以下の内容はhttps://nabe-party.hatenablog.com/より取得しました。


自由 民主主義 グローバリズム

 ご無沙汰しております。いまだにブログを更新する事は中々慣れず、今日も悩みながら書いていますレバ子と申します。先日元同僚と話す機会がありました。彼女は現在、フルタイムの仕事をしていませんがダブルワークです。お子さんは社会人となり、両親もまだ健在で現役で働いています。彼女曰く「推しができて、グッズやツアーに凄くお金がかかる」と言う言葉を嬉しそうに語る姿を見て、元気なら何よりと思いました。水筒一つで5桁のお金が飛んでいく、「推し」のいる生活は私は幸せだと思っています。ただ自分が是非同じ事をやるかと思えば、もう労働組合と言う「推し」があるので、しばらくは1組合員として活動をしていきたいと考えています。

 

 はじめに

 2010年代の世界中の左派の理論は、すごいスピードで様変わりしました。行き詰まった新自由主義に対し、左派の理論はベーシックインカム、ピケティの累進課税論、現代貨幣理論、再び累進課税特に富裕税について取り上げられています。富裕税についてはトマ•ピケティと共同研究をしていたエマニュエル•サエズという経済学者が有名です。特にサエズは70%から90%である最高税率を課すという提案をしています。さらにサエズと共著を出しているピケティの弟子、30代の若さで数々の賞を受賞したガブリエル•ズックマンなどはアメリカ民主党リベラル派であるエリザベス•ウォーレンに大統領選挙でアドバイスをしたというエピソードがあります。ウォーレンは自信を民主社会主義とは自称していないものの修正資本主義者として有名です。

 

 先行研究

 左派の主張の最先端がアメリカという事は必ずしも言えませんが、左右共々そのイデオロギーは日本には遅れて入ってくる傾向があります。現代貨幣理論についてアメリAOC、イギリスのジェレミー•コービンが取り上げた頃は2019年。その6年後にその理論に固執した元俳優の政党は、明らかに伸び悩みました。彼は経済というものをどこか甘く考えていたのでしょう。せめてもっと何か具体的なものに使うと言えば、まだ抑制的でしたが、選挙戦での彼らのイメージはどこか独自性がないように感じました。低所得者層に特化するなら、もっと彼らの事を学ぶべきでしたが、今回はこれが本題ではないです。現状アメリカでは富裕税の税率を巡って、様々な議論もあるし超富裕層もダボス会議で「富裕税の創設は必ずしも反対ではない」という意見もあります。そう考えると現在日本の政治状況を見れば必ずしもそうでないのが残念です。今後どういう議論が必要なのか見ていきたいです。

 

 富裕税の歴史

 かつて日本は富裕税を導入していた国です。戦後、日本の所得税率は85%でしたがシャウプ使節団の登場で所得税率は引き下げられ、代わりに1950年に富裕税が導入されました。当時戦争が終わって5年。日本に富裕層は育っておらずほとんど税収に寄与しなかったため、3年後には廃止されました。その後日本ではこうした事が論争になる事なく終わりました。その後、資本主義はケインズ福祉国家路線も相まって高い経済成長を遂げますが、80年代になるとミルトン•フリードマン新自由主義旋風が吹き荒れ、左派もアンソニー•ギデンズの「第3の道」が中心となり、こうした繁栄に取り残された人々は少なくなかったです。欧米型の二大政党政治はどちらも新自由主義的要素を色濃くしたため、本来未来を任せる政党が2つではなく1つになったとも言えます。負の要素しかなかった80年代、90年代、その名残が十分に残る2000年代でした。これは2010年の中盤まで続きました。

 

 億万長者の台頭

 「努力して財産を築いた人は批判してはいけない」という論もあります。個人の努力は否定しませんが、そこには無形であったり、有形であったり様々な人の力を借りてきたはずなのに、それを語らないのはあまりに不誠実であるとは思います。例えばズックマンとサエズの研究ではアメリカ富裕層の連邦税、地方税、州税の負担率は23%ですが、平均は28%。サエズ、ズックマンは著書で「それぞれの状況は同じではないが、トランプ一家やマーク・ザッカーバーグウォーレン・バフェットなどは、教師や秘書よりも低い税率で納税する」と言われるぐらい、富裕層有利になっている状況です。バフェットの能力は誰もが認める事ですが、彼が雇う秘書より負担率が低いのは問題と思うか、それがご褒美だと思うか人に分かれるでしょう。富裕税の導入にまだ融和的なウォーレン•バフェットはまだしも、このコロナ禍において偽りの「積極財政」で資産を増やした億万長者は非常に多いです。これはアメリカの話ですが、日本でも応用できること。 富裕層・超富裕層の世帯数はコロナ禍を経て2005年以降最多を迎えました。資産を増やす事は自由ですが、その副作用に非富裕層は減税ポピュリストになり、さらに貧富の差を拡大していようとしている。考えるべきはやはり累進課税、そして富裕税の再導入です。

 

 連合と富裕税 

 連合「税制改革構想(第 4 次)」2025年5月には、富裕税という言葉を使わず、こうした記述がありました。「経済力に応じて課税を実現するためには、所得への課税は十分ではなく、資産についてもその経済力を補足して課税する必要がある。つまり、所得税を補完し、資産の保有者と非保有者との水平的な公平と資産の再分配をはかるため、地価税固定資産税の個別資産税が課せられているものを除いた不動産をはじめ預金、株式、債券など金融資産など、個々人が所有している資産を(宝石類、絵画など課税額の算定が困難なものを除く)合算し、一定額以上の資産保有者に対して累進税率で課税する純資産税の導入の検討を行う。」といかにも労組の文章で書かれていますが、これは事実上富裕税に対して一定の推進です。具体的な数字が乏しく、そこは色々と詰めていく必要がありますが。世界中の労働組合も一定の富裕税に近い政策推進を行なっていますが、連合と旧民主党はしっくりこない関係なので必ずしも、こうした意見交換が身を結ぶとは限らないです。もっとも連合も労組の政治運動というよりいつのまにか労組の政局運動になっているきらいはあります。今度の定期大会はどうなるでしょうかね。私は議長です。なんやかんやで初めての議長。頑張りたいと思います。

 

 まとめにかえて

 富裕税とは言わないが資産課税については、なぜか口をつぐむ人達をよく見てきました。現在の60歳は定年退職できず、どんな肉体労働でも延長戦の突入は避けられない。それは多分私も自身が還暦を迎えた時、同じでしょう。なるべく働けるだけで働いて、その先に待っている未来はまだ見通せていないです。私のような労働組合に入って、色々と福利厚生があった人間ですらこうなのだから未組織労働者はもっと不安だろうし、またその家族は何を思っているのだろうか?私達が何がなんでも組織化を目指すのは、ただ単純に自身の勢力拡大だけでなく、もっと労働組合として福利厚生があれば、もっと組織化に熱心であれば、もっと組合として労働者に向き合っていれば、退職代行のための労働組合や労組の本分ではない団体がこうして生まれず、悔しい思いも無力感も感じました。私も仕事をしている人間です。いつのまにか、公私どころか労も増え役員ではないのに自分の組合を手伝っています。人はどう思うのかは私には聞こえないので、私も聞かない事にします。定期大会で是非、公職に会えたら今まで思っていた事を思いのたけ、ぶつけてみようかなと思います。

