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2025年に出会った「こんな読書があったのか」(改めて自己紹介に代えて読書遍歴と最近読んだ衝撃の本とこのアカウントの所信)

(長々と読書遍歴を話すので、めんどくさい人は目次から飛んでください)

目次↓

読書なんかしたことがなかった

小学生の頃、我が家は本を所有せず、ドラゴンボールダイの大冒険だけがリアルタイムで追加されていく、そんな家庭だった。

当時はまだ朝の十分間読書というような習慣はなく、図書の時間も読むのは漫画(社会見学ものや日本の歴史や世界の歴史を好んで読んだ、あと鉄板のはだしのゲン)。

けれど物語を読むのは好きだった。国語の教科書は学校のものも塾のものもとりあげられなかったものまですべて読んでいた。
夏になると書店で配られる文庫フェアの冊子を数社分もらってきて読んでみたい小説をタイトルで選んで内容を想像していた。しかし実際に買ったり借りたりして読むには至らなかった。

だってドラクエの方が面白いだろう。

初めてまともに読んだ小説に衝撃を受ける

そんなわたしが中学一年のとき、ある小説に出会う。ほとんど本の無い(図鑑や漫画日本の歴史などはたくさんあったよ、親の名誉のため)我が家になぜか一冊あった「未成年」という小説だ。

ドラマ「未成年」の原作者本人によるノベライズ小説だが、衝撃でしかなかった。内容も思春期の自分には刺さるだけ刺さった。多分刺さってない皮膚の部分の方が少なかったんじゃ無いかってくらい共感に共感に共感だった。
ヒロの演説は今でも空で言えるくらいにはまり、そこから小説も面白いかもなと思い始めた。

しかし中学生の女子というのはモテしか考えていない。わたしは標準体重ぎりぎりくらいで小さくて顔もかわいくなかったのだが、なぜか頑張ればモテると思っていた。勘違いである。とにかく化粧やおしゃれ、それからジャニーズにしか興味がないのが当時の13歳の標準であり、読書などしていている友達はいなかった。

第2の読書体験

そんなわたしが中三のころ、また小説の面白さに出会う。教科書に載っており誰しもが一度は読んだことのある「いちご同盟」、この作品で小説に心を掴まれたわたしは図書館で三田誠広の作品をほとんど読破することになる。今思うと平凡な小説なのだが、少年が青年に変わっていく過程が丁寧に描かれておりまあ教科書に載るよなあという印象ではある。

この頃も夏の文庫フェアはタイトルだけチェックして読みたい小説のあらすじを読んでは、しかしそれでも物語を想像するだけで終わっていた。

ついにあいつに出会う

そしてさらにそんなわたしが高一でなんと、村上春樹に出会う。
塾の先生の自己紹介冊子におすすめの本「風の歌を聴け」と書いてあり、その先生を好きだったわたしは、その本をとても読んでみたいと思った。三田誠広を読破していたので小説に対するハードルは下がっていたのだろう。

ということで図書館で「風の歌を聴け」を借りて読み、また衝撃を受ける。「わたしのことが書いてある」そう思った。これは読書あるあるなのだが、たとえば太宰の「人間失格」を読むと誰しもが「わたしのことが書いてある」と思うものだ。その現象がわたしにもちゃんと起こったのだ、「風の歌を聴け」で。

そしてわたしは親と出かけるたびに古本屋でちまちまと村上春樹の作品を集めた。図書館で借りるのではなく、「所有したい」と思った初めての作家である。高校の3年間は親にねだり、大学に入ったらバイトをして村上春樹を買い揃えた。

そして小説家になりたいと、いつしか思っていた。
しかし思っても努力をしないのがわたしという人間である。

大学生女子が思うこと、それはモテである。それしか考えていない。当時のわたしは彼氏と準彼氏という体制で大学生活を謳歌させていただいていた。体重は相変わらず標準体重ギリギリだったが、顔は化粧でもどうにもならなかったが、なんか知らんが刺さる人には刺さって、彼氏に恵まれた。

大学時代はずいぶんたくさんの本と漫画を読んだ

とはいえ読書は続けていた。アルバイトをすればある程度のお金手に入る。今ほど携帯料金は高くなかったし(格安SIMはなかったけど)、今ほど飲食店も高くなかったし、今ほど文庫本も高くなった(一冊千円なんてしなかった)。

なので借りて読むより買って読むことが多くなった。
夏目漱石を、芥川龍之介を、太宰治を読んだ。伊坂幸太郎を読んだ、江國香織吉本ばななを読んだ、レイモンド・カーヴァーをカッコつけて英語で読んだ、舞城王太郎に出会った。芥川賞はすべてチェックした。セカチューも恋空も読んだ。なお、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」は1ページ目で挫折した。

漫画もたくさん読んだ。あだち充好きすぎる、吉田秋生やばすぎる、矢沢あいえぐすぎる、羽海野チカこじらせすぎ。マイナーなものもよくジャケ買いした。覚えてないほどたくさん読んだ。

