰かに届いてほしい」と願っていた。

その“願い”が、承認という名の檻になることもある。


コジェーヴは書く。

奴隷は主人の承認を求めるが、
真の自由とは、承認されずとも自己を貫くことだ、と。

「無理やろ……」

しょーぺんちゃんは本を伏せて、机に突っ伏した。
自由って、そんな簡単に手に入らない。


でも、そこでふと考えた。

「読書って、承認されるためにするんじゃないよな。
誰かに届かなくても、自分の思考が届く場所がある。
たとえば、ノートの上とか。コーヒーの底とか。夜の静けさとか」


ページを閉じたしょーぺんちゃんの顔には、ほんの少し笑みがあった。
こじれはしたけど、すこし風通しがよくなった気がした。


その夜、ノートにこう記した。

こじれは、思索の通過儀礼
承認されない自分にも、そっと言葉を贈ることが、読書という営みの始まりかもしれない。

 

 

 

 

――「道徳と小声のアイロニーについて」の巻


「うそーん……」

しょーぺんちゃんは呟いた。
朝からニュースアプリを開いたせいだ。正義が言い争っていた。

正しさの声は、いつもデカい。
そして、正しさのぶんだけ、どこか怖い。

「ちょっとホーソーンでも読むか……」


ホーソーン
清教徒的道徳、社会的制裁、隠された罪、重たい主題。

それなのに、不思議と彼の文体には、“小声のアイロニー”がある。
声高ではない皮肉。真正面からは照れくさくて言えない道徳。

『緋文字』を読みながら、しょーぺんちゃんは思った。

「これ、“うそーん”って言いたくなるくらい、重くて優しいな……」


そのとき、ひらめいた。

「うそーん → ホーソーンベイトソン

この三段活用に、何かが宿っている気がした。


第一段階:うそーん(感嘆)
予期せぬ現実。説明不能な倫理的ノイズ。「マジかよ」の知的入口。

第二段階:ホーソーン(内省)
道徳の形式と倫理のズレに目を凝らす。沈黙と語りの境界線。

第三段階:ベイトソン脱構築
ダブルバインド」「メタコミュニケーション」「学習のレベル」――
つまり、「わかりあえなさ」そのものを思考する知の深層へ。


「この三段活用、完全に使える……!」

しょーぺんちゃんはノートにこう書きつけた。

文学ギャグ三段活用:
「うそーん」で戸惑い、
ホーソーン」で沈思し、
ベイトソン」で枠組みそのものを見直す。


その夜の読書会。
誰も来なかった。けれど、それでよかった。

しょーぺんちゃんは、空の椅子に向かって言った。

「人と話す前に、自分の“うそーん”を正直に持ち歩くのが、たぶん誠意なんだよね」


沈黙が返ってきた。
でも、それは意味のある沈黙だった。

 

 

 


「詩を読もう」と思った。
なんとなく、世界のノイズに疲れていたのだ。
広告の文字は叫んでいるし、SNSの言葉は急ぎ足すぎる。

静かな言葉に触れたい。
そう思って書店で薄い詩集を一冊選んだ。


帰宅してカバーを外し、最初のページを開いたとき、
しょーぺんちゃんは目をこすった。
「詩」が一瞬「死」に見えたのだ。

「……死を読む?」

笑いながら、でも妙に背筋がのびた。
詩は、どこかで“死”に触れている。
言葉の終わりや沈黙を抱え込みながら、かすかな命を灯している。


一篇の詩をゆっくり読む。
読んでも意味がわからない。
でも、ことばの間に流れる沈黙が、確かにこちらを見つめてくる。


「詩ってさ、“説明しない勇気”だよな」

しょーぺんちゃんは、ページをめくりながら小さくつぶやいた。


夜が深くなる。
窓の外の月が、やけに近く感じた。
何もかも説明できない世界のまま、でも少しあたたかく見えた。


ノートにこう書き残す。

詩を読むと、
世界はすこし“言葉以前の呼吸”に近づく。
死を読むように、
生をたしかめるために。


その夜、しょーぺんちゃんは灯りを消して、
ベッドのなかで「詩」と「死」の境界をぼんやりと撫でていた。

 

 

 

――「誠意は返品不可、愛もまた同様」の巻・続編


しょーぺんちゃんは今日もカフェの隅にいた。
例の読書会は、やっぱり今日も誰も来なかった。
でも、今日は少し違った。

テーブルには、小さなメモ帳が置いてあった。
誰かがそっと置いていったものらしい。
表紙には、手書きの文字でこう書かれていた。

「返品不可のものリスト」


ページを開く。

・誠意
・時間
・まちがえた告白
・待ってしまった日々
・自分だけが読んだメッセージ
・返事が来なかった手紙
・“あのとき”の沈黙
・名前を呼ぶタイミングのズレ
・言わなかった「ごめん」
・言いすぎた「大丈夫」
・そして、愛