相互扶助のEconomicsーもう一つのグローバリズム

「正直、このぐらいの金額はある。退職金を含めればこれぐらいになる」

 どこかでお話ししたかもしれないですが、私は労働組合の専従書記、役員として一貫して共済とろうきん推進委員として10年以上勤めてきました。様々な変遷を得て、現在は後輩にその道を託していますが、先輩として彼女が迷うことがあれば手伝っています。ろうきんも「全労済」も昔とはかなり変わり、新しい事を覚えるのは骨ですが楽しくやっています。さて冒頭のセリフは私の会社の先輩のものです。地元ではそれなりに有名な企業ですが、グループ子会社で総合職でもなく年齢はそろそろ定年。先輩はろうきんで財形を18歳からはじめ月に5万円、さらにボーナスの大半も財形に回し政府が老後に必要だと言われている資金を優に超えた金額を貯めました。退職金を入れるとさらに増えるし、当然彼は65歳まで働く予定なのでまた状況が変わるかもしれません。それでも不安を吐露していました。家はお兄さんに譲り、自分はアパートに住んでいます。「金さえあれば、どこか施設があるはずだ」という事をよく言います。そういう未来であってほしいという願いも込めているようにも思えました。人間はその生き方に対し、間違いはあっても、正解はありません。自分の選んだ道がベターである事を信じて生きていくというのも、将来を考えれば不安に思う気持ちは私もよく知っています。何があるのかわからない?その不安のはけ口が今、何にも罪がない人に向けられていると強く感じています。

 まだ労働組合というものが存在していない17世紀にイギリスで「友愛組合」として相互扶助を目的とした共済組合が誕生しました。日本では江戸時代に鉱山で働く鉱夫たちが「友子制度」という相互扶助の制度がありました。石見銀山が著名ですが、当時の鉱夫も一つのミスが大怪我に繋がりかねない危険な職場で、動けなくなった人に米、味噌、薬を支給され、子供には養育米が送られる。こうした事は昭和40年代まで続いていた事は法政大学の村串仁三郎名誉教授の記録映画「友子儀式 北海道夕張市真谷地炭鉱楓坑」などで確認できます。*1  

   1957年に全労済が誕生し、当時の自民党政権民業圧迫の名のもとに共済事業そのものを規制する方向もあり、その都度ロビイング活動を行ってきました。こうした活動は全労済よりも農協の全共連の方が矢面に立ってきましたが、当時はいわゆる「族議員」と言われる人達を自民党は多く抱え協調主義的な審議会を経て、共済事業と保険会社双方が共存できる体制を築いてきました。ただ社会の変化も手伝って、既存のシステムをそのまま続ける事すら難しくなっています。しかし温故知新という言葉もあります。何を変えて、何を守らないといけないのか?私達は問われています。現在、自民党から日本共産党まで新自由主義の影響を受けていない勢力はありません。過去、労働組合には多数の質問が寄せられ、私も短い間ですが、労働相談員を経験した事もあります。21世紀もすでに四半世紀を過ぎようとしています。「新しい社会主義の相談員」として、質問に回答していきたいです。*2

 

2025年、某月某日某所にて

Q、連帯経済とは一体何ですか?

A、比較的最近できた用語です。私もいつの時代だったか、「連帯経済」という語句を使い始めたきっかけはよく覚えていません。最新の国際労働運動は常に先の先をいくものですが、そうした言葉が私に伝わるまで時間がかかったはずです。家にある広辞苑にも連帯経済という語句は掲載されていないので、ここは仕方がないのでWikipediaから参照します。「社会連帯を基盤とする経済活動の総称である。」と書かれています。

Q、連帯経済とは「大きな政府」ですか?

A、「大きな政府」よりも「大きな社会」とでも表現しましょうか?かつての福祉国家路線をそのまま現代でも通用するか?と問われると難しい局面もあります。福祉国家の概念にさらに「相互性」を持たせる事で、国家による画一的福祉から、きめ細やかな地域共同体福祉へ。国家の役割はそうした地域福祉を滞りなく行われるようにその機能を改革し、誰もが社会の構成員として活動できる場を提供する事が主になるでしょう。

Q、労働組合環境政策は必要ですか?

A、環境政策は働く人にとって、環境政策は思わぬ規制を受けるものとして労働組合では評判が悪い事もあり、そういう主張をする人がいる事を否定しません。ただ一つ事例を挙げるなら、赤潮の被害を受けていた宮城県気仙沼市の牡蠣養殖業の畠山重篤さんはフランスでロワール川河口の牡蠣を見て、一目で品質の良さを確信。この地域の牡蠣はウナギの稚魚を餌にしていました。自分の子供の頃、三陸でも川でウナギは取れていたのに、そう言えば最近ほとんど耳にしていない。調査したところ気仙沼湾ではなく、付近の河口が都市化による水質汚濁で極めて生物が住みにくい河川になっている。大学の先生に尋ねたところ海の汚染は森林にあった事に気がつきました。畠山さんはその後植林活動を始めて、漁師でありながら国連に「森の英雄」という称号を送られました。*3

   私達が持続的に仕事を続けるには環境問題は、直近の課題でありそれは国際的な連帯で行われないといけない。だからこそ国際主義の労働組合ができる事は、非常に多くのことが達成できるでしょう。

Q、労働組合は政治に関わらないで、労働運動に邁進すべきでは?

A、本来頑固に抵抗すべき雇用に関わる労使交渉を蔑ろにして、政治武勇伝を語る組合役員がいたら私は批判しますし、大会で最大限役員解任に向けた努力を惜しまないでしょう。しかし雇用を守るため、私たちは政治と無関係ではいられないです。そして行政の陳情だけでは、世の中を変えるにはまだ足りない部分もあります。私達は政治参加を通して自分の雇用だけでなく、自分がいかに生きるか「政治に期待する」という時代はもう終わっています。これからは「政治に参加し、私1人だけでなく全員で未来も変えていく」という新時代が始まっています。労働組合は政治に近いポジションにもいるので、組合活動も貴方の未来を変える行動になります。そういう期待に恥じない運動をしていきたいです。

Q、自分はそういった「しがらみ」は苦手

A、人間誰しも、コミュニケーションを取ることの難しい苦手の人はいて、できるだけそういう人とは距離を取りたいし、そういう機会が多くなる活動は極力避けたいのもまた人間のサガだと存じます。ただ自由を求める事も私は非常に重要ですが、「連帯」という概念にも今後は目を向けてほしいと考えます。戦後の焼け野原から類稀なる経済成長を遂げ、現在でも世界でトップクラスの経済力を誇る日本という国ですが、その代償として社会そのものは現在2025年、貧困になりました。弱者を侮りながら自分は更なる経済優遇を求める人が素晴らしい人でしょうか?そういう人も現在の資本主義の中で短い間と言えど「稼げて」しまう現実があります。当然人間ですから良い時も悪い時もあるのに、稼げる自分が1番偉いのだという風潮があります。こうした状況を一変するために再分配を求める集団、組織は必要です。

Q、「福祉国家」を目指すだけではダメなのか?

A、社会民主主義にしても、連帯経済を目指す社会は「福祉国家の建設」にあります。従来の社会民主主義をアップデートさせ、相互性を持つ経済へ。これが新しい左派の経済運動になると考えます。従来の福祉国家論は富の再分配を掲げたところは優れていますが、一部新自由主義者に都合よく方便にされている現在もあります。全員が社会の構成員たる資格を持ち、全員が参加、運動をしていく事で「富の再分配」を再定義する必要があります。こうした連帯経済で非常に先進的な活動をしているのはブラジルです。ブラジルをはじめとした中南米では極右政権もまた登場しますが、いわゆる「ダボス会議」に対抗する勢力がある事をご存知でしょうか?

Q、知らないです。どういうものでしょうか?

