ナゲーは、よく「チャッカマン」と言われます。
(科学忍者戦隊ではない)
腹が立つと、一気に火が付き、
手を離すと、シュポッと消える・・・。
最近、ブラック会社のアホ共相手に
炎上している自分がアホらしくなってきて、
急速に「まあ、どーでもええわ」と
なってきています。
そんなことに自分の時間を費やしていることが
たまらなく、勿体なくなってきました。
解決に時間が経ちすぎてるにも一因。
昨年9月から闘ってますから、すでに半年以上。
アホな奴らのために失った時間は計り知れない。
思えば、イビられつづけた半生でした。
保育園→給食無理矢理先生。
小学校→体罰先生で少々難聴。
中学校→イジメで不登校。
行く先々の会社で、変な奴に絡まれ続け、
反会社的な性格になってしまいました。
(これぞ、自称任侠道)
数日前、実に数ヶ月ぶりに
アホ会社の社長と会話を交わした際、
「お前が余計なことをしてくれたから大変やわ」
「☆☆(対立するバカ社員)との問題は解決済みや!」
社長からのイビリに対し、
再び、反社戦隊チャッカマンに変身するナゲーです。
(まったく、懲りないナゲーやね)
ということで、消火寸前ナゲーブログ
本日も、名古屋鉄道さんの大合理化策で
犠牲になった、4路線1列車のうち
イビリーには、じゅうぶんご注意下さい。
忠節~本揖斐間、18.3kmのうち、
黒野~本揖斐間、5.6kmが
2001年9月30日をもって
廃線となりました。
これといった特徴は無い路線でしたし、
揖斐駅がありましたので、
この時点で、1時間に1本まで
運行本数が減らされていたうえに、
黒野駅で乗り換えを強いられていました。
特に困る住民も少なく、
強烈な反対運動が起こることもなく、
ひっそりと消えていった感があった線区です。
撮影日が前後しますが、
黒野駅から順番にご紹介して参ります。
それでは、よろしければご覧下さい。
2001年1月3日。
田舎にしては巨大なターミナル・黒野駅。

田舎の駅は、最先端のバリアフリーが多いですね。
本揖斐方面は、構内踏切を渡って乗り換えます。
一番左側のホームが、ほぼ本揖斐行きの専用ホーム。
電車の床は高く、
ホームからはヨッコラショットとなります。
青いドコモラッピング電車は、
「モ780形」路面区間直通電車。
明らかに電車の大きさが違います。
右側のモ780形電車は小さいですが、
この小ささが、後々大問題を引き起こします。

次は「中之元駅」
周囲は宅地化が進行中でしたが、
電車を利用する人は、ほぼ皆無。
岐阜市街へ行くには、クルマの方が速く、
1時間に1本の列車では、
使い物になりませんでした。

次は「清水(きよみず)駅」
ホームが自転車置き場になってます。
ここも周囲は宅地化進行中。
駅の一角だけは、時が止まっておりました。

終点の「本揖斐駅」
開業は1928年(昭和3年)
(現・養老鉄道)さんの方が
開業は古く、1919年(大正8年)には
すでに中心部に「揖斐駅」が出来ていました。
開業当初からの駅舎と言われていますが
詳細は不明。
立派な駅舎ですが、末期は無人駅にされていました。
ここからは、揖斐線のフーケー汚写真を
ご紹介して参ります。
それほど特徴のない、
淡々とした路線でしたが、
田舎だなぁの雰囲気を感じてもらえれば幸いです。
2001年9月15日。

本揖斐から、ワンマンカー黒野行きが
黒野駅構内に進入してきます。
通勤時間帯の写真ですが、すでに電車はガラガラ。

構内にある踏切より。
意外と複雑に線路が入り組んでます。
でも、全部手動のポイントですけど。
黒白の丸いヤツが付いているのは、
通称「ダルマポイント」
黒白のは「錘」になっていて、
オモリの重さでポイントがズレないようになっています。

朝方1回だけ見られた、
「谷汲行き」と「本揖斐行き」の同時発車シーン。
実際には、本揖斐行きが数秒早く発車していましたので
どうしてもズレが生じてしまって
上手くまとまらない汚写真に。

左右に股裂け状態に。
ナゲーのケツも裂けてます。
2001年9月20日。

同時発車を、デルタ地帯から見た構図。
羨ましいぐらい、草ボーボーですけど。
黒野駅を発車した本揖斐行きは、
進行方向左へ、大きくカーブをして
終点を目指します。
谷汲行きは右へカーブをしていきます。

直後に「三水川」を渡ります。
人も渡れるようになっていたのかなぁ。
写真だけ見ると、そんな雰囲気です。

中之元駅すぐにあった、
お堂みたいな建物と。

中之元駅。
珍しく、日中なのにお客さんが居ました。
牛乳は大好きですが、
そういえば、人乳って売ってないですね。
(そうゆう発想しか出来ないのか)
沿線に1ヶ所だけ、酪農家の横を通り過ぎていました。



中之元~清水間。
一瞬の出会いなので、汚連写で。
いつも通っている電車なので、
ホルスタインちゃんは、ビックリしません。
そういえば、豚乳も無いですね?

清水~本揖斐間。
沿線の小学校には、こんな垂れ幕も。
寂しく思う方も、いらっしゃったんですね。
2001年9月14日。

清水を出ると、ほぼ国道沿いに走ります。
国道はビュンビュンとクルマが。
2001年2月7日。

本揖斐駅に進入する「モ750形」
廃線までまだ半年あった時。
日常の光景でした。


ノンビリしてましたね~。
交通弱者にとっては、
金銭的にも唯一の移動手段。
だったんですけどね。
本揖斐駅は、独特のムードがある駅でした。



大きい屋根が付いていて、
終着駅!っていう雰囲気が漂っていました。
お客さんがたくさん居た頃は、
右側の線路も使われてたんですね。
2001年9月3日。

ポツポツと、ドマニアさんが
出没するようになってきた頃。

こうなると、日常も破壊されますね。
人のこと言えませんが。

木造電車の「モ750形」
廃線告知の貼り紙が出してありました。
2001年9月13日。
夜の本揖斐駅を見たくて。




黒野~本揖斐間も、スタフ閉そく式。
運転士さんが、踏切ボタンを押して
発車していきます。

電車が行ってしまうと、
1時間の静寂が訪れます。
2001年9月22日。

廃線10日ぐらい前から、
モ750形には「さよなら」の文字入り系統板が
掲出されるようになりました。
こうなると、もうドマニアさんがウジャウジャに。
人のこと言えませんが・・・・。

朝の通勤・通学風景。

パラパラと普段通りのお客さんが
新岐阜方面の電車に乗り換えます。


しっかり見ないと分からないぐらいの
小さい文字の「さよなら」
仕方ないなぁ、モード丸出し感。
2001年9月26日。

さすがに夜になると、ドマニアさんも
ほぼ居なくなります。

最終日まであと4日ですが、
そんな雰囲気は、系統板だけ。

数人の地元客を乗せて、まもなく発車。

行っちゃいました。何事も無いかのように。
実は、最終日に4路線全てを
写真に収めたかったんですが、
岐阜県の東西、端から端まで
あまりにアチコチに廃線区が飛び散りすぎて、
全て回れなかったので、
後日ご紹介する、最終日だけの写真に、
揖斐線だけ数日前に撮った写真を混ぜます。
ちょっとインチキ気味ですが、
ご了承して頂いて、
70数年の歴史に幕を下ろした、
次回は「八百津線」をご紹介致します。

なぜか、ナゲー愛用のコップで
手を突っ込んで氷で遊ぶノンノちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。