しょーぺんちゃんは、その最後の一行で少しだけ笑った。

「そして、愛」

まるで最後のオマケのように書いてあるけれど、
それがすべてをまとめているようでもあった。


「愛って、返品できたら、楽なんだけどな……」

自分が与えた気持ち。
うまく返ってこなかったやりとり。
すれ違い。照れ。誤解。沈黙。

どれも「間違い」だったようにも思えるし、
でも、なかったことにはできない。


そういう意味で、愛は「制度に合わない」んだと思った。

誠意は、返品不可。
愛もまた同様。
つまり、これは“契約”ではなく、“贈与”の領域にある。

そして、贈与されたものをどう扱うかは、
相手の責任でも、世界の責任でもない。

たぶん、自分の中で熟していくしかないのだ。


帰り道、しょーぺんちゃんはそっと呟いた。

「“届かなかった愛”って、
 届かないこと自体が、すでに一つのかたちなのかもな……」


家に帰って、読書ノートを開く。
ページの上に、今日の答えのような文字が残った。

返品できないからこそ、
 愛は責任でも、所有でもなく、
 ただ、ふるまいとして、そこにある。


しょーぺんちゃんは電気を消して、静かにこう付け加えた。

……だから、怖いけど、たぶん、自由だ。

 

 

 

――「間違って多めに持ってきてしまったプライドについて」の巻


読書会のあと、カフェでふと思い立ってメッセージを送った。
ちょっと仲良くなれそうな気がした参加者に、「今日はありがとう、また話せたら嬉しいです」と。

返事は、来なかった。


一日、二日、三日……
そのあいだ、スマホを見るたび、胃の裏側がひっくり返った。


「え、もしかして嫌われた……?」
「いや、既読ついてないし、単に気づいてないだけでは……」
「てかそもそも、送った自分が図々しかったんじゃ……?」


こういうとき、自分の中の「哲学者」が勝手に目覚める。
勝手に語り出す。

他者からの沈黙とは、私の言葉が届かなかったことではない。
 それは、私が“届いてほしいという期待”を自分で設定していたことの暴露である。

うるさい。
でも、否定できない。


カフェのトイレで鏡を見た。
今日の自分、やけに「しっかり者っぽい服装」をしていた。
たぶん、最初から“ちゃんと見られたい”と思っていた。

「……あ。プライド、多めに持ってきてたわ」


もしかして、読書会って、
人と本をめぐって話すだけの場所じゃなくて、
“自分がちゃんとした人間であることを確認する儀式”にすり替わることがあるんじゃないか。


その夜、返品センターに立つ自分を想像した。

「すみません、プライドを……多めに持ってきてしまって……」

「返品は不可です。使用済みですね」

「はい……」


しょーぺんちゃんは、机の上のノートにこう書いた。

プライドとは、持ちすぎると目が曇る。
 持たないと、歩けなくなる。
 ちょうどいい量が、いちばん難しい。


翌朝、スマホを見る。
やっぱり、返事は来ていなかった。

でも、しょーぺんちゃんはそっとスマホを伏せて、コーヒーをいれた。
ちょっとだけプライドを減らして。

 

 

――「制度と誠意のあいだで立ちつくす者たち」の巻


役所に行った帰り道、しょーぺんちゃんは自販機の前で立ち止まった。
何を買おうとしたのかは、もう忘れてしまった。
ただ、「案内された窓口では対応できません」と言われた、その言葉が頭の中をぐるぐるしていた。


窓口A → 窓口B → 上司に確認します → 書類の形式が違います → もう一度申請を → あと3週間待ってください → その間に期限が切れます


「形式、って何なんだろうな」

しょーぺんちゃんは缶コーヒーを開けた。苦かった。


思えば、自分も読書会で同じようなことをしていた気がする。
「この本を読んでから来てください」
「発言は一人◯分まで」
「テーマに沿って話しましょう」

それって、誰かの“誠意”を取りこぼしていたんじゃないか。


制度と誠意は、たいていズレている。
でも、制度がなければ、場は成立しない。
誠意がなければ、場は空虚になる。

両方を同時に満たすことは、思ったより難しい。


それに、制度の外に誠意があるとき、人は傷つきやすくなる。
たとえば──
誰も見ていないのに返信した言葉。
誰にも褒められないけど準備した資料。
「こんなことしても意味ないかも」と思いながら用意した椅子。


それでも人は、「ズレたままやる」しかない。
なぜなら、完全に一致する制度も、完全に受け取られる誠意も、たぶん存在しないからだ。


しょーぺんちゃんはノートに書いた。

誠意とは、制度のすきまから、にじみ出るもの。
ズレることを前提にしないと、傷は深くなる。
それでも、ズレたままつなぐ。それが、責任のかたち。


帰り道、いつもより風が強かった。
持っていたノートが一枚、ひらりと飛んだ。
でも、追いかけなかった。

ああいう風に、意味もなく飛んでいくものが、
いちばん“誠実”かもしれない。

 

 

 

――「ズレたまま、私たちは語りうるか」の巻


読書会は、ついにゼロ人になった。

いや、もともと人は来ていなかったけれど、
「来るかもしれない誰か」すら想定できなくなった日だった。


それでも、しょーぺんちゃんは席を取った。
テーブルに本を並べ、お水を三つ出し、空の椅子を用意する。

「形式だけ」は、ちゃんと整えておきたかった。


「読書会」ってなんだろう?
「読む」って何だ?
「会う」って何だ?