先ほどの質問にお答えしたように、こうした相互扶助を元にした「社会連帯経済」の先進国とも言える国はラテンアメリカに集中しています。このグローバルサウス発の運動がヨーロッパに広がり、最近はアジア、アフリカと言った国々でも徐々に広がっています。具体的な事柄を一緒に見ていきましょう。

 

☆連帯経済の実践 ブラジル ポルトアレグレ市を事例として

 「陽気な港」ブラジルのリオグランデ・ド・スル州の州都であるポルトアレグレ市は日本語でそういう意味です。ブラジル南部最大級の都市であり、石川県金沢市姉妹都市の関係です。かつて日本でもよく知られたサッカー選手であるロナウド・デ・アシス・モレイラ、日本の報道では「ロナウジーニョ」との愛称がよく知られた人でしたが、覚えていらっしゃる方も多いと思われます。

 1980年から90年、軍事独裁政権から議会制民主主義に移行したブラジルは国営資本を次々と民営化する新自由主義政策を推進しました。特に著名なのは当時右傾化し現在でも保守政党となったブラジル社会民主党(名前は社会民主党ですが、完全なる右派勢力です)フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ政権で資源開発企業だったリオドセ社(現在ではヴァーレ社として名称変更)の民営化など数々の改革を断行しました。こうした改革は企業活動にとってはプラスでしたが、一部の人間だけが富を独占し民営化によって雇用を失った労働者も急速に増加。カンデラリア教会虐殺事件*4と言った社会不安を背景とした大変痛ましい出来事も起こりました。多くの工場が閉鎖され、行き場を無くした労働者たち。しかし彼らは排外主義に逃げる事なく閉鎖した廃工場を元従業員達が協同組合という形で経営権を獲得し実際に再建してみせた事例があります。こうした会社を「回復工場」「回復企業」といい、労働者も団結して経営を行えば決して事業を潰すことなく運営できるという証明をしてくれました。*5

   実は日本国内でも親会社が経営から撤退しながら従業員が自主的に警察が排除するまで運営し続けた東京都品川区の京浜ホテルの事例がありますが、今回は誠に勝手ながら割愛させていただきます。また発信できる機会があれば是非。*6

 さてこうしたブラジルの社会を一変させたのはルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ、日本では報道でルラ、またはルーラ大統領と呼ばれる人が代表の独自社会主義政策を取る「ブラジル労働者党」への政権交代でした。労働者党政権が目につけたのは、すでにポルトアレグレ市で始まっていた「市民参加型予算」でした。住民の要望が公共事業の優先順位と予算を決め、議会に提出する。そして実行される事業は実際に貧困地域のインフラを改善していった。こうした優れた取り組みを全土に広げていったのはブラジル労働者党政権でした。こうした取り組みはブラジル一国に留まらず、多くの国で参考にされ実践されてきました。*7

 この「連帯経済自治」の聖地であるポルトアレグレ市で2001年「世界経済フォーラムダボス会議)」に対抗する形で「世界社会フォーラム」が開催されました。合言葉は「もう一つの世界は可能だ」。残念ながら現在ではこのもう一つの国際経済運動はやや低調になっていますが、私達の手で未来が決定する運動があり、その近道は労働組合運動であったり、協同組合運動であったり、またはNPOや市民団体であったり、生協や共済運動であったりと随分広がっております。多国籍企業によるグローバリズムではなく市民が社会を築き上げそれが相互交流する事で経済基盤自体が連帯していく。もう一つのグローバリズムは市民が主役です。皆様が参加できる運動は必ず存在し、行政を変え未来を創造できる。だからこそ私は社会運動を、そしてたまたま間近にあったのが労働組合であったので長く続ける事になりました。こうした幸運を大事にし、行政を是非政治家だけのものにせず私達も運動を通して参加できる未来があれば、なお励みになります。こうした社会像ある人が増え、お力を貸してくれたら運動はさらに強固なものになると確信しています。*8

 

むすびにかえて 2025年7月

  ハーバード大学の哲学者マイケル•サンデル教授はよくNBAで例え話をしますが、日本の分かりやすい事例で例えると現在のメジャーリーガー大谷翔平の活躍と戦後すぐにプロ野球界で活躍した大下弘川上哲治といった選手は選手時代に得た年俸に非常に大きな差があります。大谷選手の努力や技術は優れたものです。だからこその破格の高年俸なのでしょう。ただそれは大下選手が大谷選手よりも努力を怠ったから、これだけの差になったのでしょうか?大下選手の素質は大谷選手の何千万分の一なのでしょうか?これが違うことは明白です。プロ野球という興行を多くの人が支え続け、トップ野球選手にそれだけ市場的価値がついた関連する全員が不断の努力をした結果であり大谷選手もその恩恵を受けて現在があるということが言えます。また野球が盛んの国であり、練習する環境が他国に比べて非常に充実していた事も現在活躍する選手は皆がそうした公共財の支援を受けて一流のアスリートに成長する事ができました。不世出のベースボールプレイヤーなのは誰もが認める大谷選手なのだからそうした思いを持っている事を信じたいです。

 私は「グローバル•スタンダード」という言葉は、今まで批判していきました。これは多国籍企業が利益を上げるためだけに使った方便に過ぎず、様々な国で雇用を含む地場産業を破壊し、市民の税金で作られた公共財を利用するだけ利用し、自らは外資であるという喧伝し課税について逃げ回り、環境問題に深刻なダメージを与え続けるグローバリズムなら百害あって一利も一理もなし。私のnoteでは、こうした多国籍企業の横暴、特にAmazonを例にして厳しく追及する記事があります。お暇でしたらぜひ。

 こうした「グローバル•スタンダード」を容認する立場から見れば、私は反グローバリストでしょう。ですが一部の政党のような他人の人権を軽視する反グローバリストではありません。「世界社会フォーラム」から始まったもう一つのグローバリズムの選択肢は増えています。連帯経済を世界に広げる国際組織にはGSEF(グローバル社会的経済協議体)という団体があり、定期的にあらゆる世界の都市で国際会議が開かれています。民間セクターでも公共セクターにもよらない協同組合やNPO団体による新しい社会経済セクターによる活動は、この地球に住む全ての市民の交流を経てさらに発展する事が期待されます。多国籍企業ではなく、市民を基盤とする協同組合や市民団体が手を取り合い、時には知見を出し合い共存共栄を図る事。相互扶助を目的とする団体なら容易に国境を越える事ができるでしょう。こうした運動であれば、私はもう一つのグローバリズムに賛成どころか推進する1人となります。最後に2013年にGSEFでソウル大会で出された「ソウル宣言」のリンクを載せ、この文章を〆たいと思います。ご清聴ありがとうございました。

社会的連帯経済を推進する会HPより「ー新たな協働の発見ー ソウル宣言」2013年11月 GSEFソウル大会

https://www.ssejapan.org/seoul-declaration

 

•注意 誤字脱字があれば修正します。

*1:働く文化ネットよりーhttps://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20151027/1445924669

*2:日本労働組合総連合会では連帯経済について重い腰を上げつつあります。今後私たちの活動を注視と叱咤激励してくださると嬉しいです。北村裕司「「つながる経済」で社会を変える!中央労福協SSE連続講座の振り返りと今後の課題ーhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/zrswelfare/15/0/15_19/_pdf/-char/en

*3:自治労講演「森は海の恋人」よりーhttps://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_yamagata28/jichiken_hokoku/shoku02/shoku02.htm

*4:1993年に起こった警官隊のストリートチルドレン8人を射殺した事件

*5:廣田裕之 ブラジルの連帯経済 その1ーhttps://shukousha.com/column/hirota/3544/

*6:朝日新聞  京品ホテル強制執行 3カ月の自主営業終わるーhttp://www.asahi.com/special/08016/TKY200901250110.html

*7:TOKYO MX 「市民参加型予算」は日本に広がる?…市民の声が届く一方で課題もーhttps://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202209290650/detail/

*8:世界社会フォーラムの日本での活動は旧総評系労組グループの平和フォーラムが協力した事もありましたーhttp://www.peace-forum.com/tag/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A0

来たれ、新たな民主社会主義ー21世紀の社会改良

 資本主義に代わる経済体制のことを示す最適な言葉が社会主義であるのなら、私は社会主義という言葉はまだ救う事ができる力のある言葉だと思う。フランスの経済学者でムーブメントを起こした政治経済学者トマ・ピケティは「来たれ、新たな社会主義」でそうした発信をしています。日本では社会主義という言葉は賛成も否定もなく死語になりつつあると感じます。社会主義の基本は共同で資産を所有すること。先日、とある労働組合の役員と話す機会がありましたが「町費は払っていないです。町費を払えば余計な仕事が増えるでしょ」と言い切った組合員がいて、どう言葉を返していいか分からなかったという話を聞きました。労働組合と町内会は全く別組織ですが、そうした言葉を聞いて随分悩みました。 

 

