【上関城山歴史公園マップ】 上関海峡を見下ろす標高58mの丘の上にある上関城山歴史公園はとても美しく癒されました。その上関城(かみのせきじょう)の歴史を垣間見て古に心を寄せてみます。【他の写真】

【上関城・北高台跡】 上関城は南北朝時代から戦国時代にかけて村上水軍の海城(うみじろ)でした。上関城は現在の愛媛県今治市宮窪を本拠とした能島(のしま)水軍の村上義顕(むらかみ・よしあき)が、現在の山口県熊毛郡上関町の長島に海関(かいかん=税関)を設置し、代々居城としました。【他の写真】

【上関城・北高台跡の物見台】 この地は瀬戸内海の交通上、西端の要衝である上関海峡という関を見張る上で絶好の立地条件でした。上関城はそうした機能と徴税権行使のため築城されました。城兵は上関海峡を通る船から帆別銭(ほべつせん=船舶の帆を単位として徴収される税金)や荷駄銭(にだせん=運送する荷物の量に応じて徴収される税金)を徴収して免符(めんぷ)を発行しました。【他の写真】

【上関城・中央の曲輪(くるわ=居住・貯蔵庫など)跡地】 天文20年(1551年)、陶氏(すえし・周防国・長門国の守護代)の廻船がこうした上関城の掟を無視して、将軍家献上の米を船に積み、現在の周防大島浮島(うかしま)を本拠とする宇賀島(うかしま)水軍の警固(けご=警護)のもと、上関城を銃撃して上関海峡を通航しました。【他の写真】

【上関城・曲輪跡地から主郭跡の丘を望む】 上関城では早船をもって本拠に連絡し、三島(さんとう)村上水軍<能島(のしま)・来島(くるしま)・因島(いんのしま)>から兵船を出して、陶氏の船を安芸蒲刈(あき・かまがり)の瀬戸で迎撃しました。このため陶氏は村上水軍を上関城から追放して、この地を宇賀島水軍に守らせたのです。

【上関城・主郭跡の丘の冠木門(かぶきもん・観光用に設置されたもので上関城に冠木門はありませんでした)から曲輪跡地を望む】 しかし、その後、能島の村上水軍は宇賀島水軍と戦闘を繰り返し、上関城を奪回して村上水軍が上関城を居城としました。天正18年(1588年)、豊臣秀吉の海賊禁止令により、能島・来島・因島の三島村上水軍は海上支配権を失いました。これにより、上関城は廃城になったと推定されています。【他の写真】

【上関城・主郭跡の丘】 この上関海峡は過去に壮烈な紛争の歴史を抱えています。でも現在は平和で美しい海峡です。中東のホルムズ海峡もイランにより封鎖され世界経済に多大な影響を与えています。一日も早く中東の紛争が終結して平和が実現し、ホルムズ海峡も自由に通航できるようになればと思います。日米首脳会談後の夕食会(3月20日)では高市首相の好きなX JAPANの「Rusty Nail」が演奏されました。この曲は過去の心の傷・苦しみ、喪失・死・葛藤が表現されていますが、生き抜いていく強い感情も読み取れます。高市首相も過去に「Rusty Nail」を歌っています。私の好きなMiiも「Rusty Nail」を歌っています。【他の写真】

【上関城・主郭跡の丘から南高台を望む】 上関城は平成10年(1998年)度に発掘調査が行われ、その後、平成15年~19年に上関城山歴史公園として整備されました。上関城山歴史公園では2月下旬~3月上旬に、約190本の河津桜や約8000球の早咲き水仙が見ごろを迎えます。海に囲まれた空気のきれいな高台で開催される桜まつりは、桜のピンク、水仙の黄色、瀬戸内海の青色のコントラストが鮮やかに来場者を迎えてくれる人気のイベントです。【他の写真】