そんな問いが、いつのまにか、「問いすら成立しない問い」になっていた。


机のうえに置いたノートには、
今日のテーマとして、こんなことが書いてあった。

形式にならない誠意について

その言葉を見つめていたら、涙が出そうになった。
なぜかは、わからなかった。


形式は人を守る。けれど、形式だけでは届かないものがある。

誠意は人を傷つける。けれど、誠意なしには、誰にも触れられない。

だから私たちは、“ズレたまま”話すしかない。


読書会が始まらない部屋で、しょーぺんちゃんは静かに語りかけた。

「こんばんは。今日は誰もいません。でも、話してみます。
本のこと、あなたのこと、そして、私のこと。
たぶん全部ズレてるけど、それでも聞こえるかもしれないと信じて。
これは、形式にならない誠意です。」


沈黙が、優しかった。
そのなかに、“誰か”がいないのに、“誰かと”話している気がした。


ノートに今日の記録を書く。

読むことも、語ることも、誤配されている。
でもそのズレのなかにだけ、
私たちは誠実であれる。


帰り際、空の椅子を一つだけ残した。

誰かが来るためにではない。
“誰かが来なかった”ことを、責めないために。

 

 

 

――「読むとは、会えなかった人に手紙を書くこと」の巻


「この本は、あなたのために読みます」

そう呟いて、しょーぺんちゃんはページを開いた。


「あなた」とは誰か。

今日来なかったあの人かもしれないし、
最初から存在しなかった“誰か”かもしれない。
あるいは、もう会えない人。
名前すら知らない遠くの誰か。
もしかすると、未来の自分。


「読む」という行為が、自分だけのものじゃないことに、気づく瞬間がある。

ページをめくる手の向こうに、
たしかに“あなた”がいる気がするのだ。


読んでいるうちに、しょーぺんちゃんはふと、
昔の友人のことを思い出した。

言いそびれたまま離れてしまった人。
返事が来なかった手紙。
最後に交わした、ぎこちない沈黙。


彼(彼女)は、今日もどこかで本を読んでいるかもしれない。
いや、読んでいないかもしれない。
でもそれでも、

「いま、私はあなたのためにこの一節を読んでいる」

そのことが、どうしようもなく大切だった。


読書とは、会えなかった人に宛てて書く、返事のない手紙なのかもしれない。


しょーぺんちゃんは、読んだページの余白にこう記した。

To someone I never met.
Still, I read this for you.


誰かに返されることのない誠意。
誰にも気づかれない選書。
誰とも共有できなかった感動。

それらすべてが、かえって静かに息をしていた。


帰り道の坂道で、しょーぺんちゃんはつぶやいた。

「読み続けることが、たぶん、出会いのかたちのひとつなんだろうな」

そして、もう一つ。
「たとえその人に、もう会えなくても」

 

 

 

『しょーぺんちゃん、本を読むとはどういうことかを、もう一度考える』
――「読むとは、まだ言葉にならない

『しょーぺんちゃん、本を読むとはどういうことかを、もう一度考える』
――読むこと、語ること、沈黙すること、そのすべての意味を問い直す回。

 

 

――「読むとは、まだ言葉にならないものとともにあること」の巻


ある晴れた午後、しょーぺんちゃんは、読書会を開かなかった。

椅子も並べず、本も用意せず、ノートも置かず、
ただ一冊の本だけを持って、近くの川辺に向かった。


風が吹いていた。
ページがめくれるたび、ひとつずつ問いが飛ばされていくようだった。


「読むって、どういうことなんだろう」


読むとは、知識を得ること?
感動を味わうこと?
誰かと共有すること?

たしかに、どれもそうかもしれない。
でも、いまこの静けさのなかでは、すべてが違って見えた。


しょーぺんちゃんは、ページを閉じて、何も書いていない見開きをじっと見つめた。

**“読めないページ”**が、こんなに雄弁だったとは思わなかった。


読むとは、
たぶん、「言葉になる前の気配」に、ただ寄り添うことだ。

まだ理解できないこと。
説明できない想い。
沈黙のまま、そこにいる他者。
うまく話せない自分自身。


読むとは、“未完成なものたち”のそばに居続けること


それは、何も解決しない。
けれど、何かを壊さずに済む。

それは、何も語らない。
けれど、語りうる未来を信じること。


しょーぺんちゃんは、川辺にそっと一言つぶやいた。

「読むって、たぶん、
“今はまだ言葉にできないもの”と、一緒にいてあげることなんだね」


そのとき、遠くのほうで誰かがページをめくる音がした。
見えなかったけど、確かに「誰かが読んでいる音」だった。


そして気づいた。
読むことは、出会うことではなく、たがいに“読む存在であること”に気づくことなのだと。


ノートには、こう書き残した。

読むとは、まだ言葉にならないものを、
無理に言葉にしないまま、大切に抱えて歩くこと。
そのまなざしが、きっと“読む人”をつくる。

しょーぺんちゃんは、本を閉じた。
読み終わったのではない。
いま、このページを、これからも何度でも読むのだと思った。

――完

 




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