 再分配政策と私もよく使う用語ですが、全員の共有財産を皆でお金を出し合い必要に応じて活用する。これも立派な再分配政策で、もっと身近に感じられるように言葉を選んで使っていかないと思う反面、その難しさに直面する事もあります。私は縁あって労働組合に携わる事ができましたが、その組織において改善点はおおいにあると思います。前回は労働組合が再分配に力を発揮するテーマで書いてみました。今回は労働組合のアプローチとは違う側面から考えた「社会的富の公平分配」について考えたいです。

 ご縁がありこうして文章を推敲するなかで、最後はメーデーの雰囲気を少しでも味わえる文章にしていきたいです。最後はメーデー宣言(案)を採択いたします。それで「来たれ!新たな民主社会主義」の開会を宣言します。

 

プログラム 来賓挨拶*1

 

✳︎プロレタリアートはどのように生まれた?*2
 プロレタリアートは、産業革命によって成立した。産業革命はまずイギリスでおこり、その後世界のすべての文明国でくりかえされた。この産業革命は、蒸気機関、さまざまな紡績機、力織機、その他一連の機械装置全体の発明によって、ひきおこされた。機械は非常に高価で、したがって大資本家しか調達できなかったこれらのものが、これまでの生産様式を変化させ、これまでの労働者を排除したのであって、それは機械が、かれらの紡車や織機で労働者がつくりだしえたよりも、安価で良質の商品を提供することができたからである。こうして、これらの機械は、工業を全部大資本家の手にひきわたし、労働者のわずかな財産をまったく無価値にした。それで、資本家はすべてを手中におさめ、労働者にはなにものこらなかった。そして衣料製造に工場制度が導入された。機械装置と工場制度の導入への衝撃がひとたびあたえられると、この体系は、他のすべての工業部門へ、すなわち、繊維、捺染と書籍印刷、製陶、金属製品工業に適用された。労働は、個々の労働者のあいだで分割され、その結果労働者は以前ひとつの製品全体をつくっていたのが、現代では製品のひとつの部分をつくるにすぎない。この分業は、生産物を早く安く提供することを可能にした。それは、それぞれの労働者の作業を、単純なくりかえされる機械的な操作に帰着させた。その操作は、機械によって、おなじようによくなされうるだけではなく、もっとよくなされうるのであった。このようなやりかたで、これらすべての工業部門は、ちょうど紡績業や織物業とおなじように、つぎつぎと工場制度に服従した。それとともに、しかし、それらの工業部門は同時に完全に、大資本家たちの支配されたものであり、労働者たちはまた独立性をうばわれた。しだいに、本来の工場制手工業のほかに、手工業(個人事業主)もまた、工場制度の支配に服するようになったのであって、それは大資本家たちが、おおくの費用を節約でき、しかも労働を十分に分割できる大作業場を建設することによって、小規模手工業者を駆逐したからであった。こうしていまやわれわれは、全ての国ではほとんど労働部門が工場方式で運営され、手工業と工場制手工業が大工業によって駆逐されてしまっている、というところに到達した。従来の中間階級、とくに小手工業者は破滅し、以前の労働者の状態はまったく変化し、他を全て呑み込むふたつのあたらしい階級がつくりだされた。

Ⅰ 大資本家の階級、これは、すべての文明国で、いまではすでにすべての生活手段と、その産出に必要な原料と手段を、ほとんど排他的に所有している。これがブルジョワ階級すなわちブルジョワジーである。  

Ⅱ まったくの無所有者の階級、これは、自分たちの生計維持に必要な生活手段をえるためには、自分たちの労働をブルジョワジーに売ることにたよっている。この階級を、プロレタリア階級すなわちプロレタリアートとよぶ。

✳︎新しい社会制度というのはどういうものか*3
 それには何よりもまず、工業及び生産部門の経営を個別的なたがいに競争している諸個人の手から取り上げて、これらの生産部門を社会全体によってすなわち共同の計算や共同の計画により、社会の全ての構成員の参加のもとに経営されるようにしなければならないだろう。それはこうした競争を廃棄し、かわりに連合体をおく。ところで個人による産業経営はその必然的な結果として私的所有を持つ、競争は個別的な産業経営とあり方とやり方以上のものではないから私的所有はそれらから切り離しはえない。だから私的所有は廃止されないといけないし、全ての生産用品の共同利用と全ての生産の合意による分配あるいは財産共同体が現れる。私的所有の廃止は産業の発展から必然的に出てくる社会改造のもっとも短く、特徴的なものであり共産主義者としての要求として当然だ。

✳︎共産主義者社会主義者はどう違う?*4

 社会主義者は3種類ある。1つ目は大産業、世界商業とそれらに作られたブルジョワ的な社会によって絶滅されつつある封建主義と家父長制の反動的な社会主義者から成り立つ。この種類の社会主義者現代社会の諸害悪からこう結論する。封建主義と家父長制は再建されねばならないと。この種類の反動的社会主義者プロレタリアートの貧困に対する彼らの表面的な共感と熱い涙は常に共産主義者によって攻撃される。なぜなら

1.不可能な事を目標としている

2.貴族、ギルド親方、工業制手工業者とそれに伴う封建的な国王、官僚、軍人と聖職者の支配を戻そうとしている。そ確かに現在の社会的諸弊害から自由のかわりにそれ以上の諸弊害があった。その上に抑圧された労働者の共産主義組織に解放される見通しを一つも示さない。
3。プロレタリアートが革命的で共産主義者になるときは必ず本性を見せて、ブルジョワジーと同盟しプロレタリアと対抗する。

 2つ目はブルジョワ社会主義者であって、その社会が起こす悪による現在の社会の終わりを恐れる。ゆえに現在の社会の維持であるが、それに伴う弊害を消そうとする。慈善的な提案する一方で雄大な改良方式を提案する。社会を再組織する事を名目に社会の基礎の維持を図る。このブルジョワ社会主義者共産主義者から攻撃を受けざるを得ない。何故なら共産主義者の敵のために働き、共産主義者が打倒したい社会を擁護するからである。

 3つ目は民主社会主義者であって、質問18*5に述べた政策の一部に賛成する。しかしその政策を共産主義への移行ではなく、その政策を現在の社会貧困と害悪を消すために十分である政策として見ている。その民主的な社会主義者は十分に啓蒙されていないプロレタリアか、民主主義とそれによる社会主義的な政策の達成までに多くの点でプロレタリアートと同じ利害を持つ小市民である。共産主義者は行動の時に民主社会主義者と妥協し、共同の政策を守るべきである。その民主社会主義者が支配しているブルジョワジーと同盟し、共産主義者を攻撃しない限りは。無論、共同関係においても彼らとの相違点について議論を排除しないものとする。*6

来賓 カール•マルクス フリードリヒ•エンゲルスー「共産主義の諸原理」より。Marxists Internet Archiveの日本語訳、経済学者、社会思想学者の故水田洋名古屋大学名誉教授の訳を参考にしています。

 

 プログラム 実行委員長挨拶

 皆様!おはようございます!「来たれ!新たな民主社会主義」実行委員会のレバ子です。*7素晴らしい晴天のなかで、全世界の皆様方にご参集していただきました。また本日はご来賓として、科学的社会主義理論の創始者であるカール•マルクス様、その理論を体系化なされたフリードリヒ•エンゲルス様にお越しいただいています。ご多用のなかご臨席頂いた方々に、会場全体の拍手で感謝の意を表したいと思います。

