本日は、ちょっと忘れかけていた
「オヤジ」の件について、ご報告致します。
いつ退院したんだっけ?忘れちゃった!アハハ!
そんなに仕事も勤務変更できず、
※ ホントは出来たけど、変更するとイヤな奴と
組む仕事になってしまうので
変更しなかった自分勝手のナゲー。
先週水曜日の退院後の初診察は
嫁さんに泣いてすがって、連れて行っていただきました。
他人の親のために、ホントにがんばってくれています。
死ぬほど感謝しております。(死ねませんが)
話しによると、例の淡々とした「田中麗奈」(似)先生。
「傷跡を見せて」といわれ、
オヤジは枯れかけの森林地帯まで
パンツをズリ下ろしたそうです。(完全ジジハラですね)
動じることなく、傷跡を診た後、抗ガン剤の話しへ。
「まあ、年寄りやし苦しいのもアレやで、あと2~3年やろうし」
田中麗奈(似)先生は、引きつった笑みを浮かべ、
「じゃあ、止めとこか?ホントはやってほしいけど」
3ヶ月後に予約し、その場は終わったそうです。
仕事から帰宅後、嫁さんにひれ伏すナゲー。
家へ帰ってからは、当然といえば当然ですが、
胃が3分の1なので、食欲もなく、腹も空かず、
鳥のエサみたいな量の食事を、1日5~6回。
(任侠野鳥の会・構成員ナゲーは鳥のエサは食べません)
ちょっとの咳とかで、吐きたくなくても吐いてしまったり。
ネットによると、3~4ヶ月で普通は食欲も戻ってくるみたい。
脳タリンでも、胃が無いよりはマシかと思う、無責任ナゲーです。
ということで、こちらはすでに亡くなった
ナゲーのプチフーケーとしてご紹介して参ります。
ナゲーに惜しまれながら、廃線になりました。
まだまだ元気だった頃、1992年9月18日の様子です。
まさか9年後に廃線になるなんて、
1ナノメートルも思っていませんでした。

毎月18日は、谷汲山華厳寺の月命日の日。
西国三十三番、満願霊場ということで、
他の場所は巡らなくても、ここだけ行けば
全部巡ったことになるという、もの凄く罰当たりな
ナゲーの勝手な解釈で有名。
お正月と、毎月18日だけは混雑する谷汲線でした。
写真は「更地駅」
(更に痔なんて、縁起が悪すぎる!)
といいつつ、駅周辺は更地はあまりありませんでした。
ナゲーが好きな雰囲気の駅の1つでした。

いつもは「モ750形」ワンマンカーが、
1時間に1本、行ったり来たりしていましたが、
命日には、2両編成の電車が助っ人で入り、
30分間隔の運行になりました。
(30分間隔のウンコじゃありませんよ)

大型車の「ク2320形」が、大量のお客さんを捌きました。
(大量って程の量じゃありませんでしたが・・・・)

ピストン輸送なので、すぐに折り返してきました。
谷汲線は、結構な勾配路線でした。
モータ無しの「ク2320形」を、
ヒーヒー言いながら押し上げる「モ750形」
(ナゲーも坂道は、ヒーヒー言います)

はぁ、登り切りました。

今度は急な下り坂!
古い電車は、スピード制御が大変です。

この先の「北野畑駅」で行き違いした「黒野行き」が
急な坂を登ってきました。
1両なので身軽です。
(ナゲーは毎日、職場で気が重いです)

トコトコ走っていくところが、何とも好きでした。
(ナゲーがトコトコ走ると、笑われます)


赤石~北野畑間。
一面の田んぼが広がる場所。
根尾川の流れの形に沿うように、
線路はクネクネ曲がっています。
(まるで、ナゲーの性格のようです・・・)

「黒野行き」が、車体を揺らしながら走っていきます。
自然冷却方式がまだまだ当たり前に走ってた時代。

意外と山岳路線のような谷汲線。
無くなったのが悲しいと言いながら、
撮影はクルマで移動。
ホントは、電車で移動したいところですが
そうすると、たくさん効率的に撮れないし、
「¥」が飛ぶように消え去るし、
鉄道ドマニアの苦しい立場です。
次回も、谷汲線をご紹介します。

まるちゃんの、光と陰・・・・怖い・・・。
今日はこの辺りで失礼します。