ナゲー国・女王陛下は、
一応、体内から分裂した
2人の子供達の母でもありますが、
母の日には、高2国民から何か施しを
受けたようで
(内容は感知しておりません)
何を隠そう、ナゲー総理大臣も
「父」という意外な側面の肩書きを持っております。
だけど悲しいかな、
父という扱いを全く受けておらず、
(ゴミ扱いかな?イヤ、ゴキブリ扱いかも)
父の日に、何かを頂けるような状況にはなく、
(まあ、子供である国民が生きていればそれでよい)
自分自身も「父」という自覚が全くありません。
どうせなら、「乳の日」を制定して・・・・
これ以上書くのを自粛するナゲーです。
※ ヅラのプレゼント、お待ちしております。
受付は、お問い合せフォームまで。
ということで、ナゲの日が来月に迫ったナゲーブログ
本日も大合理化に踏み切った
廃線間近の様子をご紹介して参ります。
父の日には、じゅうぶんご注意下さい。
2001年8月1日。


2001年8月20日。
北野畑~更地間。

何の花か分かりませんが、
次の年からは、花だけになります。
赤石~長瀬間。

根尾川は、天然鮎の宝庫。たぶん。
あちこちに「やな」があって
鮎料理を楽しめます。
鮎料理屋さんの前を、ガタゴト走っておりました。



谷汲~長瀬間。

結城神社の境内を通り抜けました。
2001年9月3日。黒野駅。

突っ込み線で休憩する「モ751号」
2001年9月8日。

廃線まで1ヶ月を切りました。
お名残乗車さんが増えてきたので、
モ510形の出番が多くなりました。
谷汲からの電車が到着します。


こんなにお客さんでごった返すのは、
何年ぶりのことでしょうね。
更地駅の「モ510形」

通い慣れた線路も、もうすぐ終わりになります。
更地~北野畑間。


3両しか居ない「モ750形」も
2両編成になって、チョー満員。
いつもこれぐらい乗ってたらなぁ。
対岸の崖によじ登り。




北野畑駅を望みます。
2001年9月13日。谷汲駅。

夜間は、まだまだ誰も居ませんでした。


お客さん、ゼロで発車していきます。
2001年9月14日。



この子の記憶には、残らないだろうなぁ。


地元の小学生も通学に使っていました。
いつもなら、小学生だけの貸切電車なのに、
普段は乗らない人でいっぱい。

というナゲーも、最後に乗っておこうと、
黒野駅で折り返し。

年代モノのマスコンハンドルを握る運転士さん。



近代的な駅舎にしたのにね。
昆虫館が併設されていましたが、
集客には繋がりませんでした。
古い駅舎の方が、谷汲線には似合ってました。
2001年9月15日。黒野駅構内。



黒野駅には、ヌシのネコちゃんが
いつもお出迎えしていました。

豊木駅。

稲富駅。
この駅までは、住宅街でした。



ニンジン畑かな?
稲富駅を発車すると、田舎色になります。
2001年9月18日。更地駅。
谷汲線にとって、最後の
谷汲山・華厳寺の月命日。



平日だったので、
それほどお客さんは居なかったですが、
それでも日中2両編成で頑張りました。
長瀬~赤石間。





2001年9月22日。

いよいよ、「さよなら」の文字が
掲出されました。
2001年9月24日。

「モ750形」の側面に
「交通安全」のシールが貼られました。
モ750形の命運もあと6日ですけど。
2001年9月25日。

根尾川の清流とも、まもなくお別れ。
2001年9月26日。



夜になっても、
ドマニアさんが出没するように。
2001年9月27日。

朝方は1両は休んでいる「モ750形」
日中からは最後のフル稼働になります。

電車に関心が無い人は、
「無くなったらバスかぁ」ぐらいの思いか。
平常通りの朝のフーケー。

昭和初期車と携帯女子。

「本揖斐行き」と「谷汲行き」が
それぞれの道へ。
2001年9月29日。


あと1日で、75年の歴史を閉じます。
お互い、老体に鞭打って
最後の日まで頑張る電車たちでした。
次回は、4路線・1列車
最終日の汚写真をご紹介します。

畳の気持ちよさを知る、ノンノちゃんです。
2000年7月頃。
今日はこの辺りで失礼します。