 さてマルクス様、エンゲルス様の生国ドイツにおいて現在は労使同権の共同決定制度が導入されております。労働者代表を企業経営に参画させ、意思決定を行う制度であり意思決定機関である「監査役会」に中規模の会社は構成員の3分の1、大企業なら2分の1は労働者代表でないといけない制度です。「監査役会」は 取締役員の任免、投資計画、人員計画、賃金の決定等について強い権限を持ち、言わば企業内権力の再分配とも言えます。(独立行政法人労働政策研究•研修機構  デジタルプラットフォームが共同決定制度を導入ーhttps://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2019/01/germany_01.html社会主義という概念は日本においては、民営化の対となる「国有化」というイデオロギーが広く浸透してしまっているという現状があります。アメリカのフォーブズ誌では、現代の若者は「自分が属するコミュニティーをより良くすることは、リーダーひとりのせいにするのではなく、メンバー全員が負うべき責任だ」と考え、そうしたなかで80年代から民主社会主義者であるバーニー•サンダースに共鳴するという解説がありました。資本主義の暴走に歯止めをかける思いつく良い言葉がないのなら、「社会主義」という言葉はまだ救う事ができる力ある言葉だと私も確信しています。こうしたなかでアメリカで社会主義に惹かれる若者達の間では「労働者協同組合」が再注目されています。世界恐慌のさなかで、1934年に信用組合法が成立し「協同労働(ワーカーズコープ)」の活動も約7000人、総売上高も4億ドルを超えるようになりました。労働者が組織し、自らの手で事業を行う。こうして聞くと日本の労働組合も賛成意見が多いように想像できますが、伝統的に日本の労働組合はベアトリス•ウェッブの労働組合主義の影響を受けている団体が多く、協同労働には否定的な意見も多かったです。ベアトリスは英国の社会主義運動、労働運動の理論的な指導者の1人でしたが「資本の不足」「販路の不足」「経営管理上の訓練の不足」からこうした労使共同所有の形態には否定的でした。当然私達の同志の中にも協同労働については否定的な見解を持つ先人達は多く存在しました。科学的社会主義国家として、ユーゴスラビアも「自主管理社会主義」という労働者自ら運営、予算の配分を決めるシステムがありました。オイルショック以前は東側国家において、その経済成長率は他を圧倒していました。西側でもイスラエルには「キブツ」と呼ばれる協同組合があり、バーニー•サンダースも一時期参加していました。彼の社会主義思想はキブツから始まったとも言われます。もちろん全ての企業が一斉に協同組合化すれば、良いというわけではないです。ユーゴスラビアの場合は自主管理社会主義の構造において経済悪化から汚職が頻発し、後のユーゴ解体に繋がったという指摘があります。ただ漠然と前例を踏襲するばかりではなく、目指す社会像に対して、旧来の発想から転換する事は必要だと感じます。日本でも「労働者代表制」を含め、労働者も企業経営についてその権限を「再分配」する事で積極的に参加していくという取組は徐々にですが、始まろうとしています。今後の改革、改善が待たれるでしょう。

 労働組合運動は21世紀に入り、組織率低下という問題点も抱えつつ現代資本主義に対抗する中間組織の意義としてますます重要視されています。世代年代、組織、アイデンティティを越えた多くの仲間と連帯する意味はもはや教条主義にも近い極右ポピュリストとの対決において、社会の変革が求められています。この青空の元、スローガンである「21世紀の社会改良」の中で労働組合も「参加型社会主義」を目指して、運動に邁進する役割と責任を果たしていく事を本日確認し、代表としてご挨拶といたします。共に頑張りましょう!

 

プログラム アピール

  「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議の会長はかつて日本労働組合総連合会の会長であった笹森清さんであり、連合が組織あげて法案に賛成しているという当時の報道もあったそうですが、事実は反対論の方が圧倒的に多かったです。労働者であり、経営者という曖昧な立場から労働基準法の「労働者性」から保護されるのか?という懸念点は多くありました。東西冷戦が終結し、旧来の保守革新の定義が再び再構築が必要だと考えられるなか、既存組織は新しい運動に積極的になる事も必要です。

 週刊DIO2020年2月号の特集記事「労働組合労働者協同組合の連携について」ーhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/rengosokendio/33/2/33_12/_pdf に書かれているように職場の意思決定においても労働者の意見が反映されるように仕組みを整えていく事が「社会的富の公平分配」に繋がると考えます。これについては立憲民主党所属の小川淳也代議士が2023年に「スペイン•バスク地方モンドラゴン協同組合」の視察について協同労働の再分配システムについて意見を述べています。(https://www.junbo.org/media/0uann6c-2b42

 こうした協同労働について、どの国政政党よりも熱心に活動していたのは民主党でした。「同質の協力は和にしかならないが、異質の協力は積になる」。協同労働に反対論が多いなか、あえてその旗振り役となった笹森清さんが好んで使った言葉であり私もお聞きしました。ハイパー資本主義を修正するためには、当然既存の方法だけでなく、働き方、生き方、また暮らし方について皆が何が最善か考えて実践していく事が益々重要になっていきます。

 

プログラム 「新たな民主社会主義」宣言(案)

 本日私たちは「来たれ!新たな民主社会主義」を発表する。ハイパー資本主義から働く人を守る言葉が社会主義ならば、私達は率先して民主社会主義の同志を結集していく。働くことの尊厳を守り、働く者の多様な思いを集結させる「21世紀の社会改良」の重要性を再確認し、この喜びを皆で分かち合おう。

 国内に目を向けると、右翼ポピュリストによる排外主義、反動主義が蔓延し冒険主義とも言える過激な活動を今社会に大きな痛みを与えている。反面、左翼に擬態した急進的ネオリベラリストが「公助」を攻撃し、社会の脆弱さを明らかにした。こうした勢力と対決し、持続可能の未来を建設するために運動を継続していこう。

 教育、医療、福祉といった社会保障は、セーフティネットとして今後多様性に適応した構造に変革する日が到来するが、教条主義に陥った新自由主義者達はその削減論を主張してやまない。暮らしを守る取組を最優先で行い、民主社会主義者として多様な市民と連携し 自由、平等、友愛の精神を重んじる社会を築いていこう。

 一方、国際社会に目を向ければ権威主義体制がグローバル企業やテック産業に力を持ち、市民のインフラをフリーライドをし、再分配の原資を不当に独占し人権侵害も正当化する国家や資本が自由で民主的な社会を破壊しようとしている。持続可能な社会を目指して、封建領主と化した一部の国家指導者と明確に対決し万国の市民と連帯し、自由放任経済から社会的連帯経済を目指して新自由主義型グローバリゼーションを打破しよう。

 私達、労働運動は誰1人取り残さないという社会を目指すと言いながら実態はビジネスユニオニズムに絡め取られて、21世紀が到来した四半世紀あまりにおいて福祉国家が否定され労働組合自体の存在が労働者の支持を得ているものだと言い難い情勢となった。私達は繋がって支え合うという原点をもう一度見つめ直し、様々な団体、個人と連携することで不平等や格差社会を肯定する勢力と必ず打ち勝つ運動を展開する。民主社会主義を基本とした1人1人が人間として尊重される未来を力を合わせて建設していこう。

以上ここに宣言する。

 

 ご来賓のカール•マルクス様が「共産党宣言」を世に広めたのは、1848年でした。日本史においては東郷平八郎が生まれた年と同じです。この時代はまだ幕藩体制が揺るがない時代において、一部地域では共産主義イデオロギーの萌芽が誕生していました。当時の長州藩マルクス主義は伝播されていたら、明治維新は違う革命になっていたでしょうね。あり得た歴史かもしれないです。トマ•ピケティら一部の政治経済学者が議論するように、行き過ぎたハイパー資本主義に対しては、改革は急務です。富裕層も再分配の必要性を感じている人もいますが、封建体制のような時代に戻すような動きもあります。民主社会主義者であるバーニー•サンダース、修正資本主義を唱えるエリザベス•ウォーレンは富裕税の必要性を説き、一部富裕層も賛同している報道はあります。(格差拡大を食い止めろ…超富裕層への増税を要請した億万長者たちーhttps://www.businessinsider.jp/article/201997/)東西冷戦が終結し、イデオロギー論がまさにフラットな視点で議論できる現在の環境こそが、社会改良主義が再び力を盛り返すきっかけになればいいと思います。

