「誠実すぎる男はモテない」という俗説がある。
これは笑い話のようでいて、わりと真実を突いている気がする。
なぜなら僕自身、誠実をこじらせて幾星霜。
もうこの歳になると、モテるよりも誠意ある死を遂げたいと思ってしまうのだ。やれやれ。
◉ モテたい自分 vs 誠実でいたい自分
恋愛というのは、基本的にタイミング・軽やかさ・表情筋の柔軟性が重要だ。
一方、倫理は逡巡・自省・反省文の長文化を要求してくる。
これらは共存しない。
口説こうとしても「この言葉には階級的バイアスがないか?」と気にしすぎて話せない。
デートの帰り道、相手の沈黙に「表現されざる意志の尊重」を読み取って勝手に帰る。
結果、「誠実なのに何考えてるかわからない人」と呼ばれる。
やかましいわ。こっちは倫理的沈黙を貫いておるのだ。
◉ 高橋和巳という、モテなさの天才(たぶん)
ここで唐突に、高橋和巳である。
僕が読んだ『悲の器』や『日本の悪霊』には、倫理のために社会と恋愛と仲間を犠牲にする男たちが出てくる。
それはもう気持ちいいくらいに、不器用で、孤独で、うっとうしい。
彼らは人を愛するより、正しさを愛しているように見える。
でもその正しさは、自分を責め続ける「悲しみ」の別名でもある。
倫理って、なんなんだ。
モテの反対語なのか? それとも「ひとりで寝る理由」の言い換えなのか?
◉ 『悲の器』という恋愛免疫ワクチン
『悲の器』を読むと、人間の矛盾が内臓レベルで沁みてくる。
理想を追うあまり、現実の人間関係を壊していくあの主人公に、僕は見事に共感してしまった。
「オレ、ああなりたい」とは思わない。
でも、「オレ、ああなってるかも」とは思う。
少なくとも、LINEの返信が遅いのは、誠実さのせいであって、興味がないわけではない。たぶん。
◉ 『日本の悪霊』と、読書倫理主義者の末路
『日本の悪霊』の知識人たちは、理想を語りながらも次々に挫折する。
「倫理とは何か」を追求しながら、身近な人間を大切にする余裕を失っていく。
あれ? これ、Twitterの哲学アカウントの人たちじゃん……と、読んでてつぶやいた。
正しさに憧れるほど、現実の人間関係から遠ざかる。
倫理が強すぎると、人はどこかで他人の温度を失ってしまう。
そして気づく。
「モテないのは、容姿のせいじゃない。倫理のせいだ」と。
◉ 結論:倫理の仮面をかぶって寝る夜もある
最後に、こんな自問を置いておく:
モテるために誠意を曲げるか、誠意を貫いて独りで寝るか。
たぶんどちらも間違いではない。
でも、もし高橋和巳が教えてくれることがあるとすれば、
それは「誠実であろうとする人間は、かっこよくも、みじめでもある」ということだ。
その矛盾を、生きろ。
倫理とは、誰にも伝わらない夜に、
自分だけが納得できる言い訳のことなのかもしれない。
📚 読書後記
倫理の話をしていると、だいたいモテない話になるのはなぜだろう。
いや、もしかするとその逆か――モテない人間は、いつだって倫理に逃げてきたのかもしれない。
というわけで、今日も誠実に寝ます。
夢の中でくらい、軽やかに口説きたいものですね。
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