参考記事
東京・市ヶ谷。梅雨明けの午後、曇り空の合間に射す日差しが、古書の匂いと混ざってアスファルトを照らしていた。
法政大学出版局の前の小道を、眼鏡をかけた細身の青年が歩いていた。名は「鵜飼翔一(うかい・しょういち)」。通称「ウ人間」。大学時代からウニベルシタス・シリーズを蒐集し、SNSで週に一度は「今週のウニベルシタス」と題して難解哲学書を紹介することで密かな注目を浴びていた。
彼の部屋には、黄色と白の背表紙が並ぶ特設棚がある。ヘーゲル、フッサール、カッシーラー、そしてウィトゲンシュタイン。だがその日、彼の関心を一気に奪ったのは、法政大学出版局『思索日記』(アーレント)だった。
「これは……ウニベルシタスでは、ない。でも……“思索”とは何かを問うなら、まさにこの書だ」
ウ人間・鵜飼は、いつもなら法政大学出版局のWebサイトで新刊をチェックし、出るたびに自作の「ウ判定表(難解度・独自性・翻訳の凄み)」を用いて分析していた。しかし、『思索日記』に出会ってから、彼の「哲学地図」にひびが入る。
毎朝、ノートを開き、アーレントの断章を写し、思索を始める。「思索とは、世界との距離を取ることではなく、むしろ世界に近づく行為である」。彼はアーレントの言葉に導かれるように、仕事帰りに街を歩き、見知らぬ人々の表情に思いを馳せるようになる。
思索は彼を変えた。SNSの「今週のウニベルシタス」は「今週のアーレント思索断章」にすり替わり、読者からの反応は激減。しかし彼はかまわなかった。むしろ、誰にも読まれなくても、自分にとっての「生きた哲学」がここにあると感じていた。
ある日、ノートにこう記した。
「私はウ人間をやめたわけではない。ただ、アーレントによって、“人間”に近づいたのだ。」
秋、彼は再びウニベルシタスの棚の前に立つ。だが今までとは違って見えた。「思索日記」の経験によって、ウニベルシタスの本たちは、単なる難解な記号ではなく、他者への問いかけとして開かれていることに気づいたのだ。
彼はブログを始める。タイトルは「ウ日記 × 思索日記」。ウニベルシタスの書を一冊ずつ読み直し、アーレントの視点から照らすという試みだった。それは一部で話題となり、いつしか「ウ人間」は、「読書を通して思索する人」として再評価されていく。
冬の終わり、鵜飼はアーレントが『思索日記』のなかで記した一節に、静かに目を落とす。
「私は人間であることをやめたことがない。なぜなら、私は思索を続けていたからだ。」
彼はペンを取り、今日の思索日記を書く。「思索とは、ウニベルシタスと生活の間を行き来する振動である」と。
その日、鵜飼は馴染みのカフェ「アンフィテアトロン」にいた。壁一面に書棚が設えられた店内には、ウニベルシタスの『制度論叢書』から『精神の現象学』まで、なぜかさりげなく並んでいる。
カウンターの奥では、同年代の女性が本を読んでいた。鵜飼の視線が止まる。その手にあるのは――『思索日記』。
「……アーレント、お好きなんですか?」
思わず声が出た。自分の中で日常語と化していた名前を、他人の生活の中に見出した驚き。女性は少し微笑んで、本を伏せた。
「ええ。彼女の言葉って、時々、日記なのに誰かに話しかけてるみたいで」
「……そう、なんです。僕も最近、思索日記を写してて。誰かが読むとは思ってなかったのに、でも、誰かに届いてるような……」
それは奇妙な会話だった。だが、意味のあるものだった。
――思索とは、沈黙の中にひそむ対話だ。そうアーレントが言ったかのようだった。
その夜、鵜飼は「思索日記」の端にこう書き添えた。
「思索は、世界と私の間に開く静かな声。それが、ときどき他者に届くことがある。」
そしてページを閉じると、そっと微笑んだ。
「この店、名前がすごいですよね。“アンフィテアトロン”って、円形劇場のこと、ですよね?」
鵜飼が尋ねると、女性はコーヒーのカップをくるりと回しながら答えた。
「うん、ギリシア語。舞台と観客が対峙する場所。……でもこの店だと、舞台が本棚で、観客が私たちって感じかも」
言葉に笑いがにじむ。名前を尋ねると、「森川です、森川葵(もりかわ・あおい)」と名乗った。大学で西洋思想を学び、卒業後は出版社に勤めているという。
「まさか、ウニベルシタスを扱ってるような……?」
「ちょっと近いです。でも最近は、あまり売れない哲学書をどう売るかばかり考えていて……ときどき、自分でも“思索”から遠ざかってる気がする」
そう言うと、森川は『思索日記』をパラパラとめくった。
「でも、こうしてアーレントを読むと、忘れてた何かを思い出すんです。自分の思いを“言葉にする前の段階”みたいなものを」
鵜飼は頷いた。森川の言葉は、自分が日々ノートに綴っていた思索の輪郭に重なる。二人の間に、沈黙が流れる。だがそれは、不安ではなく“考えている”沈黙だった。
「……あの、葵さん」
「はい?」
「また……ここで会いませんか。“円形劇場”の観客として。少しずつ、言葉にする前の思いを話せたら、って」
葵は静かに笑った。
「“観客”じゃなくて、“登場人物”として、じゃないですか?」
舞台が、ひとつ、始まった気がした。
それから数週間、「アンフィテアトロン」はふたりにとって静かな習慣の場になった。週に一度、午後の光がやわらかく差す時間に落ち合い、本とコーヒーと少しの沈黙を分け合う。
その日、鵜飼はノートを一冊持ってきていた。紺のハードカバー。中にはアーレント『思索日記』の抜粋と、それに応じた彼自身の断章が綴られていた。
「見せていいか迷ったけど……読んでみてほしいんです。僕なりの“思索日記”。まだ雑なんだけど」
葵は受け取ると、ページをめくる。
ある一節に目が止まる。
「世界を愛するということは、世界の醜さから目を逸らさないことだ。
だから私は“読む”ことで目を開く。“日記”は、そのまばたきの記録である。」
「これ……」
葵の声は、驚きと、どこか安堵がまじっていた。
「これ、私が言葉にしたかったことです。アーレントの“Amor Mundi”って、たまにきれいごとに聞こえるけど、でも、彼女はずっと“現実を見る”って言ってましたよね。ナチズムのあとでも、ホロコーストを見たあとでも」
「そう、目を逸らさずに世界を思索するって、すごく――苦しくて、でも、人間らしい」
葵はそっとノートを閉じた。
「鵜飼さん、これは出版すべきですよ」
「え?」
「“読むこと”を通じて“考えること”に触れる人が、いま必要だと思うから。アーレントは“公共性”って言ったけど、それってつまり“言葉にして、差し出す”ってことじゃないですか?」
鵜飼は息をのんだ。
彼にとって「ウ人間」としての読書は、自己との対話だった。だが、アーレントに出会い、葵に出会ったことで、「読むこと」が世界との関係を結び直すものに変わりつつあった。
「……じゃあ、ふたりで書きませんか?“読む日記”、あるいは“思索日記”のふたり版。ウニベルシタスとアーレントを縦糸にして」
葵は笑った。
「いいですね。タイトル、どうします?」
「……“アンフィテアトロン日記”とか?」
「ちょっとダサいですけど、それもまた“世界愛”かもですね」
ふたりは声を立てて笑った。
その笑いも、またひとつの思索だった。
つづく