 社会主義インターナショナル「フランクフルト宣言」には明確に「社会主義は生産手段を所有・管理する少数者への依存から国民を解放することを目的とする。社会主義はすべての国民の手に経済の決定権を与え、自由な人間がそれぞれ平等な資格で共に働く共同社会を作りだすことを目的とする。」と書かれています。全ての国民が決定権を持つ事、ソ連が崩壊し社会主義は一度原点を見直す必要があります。社会主義という言葉自体はソ連マルクス主義以前からあった言葉なので、幅広く百家争鳴なハイパー資本主義の修正案を多くの人が議論でき、実践できる環境を私もできるだけ目指していきたいと強く感じています。マーガレット•サッチャーの発言「社会はない。あるのは個人と家族だけ」という言葉は間違っていますね。社会はある。個人一人一人尊重されるような社会が民主主義であり、その一人一人が自己決定権を持ち共同体に参加できる事が民主社会主義だと確信しています。

*1:共産主義の諸原理よりーThe Principles of Communism  日本語訳ーhttps://www.marxists.org/nihon/marx-engels/1847/kyosan-shugi-no-kiso.htm

*2:質問4

*3:質問14

*4:質問24

*5:共産主義の諸原理」質問18には後の共産党宣言同様、マニュフェストが掲載されています

*6:反動社会主義者は当時ドイツ帝国支配層の「アメとムチ」政策など、封建勢力による一定の緩和策の事を念頭においています。ブルジョワ社会主義者は宗教家や慈善家、政治改革者などブルジョワ階級の改良主義者の事で、後の著書でも批判的です。政治改革者は日本史で例えるなら自由民権運動の活動家などブルジョワ民主主義者の事を指します。

*7:@laborkounion.bsky.social on Bluesky

米国財務省「労働組合と中間層」を読んで−中間団体の攻防

  「鍋パーティーのブログ」に参加している皆様。お初にお目にかかります。私は、ハンドルネーム「レバ子」として労働運動を中心にTwitterやnoteで、些細な発信活動をしています。

Twitterhttps://x.com/laborkounion?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

noteーhttps://note.com/laborkounion

 

   ハンドルネームから、予測できるように労働組合活動を主に専従、役員として携わってきました。そうやって言うと、なんだか大きな椅子に座って偉そうにふんぞり返っている姿をご想像されるかもしれないです。実際は、専従時代は除いてみれば役員と言っても当然本業との掛け持ちで、こうやって再分配について資料をもとに課題を検討しつつ実践に移すためどう言った目標を設定するべきか?を考えていますが、経済学どころか私はそもそも大学で何か論文を書いた事もなく、もっと言えば大学を入学も卒業しておらず地元の商業高校卒業し、愛知県にて夜間短大を卒業後、本来やろうと思っていた仕事が自分ではできそうもないから親戚に相談したところ愛知県では一応名前だけは皆が知っている企業に就職。経理がいいなと思っていたのに、会社の都合もあったのか就業した場所は現業職。私生活、仕事内容、そして誘われて入った労働組合。現在も最初に身につけた現業職にて生計を立てている典型的な「地方から就職のために、地方都市に来た人」です。こうしたどこでもいる人が曲がりなりにも自分の経験などを通して、学べた事をもとにほとんど触った事もなく、それどころか避けていたSNSのアカウントの取得をし、こうして十何年もブログで活動している方の末席に座れる事は名誉なことでもありますが、緊張もしています。どうか一つ、こういう意見もあるという事を暖かく見守ってくだされば幸いです。

 

 労働組合についてよく分からない、入っているが行事に参加したことはない、そもそも会社にないという事はSNS上でも多くの人の意見としてあります。実際、私共の活動は実態が分かりにくい部分がある事は承知しています。折角の共用ブログにて記事を掲載される機会を得ましたので、「鍋パーティーのブログ」については『労働組合の定期大会』『労働組合の活動』の雰囲気を少しだけ文章で伝わるような形態で記事を作成したいと考えています。どうかお付き合いくださいませ。この記事では私が大変不慣れでございますが、議長と活動報告者、議案提案者をさせて頂きます。皆様のご協力を得ながら議題に沿ってご説明させて頂きます。

 

【報告の部】

1、第1号報告 米国財務省労働組合と中間層」を読んで

 

米バイデン政権 『労働組合と中間層』日本語訳ーhttps://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio391-k.pdf

 

 町内会、PTAなどの団体が成り手不足であり一部の地域では解散してしまったという報道をよく目にする機会が多くなったと思われる方はいらっしゃいますでしょうか?こうした事例は私共労働組合も似たような事をよく見聞きし、一つの企業で働く人が集まった単位組合、私共が普段使用している「単組」におきましては、トヨタ自動車労働組合のような組合員数が数万人も所属する巨大単組は別として、数百人から数十人の組織におかれましては、執行委員会のメンバーが10年近く微動だにせず同じ人がやらざるをえない状況が続いています。海を超えたアメリカ合衆国におかれましても、組織化において課題を抱えており路線の違いで労働組合の全国中央組織(ナショナルセンター)のAFLーCIOが分裂を引き起こした事例もあります。先の大統領であるジョー・バイデン政権は「史上もっとも労働組合寄りの大統領」がスローガンであり、またアメリカ民主党内に労働組合の支援を手厚く受ける民主社会主義者バーニー・サンダース連邦上院議員が指名候補者選挙において最大のライバルであったため、またアメリカ共和党内で台頭した「ワーキングクラス派」。第一次ドナルド・トランプ政権の原動力であったいわゆるラストベルトの労働者層の支持を再び奪還するために標榜したスローガンとは言え先進国の大統領が労働組合への支援を政策に掲げる事は大変珍しい事です。

 

 こうした背景から米国財務省から出された報告書「労働組合と中間層」は、多分に政治的な事情もありながら先進国の官庁がデータに基づく資料を用いて、労働組合が不平等の是正に繋がるか?を真剣に討議し出された結論です。「所得の再分配」は国際的な労働組合活動の観点から、既に多くの論争がありました。労働組合、協同組合、公共団体がどれほど再分配政策に寄与できるか?いわゆる中間団体はグローバルスタンダード化によるハイパー資本主義に対してどれだけ特効薬になりえるのか。政治的背景に一定の注釈をつけながら読んでみると労働組合だけではなく「産業の社会化」について一定のご理解を頂けるものと確信しております。

 

2、第2号報告 米国財務省報告書「歴史的背景 中間層の動向」を読んで

 

労働組合と中間層」 ―連邦財務省報告、既存研究論文を幅広く紹介

https://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2024/03/usa_01.html

 

 1970年9月13日「ニューヨークタイムズ」において、後年ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学ミルトン・フリードマン教授は「企業の社会的責任は利潤を増やす事である」というタイトルに「フリードマン・ドクトリン」という見出しをつけて発表しました。米国財務省報告書のFigure1 組合組織率と不平等のグラフを参照にしてみれば70年代は上位1%の収入割合がアメリカにおいても限りなくゼロに近づいた時期と重なります。ただ米英をはじめとした先進国内では物価上昇とインフレが同時期に発生するスタグフレーション期が到来し、失業率の増加は対策は必要不可欠でした。

 労働組合は経済停滞の原因となる。組合員の家族を優先的に社員にする。組合に入れねば会社を解雇される。是非の判断は別として、景気低迷の理由に労働組合に求める主張は長引くスタグフレーションの最中に一定の説得力を持ってしまいました。「フリードマン・ドクトリン」が先進国内だけではなく新興国にまで適用されるとグローバル経済化が急速に進んでいき、労働組合の組織率は低下しました。その機運が高まるにつれて、上位1%の収入割合が独占資本が国内経済を統制していた1910年代のように、新しい富裕層による富の集中が各国で起こりました。

 