しかし自分で小説を書いてみたのはほんの2、3作で、漫画はもちろん書いたことはない。今思えば一番本気で書いた物語は、保育園の時書いたお姫様が主人公の絵本だな……という感じだ。

しがない大人になり、激務でつぶれた

そうして、小説家にはならず、しがない社会人になった。本はタイトル買いをしてたくさん読んでは本棚があふれブックオフに売るを繰り返した。覚えてないくらいいろんな本を読んだ。読書好きの先輩がいたので本を貸したりしていた。おすすめしがちなのがオタクの厄介なところである。

次に、激務になった。本なぞ読めない。
身体の調子を崩し、精神を患い、ただの病弱の無職になった。

30代は自らの暗黒時代と言えよう。身体も精神も病んでおり、一年の半分を病院で過ごすような年が何回もあった。
初めの頃はひたすらゲームをしていた。FF9がわたしの中の一番好きなRPGDQ4を塗り替えた。

活字が読めるようになって爆読みした

活字が読めるようになるまで時間がかかったが、大好きな「風の歌を聴け」や「好き好き大好き超愛してる。」をひたすら読み返すうちに、他の本も読めるようになった。

入院のたびに4,50冊読むようになり(だって1から3ヶ月入院するから)、昨年は100冊読むのを目標にして99冊読んだ。
読む小説は完全にタイトル買いである。kindle Storeでセールになっているものや、ちまたで話題のベストセラー、kindle unlimitedで面白かったシリーズの続編など。

それらの感想をブログにアップしてきた。
自分は読書が好きなんだと思った。たくさん読んで、たくさん感想を書いて、世の小説読みの中でも上澄みに入るくらい良質な読書をしていると思っていた。
(しかし精神を病んでいたので(いま元気)、覚えてないものが多い、感想ノートをブログやnotionでつけており本当によかった)

しかし違ったんだよ。
そのことを今日知ったんだよ。
この本を今日読むまで、読書がこんなに楽しくて面白くて人に話したくなるようなものだったなんて、忘れてたor初めから知らなかった。
こんな本の読み方があったのか。

こんな読書はしたことがない

本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む〜走れメロス一房の葡萄杜子春・本棚 / かまど・みくのしん

 

 

この本は、読書好きが読むとものすごい衝撃を受けると思う。

内容としては、本は難しいから読めないと思っていた32歳のバーグハンバーグバーグ社員みくのしんさんが(なんか作家じゃないからさんづけしたい気分)、同じくバーグハンバーグバーグ社員のかまどさんのおすすめの短編を読んでいくというもの。

みくのしんさん(本名)の読書はやべぇ。
黙読できないとのことで音読して読んでいくのだが、一文一文情景や心情を想像して読むので、本気で怒ったり本気で焦燥感を感じたり本気で感動したりする。カメラワークが気になったり、作者の文章力に唸ったり……とこう文字で書いてしまうと普通の読書体験のように思えるのだが、違うのだ。

これが読書なら、わたしがしてきたのはなんだったのか。

と、思う。
みくのしんさんは、読書をしてこなかったとは言うがwebライターの仕事をしているだけあって、文章に触れてこなかったわけではないのだろう。というか、多くのwebコンテンツを吸収して生きてきたのではないかと思う。

webライターをされてる方なので当たり前かもしれないが、言語化能力が高い、高すぎる。それを全部言葉に出しながら本を読んでいくので、全然物語が進まないのだが、臨場感があってとても面白い。
「西日」っていう言葉一つで何が描写されていてそれがどう自分にささってどんな気持ちになったのか、みたいなことを全部言語化して説明していく。

こんな読書ある?
自分の感情をひとつひとつ言語化して先を想像して気持ちを考えてカメラワークまで考えて、読んでいく。決して単語ひとつ読み飛ばさない。

小説読みでも、知らない単語を適当な類推で済ませたり、長い描写を読み飛ばしたり、めんどくさい設定を見て見ぬ振りしたり、そんなこと日常的にあると思う。
けれど、みくのしんさんはそれをしない。
そんな真摯な読書、したことがなかった。いや正確に言えば、2,3作そのレヴェルで読み込んでいる小説はあるが、そんな読書、すっかり忘れていた。

また、読書をしようと思った

今年は8ヶ月で15冊しか読んでいない。そのどれもがよい読書体験で、感想文も書いてあるが、まったく読まない月がそのうちの7ヶ月である(1ヶ月入院したので読んだだけ)。

けれど、冊数にこだわるのはなんだかナンセンスな気がした。誰かと競争しているわけではない。単に「年間100冊読みます」と言ったときに「すごーい」って言ってもらえるだけだ。逆を言えばその「すごーい」が人生の支えになってきたとも言えるのだが、それはもう忘れよう。

そして、読書をしたら感想をまたこのブログにアップしていこうと思う。
読んでほしい本を広めたいのが本読みの厄介なところ。リアル知り合いがいないので(いないのだ)、ウェッブ上で(あえての促音)広めていこうと言う算段である。

 

みくのしんさんの本の感想もまた別で書こうと思う。

以上を持ちまして、改めましての自己紹介と所信表明を終えます。ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

 

 

 




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