表参道を歩きながらこう聞かれた。
「この辺住みたい?」
答えは断固NOである。芸能人ではないのだ。
しかしながら表参道は美術館や博物館があったりすることから、まれによく来る街ではある。土地勘はまったくないが空気感には少し慣れてきて、気負わなくなってきた。芸能人芸能人してるのも表参道の駅付近だけで、あとはただの閑静な住宅街だ。ときおり家具のショップ、カフェ、アパレルショップがあるだけの。オシャレな。ただの……。
というわけで、前に寄ってた渋谷区郷土博物館・資料館から徒歩で移動してヨックモックミュージアムへ行ってきたという回である。
ちなみに、表参道駅から歩いて日本コカ・コーラの社屋の隣を抜けて曲がると、なにやらものものしく、Googleマップにも何も記載されていない謎の土地がある。夫が覗こうとして門扉に近づくと、「ピルピルピルピル」と小さく警報が鳴り、即時退散。調べると、皇族の関係の土地っぽいのだが、何しろマップに何も記載されていないので分からない。だがあの警戒ぶりからすると、おそらく皇族の関係の土地、という結論に至った。
あぶない。逮捕される。前科つく。クビになる。無職が二人の家庭になる。それはまずい。
なので深入りせずに通り過ぎるのが吉。みなさんにおかれましても、覗こうとしない、塀を越えようとしないなど、自制の利いた大人の態度で通っていただけるとよいかと存ずる。
さて、閑話休題。
いやいくらなんでも休題すぎた。本題にもどる。
ヨックモックミュージアムの今の展覧会は「ピカソ・セラミック -「見立ての技術」」というもので、まあなんだ、ヨックモックミュージアムが所蔵する数々のピカソ作品をさまざまな視点で見てみようという展示の第五段。
「見立て」というのは、対象を他のものになぞらえて表現することで、たとえば日本の枯山水があげられる。枯山水とは日本庭園に見られる、玉砂利を「海」に見立て、岩を「島」に見立てることで、庭に海を再現したものだ。見立てとは、つまりそういう技術のことである。
ピカソは、陶芸作品において、さまざまな「見立て」を行なった。たとえば梟。

瓶の形をフクロウに見立てている。「見立て」というには直接的すぎる感もわたしはしてしまったが、まあ見立ては見立てである。職人が作った陶芸作品にその場で手を加え作品を作る、というのがピカソの制作スタイルだったようで、実際にピカソが制作している現場の映像もこの展示で見ることができる。まるで流れ作業かのように、あらかじめ決まっていることを淡々としているかのように、その場の判断と感覚と感性で作り上げていってしまう。「天才だ」と思った。いや天才だよ、思わなくても笑

この作品は、丸い皿を闘牛場に見立て、外周に人を描き、内側の円の中に闘牛を描いた。
というような展示で、それほど大きなミュージアムじゃないから一瞬は大袈裟でも十瞬くらいで見終わるが、ピカソをこれだけ浴びれる場所もそうそうないので貴重な体験ができると思う。
ピカソは知られているけれど、絵画の技術力がすさまじく高い。デッサンとかやばいらしい。わたしはあまり芸術のことはわからないけれど。
ゲルニカやらのキュビズム作品がいわゆるピカソとして認識されているけれど、「普通」に書いたピカソの絵もわたしたちは知っており、そのうまさもわかっている。そうした絵画技術の全体的な高さから、まあ要するに、何をしても超うまいのだ。超うまい。もういい。そう。語彙力なくていい。ピカソは超うまい。

そしてこちらは常設かな。ピカソの皿が壁一面に展示してあるスペースがある。一つ一つプラスチックのケースで覆われているけれど、地震が起こることを考えると胃がきゅっとなる。

かわいすぎる。
ということで、ヨックモックミュージアムに行ってきたという話はこれにて終了。よい芸術を前に人は語彙力を失くすということで締めたいと思う。