 米国財務省報告書には、労働組合が中間層に与える影響をデータを用いて立証してみせるという画期的な試みです。報告書においてもいわゆる「中間層」の定義は所得分布において中間階級、住宅所有や大学教育を受ける余裕がある世帯を想定してあります。「フリードマン・ドクトリン」が導入され始めた80年代から2019年の40年の間、実質的な家計所得の中央値は0.6%しか増えていないのに対し、家事などを含めた総労働時間は父親、母親共に数時間増加した事を示してあります。報告書には「仕事が増えて、遊びが減る」と簡潔にまとめてあります。中間層の成功の象徴であった住宅所有の道は、住宅価格の中央値の高騰により70年代から現代まで2倍以上の上昇を見せています。住宅所有だけではなく賃借契約も同様であり、1960年代にかけて2000年代は家賃に30%以上の割合が増加し、COVID-19パンデミック以降さらに急増しました。1980年代以降に生まれたミレニアム世代は約40%が70歳以降退職前の生活水準を受けられず1937年から64年に生まれた世代のライフステージを退職の備えは減少している事を示唆しています。「より良い生活を子供に引き継ぐ事ができない」米国財務省報告書から、その危機感は文章からも読み取れます。職場はより安全となり、高等教育を受ける割合が40%近い数字に到達し、技術の発展により職場の効率性は向上しコンピューターの所有率はスマートフォンなどを含めればほぼ100%近い水準に達しています。ライフスタイルは大きく変わった点もあれば実質賃金と世代間流動制の低下を招いている事は今後の課題だと思われます。

 

3、第3号報告 米国財務省報告書「中間層に対する組合効果」を読んで

 

  2024年「労働組合基礎調査」の結果に対する談話 日本労働組合総連合会

 ーhttps://www.jtuc-rengo.or.jp/news/article_detail.php?id=1327

 

 バイデン政権 財務省報告書「労働組合と中間層」において労働組合が中間層の再構築にどれだけ関与できるのか。「労働組合が賃金を上げる」「労働組合が福利厚生や労働環境を改善する」事は日本においても、ある種において当然視されています。財務省報告書においても、その点はデータを用いていますが要求書を提出する事ができる団体が労働組合のみであるのなら、ある程度結果は帰結するものと考えます。労働組合の存在が、労働組合がない職場においても「労働組合がいかに再分配に関与できるのか?」が最重点項目になります。報告書には労働組合のない職場に対する波及効果を「フリードマン・ドクトリン」と違う視点で文章化されています。

 まず第一に労働組合がない企業は労働組合がある企業と競争することにおいて労働条件の向上を図り、第二は労働組合労働市場に及ぼす影響、最賃引き上げや安全法改正のようにより多くの労働者が恩恵を受けると発表しています。あくまで推定ではありますが労働組合の組織率が向上すれば、非組合員の所得も0.4%増加すると書かれています。仮に組織率が1979年と同水準なら、現在の組合のない民間セクターの労働組合非組合員の賃金も5%の増加が見込めたと計算しています。米国における多数の大学の学位を持たない労働者はさらにその推定値も大きくなると計算しています。

 労働組合における地域活動の便益の向上については、日本の労働組合の人間として数々の労組OB、OGによる運動団体が存在し、そうしたものに連動する形でボランティア活動を行う事は事例多数で、データ化は非常に難しいものですが、労働協約における同産業で働く労働者への波及効果は一定の成果を上げている産別も存在し、労働者団体だからできる事を今後も増やしていく事が重要です。

 

 イリヤナ・クジエンコ、マイケル・ノートンアメリカ経済学者はある興味深い実験を行いました。「富裕層と貧困層の格差を縮めるために政府は対策をうつべき」という質問に対して2008年から2010年にかけて急減しているという結果を示しました。白人の富裕層の共和党員が猛烈に反対しているわけではなく、マイノリティら所得が平均よりも下回っている答えた人の方が再分配反対論の数が僅差ながら多かったのです。

The "Last Place Aversion" Paradoxーhttps://www.scientificamerican.com/article/occupy-wall-street-psychology/

 

 最低賃金が引き上げられ、再分配が行われると自分が最下位になる可能性もあるかもしれない。最低賃金より少しだけ上回っている層が最低賃金の引き上げに反対するという自己矛盾のような案に賛成しがちなのは、こうした最下位になる事による恐怖が再分配政策にはつきまとっている可能性も示唆されます。連邦政府による職の保障や保護主義的な貿易による事前分配を労働者層は支持をし、累進課税の強化など事後分配となる政策は高学歴層が支持をし、その結果労働者の支持がアメリカ民主党が苦戦する要因になったとクジエンコ教授はそうした主張をしています。ラストベルトの陥落に驚愕するアメリカ民主党はじめとした「リベラル」政党や労働組合にとって一石を投じる見方だと思います。

 

【議案の部】

1、第1号議案 活動方針(案)

 

 私たちの労働環境は、法制度、物価高騰、人手不足など働く環境だけではなく家庭環境も常に変化しています。心身ともに健康で安心した環境整備が不可欠です。組合として起こりえる労働環境の悪化や法制度の改悪に注視し、組合員やその家族を守る事を念頭においた活動を展開する必要があります。

 未来の労働組合の活動を下記内容に沿って進めていき、「はたらくのそばで、ともに歩む」存在であるように努めていきます。

 

1、組合活動の理解を深めてもらうために、職場の声をボトムアップをし働く人の代表として、更により一層の社会運動に取り組んでいきます。情報収集を欠かさず、きめ細かい点検活動を行う事で全ての働く人の利益に叶うような提言や運動を行なっていきます。

2、組み上げた私達の声を組織内、組織外に限らず議会に届けてもらえるような政治活動を行います。一部で声高に叫ばれる「配るぐらいなら、取るな」という声に反対し、その声に迷う全ての働く人のために常に活動を活発化していきます。

3、教育、医療、住宅は労働者にとって最も重要な生活必需品です。公共の資産たるこの3つの法制度は累進課税の強化による再分配政策によって達成されるという事を多くの人に知ってもらうために広報活動の強化も徹底して行います。閉じられた組織ではなく開かれた団体を目指します。

4、組織率が低迷しているサービス業セクターを重点に、多くの人が労働組合活動に興味、参加していただけるような組織づくりを行います。技術が常に進歩を遂げ生活様式が変わったように、労働運動もかつての運動を継承する部分はバトンを保ち、変化が必要な部分は改革を行う柔軟性を持つことを必要としています。労働運動の成果を全ての働く人が恩恵を受ける活動を実践していきます。

5、小さな政府による規制緩和が経済成長を起こし、トリクルダウンで労働者層に恩恵を与えるという20世紀の廃れた理論である「フリードマン・ドクトリン」は明確に誤りであったという事を主張します。産業の民主化を達成するために労働組合も労使交渉だけでなく、経営について一定の発言権を持てる法制度改革を強く訴えていきます。働く職場、全てに労働者代表の発言権を確保します。

 

この議案に質問があれば、是非お願いします。承認という事でよろしければ拍手をお願いします。

議長降壇にあたり、挨拶申し上げます。皆様のおかげで無事に議事を滞りなくスムーズに行う事ができました。ご協力に感謝いたします。私事の話になりますが、実家は漁業を営んでいました。少なくとも社会観念については相当保守的だった亡き実父は反発した事もございましたが、今でもその教えは私を助けてくれる事もございます。父は常日頃から「自分のゼニは自分の算盤で弾け」という事を話していました。これは経済学というとても大層なものではなく、自分の銭金ぐらいは人任せにするなという随分ぶっきらぼうな言葉でございますが、私の労働組合活動の大半が共済運動だった事もあり今でもその言葉を痛感している次第です。先日「減税会」なる新しく生まれた潮流が「貯蓄率が高い日本人は元来減税派である」という主張を展開しました。すでに日本の貯蓄率はアメリカや韓国よりも下回り生活苦が目の前に迫っている時に、算盤を弾くよりも動画の編集によってほとんど何も考える事なく転向する。何十年も同じ「減税会」的な主張に靡く転向者も呆れもしますが平気で嘘をつき、あまつさえ算盤を弾く事がまだできない人をより一層煽動して自分の広告収入してしまう人は呆れを通り越して許せないのです。そのような事で本来はもっと違う運動を目指していたSNSの労働運動はこうして範囲を広げて、ブログも書いてみましたが思っている事をなかなか文章にするには難しいという事を更に理解できました。今後も皆様のご協力のもとできる事は全てやっていくという初心を忘れずに励んでいきたいと考えています。

