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恐怖の対象とズレについて。決定論。非決定論。

ちらの記事の続きである。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

僕が思い付いたこと、それは、

罪悪感の前に、恐怖の対象が個人間でズレているのでは?ということである。

例えば余命宣告を受けたとする。

「ああ、もうだめだ」

「自分がいけなかったからこんなことに、、、」

この両者のズレ、それは、

恐怖の対象が、宣告そのものなのか、宣告によるものかのか?である。

ここに、「神」が介入することで、自責か他責が分かれるのでは?と感じた。

 

これは決定論とも関係がありそうである。

運命は神によって決められているのか否か。

無神論者は宣告や病に恐怖を抱くかもしれない。

ただ、神を信ずるものはそうなのか?と突き詰めると、なかなか難しいと思う。

 

つづく




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