受苦と揚げ音とモーガン・フリーマン
ショーペンハウアーは天丼を選んだ理由について、明快だった。
「人生は苦である。そして、苦に対する最も即効性のある緩和は、サクサクとした衣に包まれたエビの咀嚼である」と。
その日、彼は珍しくブルーレイディスクを手にしていた。映画『ショーシャンクの空に』。彼はAmazonで間違って注文してしまったのだ――本当は「刑務所制度の社会哲学史」みたいな本がほしかった。しかし返品はしなかった。何か意味があるのかもしれない、と思った。
天丼の店から持ち帰った紙袋を開けたとき、「てってれってってててれん♪」という謎の効果音が脳内に響いた。特に音源があるわけではない。これは生きることのメロディーか、はたまた存在の錯覚か。彼は、丼に顔を近づけ、ひとつ深呼吸をした。
「うむ、受苦はここから始まる」
そうつぶやきながら、彼は再生ボタンを押した。
-自由とは、タレがしみこんだ白米のようなものである-
アンディ・デュフレーンが岩を削る場面にさしかかったとき、ショーペンハウアーはエビ天に箸を伸ばした。
「彼は希望という幻想に賭けている。しかし幻想こそが人生を駆動する。天丼もまた幻想だ。現象界における一時的な悦楽。つまり、無意味だ。しかし――うまい」
天つゆが白米にしみこみ、心の虚無をほんのわずかに埋めるような感覚がした。
「自由とは、濃厚すぎず、だが薄すぎもしない絶妙なタレのようなものだ」
その瞬間、画面の中でモーガン・フリーマンがナレーションを始めた。
> 「ある日、アンディが言った。『希望は良いものだ。たぶん最高のものだ。そして、良いものは決して死なない』と」
ショーペンハウアーは苦悶の表情でごはんをかきこむ。
「それは――詩的だが、まるで納豆にメープルシロップをかけたような暴力的希望主義だ!」
しかし、彼は画面から目を離せなかった。人間の意志は盲目的でありながら、なぜか岩を削る。その行為が、揚げナスとエビ天と共鳴する。
-すべては天丼であり、すべてはショーシャンクである-
映画の終盤、ショーペンハウアーは玉子天の柔らかさに打たれていた。
「世界は表象である。だが、世界が天丼であるならば、私はこの卵を通して世界の柔らかさを知ったのかもしれない」
アンディが海辺の村へとたどり着き、レッドが汽車に乗る場面。すべてが決着し、希望が形になる。
ショーペンハウアーは丼を見つめた。もう天ぷらは残っていなかった。タレのしみた白米が、最後に彼に問いかけた。
「本当に、すべての欲望は苦を生むのか?」
ショーペンハウアーは静かに答えた。
「……いや、エビ天だけは、例外かもしれん」
そして、タレはしみこみつづける
映画は終わった。ショーペンハウアーは立ち上がり、空になった丼を抱えて窓の外を見た。ザワタネホの海はなかった。ただ、曇り空のベルリンが広がっていた。
「苦しみも、希望も、そしてうま味も、すべては世界の反映だ」
彼は静かにテレビを消し、もう一度再生した。「てってれってってててれん♪」
哲学者は今夜も、謎の効果音と共に、人間という不条理な存在の深淵を――スプーンでひとさじ、またひとさじすくいながら味わっていた。