
祭壇に飾ったお花。1月2日に母が他界し、今日、初七日で、住職さんにお経をあげていただき、ようやくひとだんらくついた感じです。
もう少し一緒にいられると思っていましたが、急変し、それでも姉弟そろって看取ることができたのはありがたかった最後でした。
でも、私より若い友達の中にはすでにご両親を亡くされた方も多く、そう思うと母は長生きしてくれたのだなと思います。
明るい色の花が大好きだった母なので、祭壇にはそんな色合いの花を飾っていただきました。
実は、昨年1月に、このブログに掲載しようかと下書きしていた記事が残っています。
ちょうど岡谷市川岸の保育園の閉園・合併の記事を読んだことをきっかけに、母から戦中・戦後の保育の歴史を詳しく聞き取りをしていました。

戦中、終戦、日本国憲法による児童福祉法の制定、公立保育園の設立、川岸村から岡谷市への合併、高度経済成長期のにぎわいとたくさんの子供たちの居た時代。
諏訪地方の産業の移り変わりとともに歩んだ保育の歴史を、母の記憶と岡谷市史を照らし合わせながら、アーカイブのように下書きにまとめていました。
母の生家のご近所が写真館でもあったため、母のアルバムには当時の写真が数多く残っています。
川岸村の保育園、合併後の岡谷市の保育園、アルバムを開くと、そこに写る子どもたちの多さに驚かされます。
運動会かなにかでしょうか。

初七日を終え、保育士時代の母を知っている方があまりにも多いことをあらためて知りました。
もともと生真面目な性格ですが、よけいにもきちんとしていなければと襟をただしていたのだと、母らしい人生でした。
母に見られても恥ずかしくないよう、私もまた生真面目に、誠実に生きていかねばならないなと思います。大変ですね。
今夜、久しぶりに車を降りて空を仰ぎました。夜空を仰ぐのは何か月ぶりでしょう。
頬にあたる空気は凛として冷たく、見上げた空には満天の星が瞬いていました。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
おしまい。