本日の決議が全ての人々にとって実りあるものになる事を祈念して降壇の挨拶とさせていただきます。

三幸製菓工場火災を思い出せ

 三幸製菓工場火災を思い出せ。なぜ、今、そう訴えたいのか。それは、高齢者を、社会保障負担を増大させ、「現役世代」の手取りを減らし、経済を停滞させる存在として描くことで、世代間対立を煽り、社会保障削減につなげようとする新自由主義的な風潮が猛威を振るおうとしているからだ。その象徴が、先の衆院選での国民民主党(民民)の躍進と、それを受けての支持者たちの悪目立ちだ。選挙に先立ち、民民の党首玉木雄一郎は、社会保障費抑制の文脈で尊厳死を法制化する発言をし、物議を醸した。玉木は、どうせ、その「意図を否定」したのだろうが、そんなことは重要ではないので、調べようとも思わない。重要なのは、これを「勇気ある提言」と讃えるような層が、玉木支持を鮮明にしているということだ。選挙が終わり、民民と与党との政策協議が話題になるたび、私の観測範囲では…とはいえ、私はXはしていないが…彼らが吹き上がっている。しかるに、彼らが描き出す高齢者像は真実を捉えているのか。そして、彼らはそうした高齢者たち「お荷物」を背負って社会のために働き、喘いでいるのか。否! それを鮮明に示すのが、三幸製菓工場火災だ。今年2月の経営陣らの書類送検を報じる朝日の記事から登録なしで読める部分を引用する。

 

www.asahi.com

三幸製菓CEOら4人書類送検 7人死傷の工場火災で業過致死傷容疑
鈴木剛志2024年2月2日 15時04分

 

 新潟県村上市で2022年2月、米菓メーカー三幸製菓(新潟市)の荒川工場が全焼し従業員7人が死傷した火災で、県警は2日、佐藤元保CEO(最高経営責任者)ら同社幹部4人を業務上過失致死傷容疑で書類送検し、発表した。組織として安全管理が不十分だったことが重大な結果を招いたとみて、トップを含む幹部の刑事責任を問う必要があると判断した。4人の認否は明らかにしていない。

 書類送検されたのはほかに、当時の製造本部長と生産統括部統括部長、荒川工場統括工場長。

 火災は22年2月11日午後11時35分ごろ発生。社員の渡部祐也さん(当時22)と田中雄大さん(同23)、パート清掃員の渡辺芳子さん(同71)、伊藤美代子さん(同68)、近(こん)ハチヱさん(同73)、斎藤慶子さん(同70)が死亡し、女性社員が一酸化炭素中毒により負傷した。

 火災を受けて同社が設けた有識者委員会や総務省消防庁の調査報告によると、点火された焼き窯の熱で上部に設置された乾燥機が熱せられ、底にたまったせんべいのかすが過熱して発火。天井の断熱材の発泡ウレタンに引火した。火の回りが早かったうえ、夜間に停電も起きていたところに、有毒ガスを含む黒煙が大量に発生したという。

 荒川工場では避難訓練が十分行われず、非常口や防火シャッターに関する周知もされていなかった。また、19年までの30年余りの間に、今回と同様にせんべいなどの菓子のかすが出火元になった火災が8回起きていたという。

 捜査1課によると、佐藤CEOらは、過去の火災から乾燥機の清掃を徹底しなければ出火する可能性を予見できたのに指示を怠ったうえ、火災発生時の早期発見や避難などに向けた指導も不十分だった疑いがある。

 書類送検を受け、亡くなった伊藤さんの長男(46)は取材に「母を失ってから2年待った。佐藤CEOたちは罪をしっかり受け止めて反省してほしい」と話し、同社に対し「不信感が残り続けている。従業員を大事にできる会社になるよう体制をしっかりしてもらいたい」と求めた。

 同社は1962年設立。全国に営業所があり、「雪の宿」や「チーズアーモンド」、「ぱりんこ」などの商品が知られる。火災後に全3工場で停止した生産を7カ月後までに順次再開している。

 

 記事にあるとおり、この火災では20代の若い男性社員だけでなく、4人もの70歳前後の女性が犠牲になっている。高齢にもかかわらず、12時前という深夜に、多くの人が普段、普通に食べているお菓子を製造していて! いっぽう、経営陣は度重なる火災にも対策を取らず、果たすべき責務を怠ってきた。しかるに、彼らのその報酬たるや、途方もない差があるであろうことは容易に想像できる。これが「社会のお荷物」と「社会のために頑張っても手取りを奪われるかわいそうなお金持ち」か。そんな物言いに猛烈に腹が立つ。しかし、これが資本主義というものだ。そして、福祉国家という資本主義への修正が示された後に、それを放棄し、人類の歩みを逆戻りさせようとする新自由主義というものだ。もちろん、これは極端な例ではあるが、しかし、このように、むきだしの資本主義においては、社会貢献と報酬とに何ら関係ないことなど自明だ。その代表例が、この火災の犠牲者たちも含む、エッセンシャルワーカーの報酬だ。対して「お金持ち」たちは、資本主義において、人びとが協力して維持している社会から、過分に恩恵を受けている者たちだ。ならば、恩恵に見合った負担をしろ。再分配強化に同意しろ。それは、応能負担ですらない。応益負担だ。「社会のために頑張っているのに奪われる」という考え方には、このコペルニクス的転換が求められる。もちろん、再分配強化が応益負担であることこそ、真理だ。

 

 説明は省略するが、エッセンシャルワーカーの低報酬や、社会保障の切り捨て、格差の拡大が、社会の崩壊を招いているということにも触れておきたい。過疎地…というよりもはや廃村地と言った方が適当ではないか…の拡大や、少子化、医療・介護の危機、教育・保育の危機、そして最近目立つようになった闇バイトなどの治安の問題も、すべてこれらにその原因があると言ってよい。新自由主義は、国を滅ぼしている。

 

 最後に、先週、私の住む山口県で報じられた交通事故の記事を紹介したい。

www.yomiuri.co.jp

90歳運転の乗用車、歩道に乗り上げ68歳女性はね死亡させる…過失運転致傷容疑で現行犯逮捕
2024/11/09 12:26

 

 7日午後2時15分頃、山口県周防大島町東安下庄の県道で、歩道を歩いていた近くの清掃員の女性(68)が乗用車にはねられた。女性は病院に搬送されたが、多発外傷で死亡した。県警柳井署は車を運転していた同町の容疑者(90)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕し、その後釈放した。容疑を認めているという。

 発表では、現場は片側1車線の緩やかな下りのカーブで、車が歩道に乗り上げた。同署は容疑を同法違反(過失運転致死)に切り替えて任意で調べる方針。

 

 周防大島は、2018年10月に、貨物船の衝突により島と本州を唯一の橋である大島大橋が破損し、交通遮断や長期の断水に見舞われたことで話題になった、瀬戸内海に浮かぶ山口県最大の島だ。島全体を町域とする周防大島町平成の大合併で合併された町の一つ、東和町は、かつて、高齢化日本一の町として、よく話題に上った町だ。この事故は、その隣町である旧安下庄町で起きたものだが、もちろん、現周防大島町全体も、極めて高齢化率が高い。そんな町で、最近よくある高齢者が加害者でも被害者でもある交通事故が起きた。そして、その被害者の女性は、清掃員という、高齢女性によくある職業だった。やるせない事故ではあるが、特別な事故ではない…しかし、新自由主義的な風潮が猛威を振るおうとするなかで、やはり、考えさせられる出来事だと思う。

吉弘憲介『検証 大阪維新の会 - 「財政ポピュリズム」の正体』(ちくま新書, 2024) を読む

 この共用ブログには、ブログオーナーである私(古寺多見, kojitaken)は原則として投稿しないことにしていたが、あまりにも閑古鳥が鳴きまくっていることと、現在行われている自民党総裁選や立憲民主党代表選においても、富の再分配の議論が低調であることなどから、例外的に投稿することにした。

 先日、ちくま新書から出た吉弘憲介著『検証 大阪維新の会 - 「財政ポピュリズム」の正体』(2024年7月10日 第1刷発行)という本を読んだ。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 非常に興味深い内容の本だったが、書評を書こうと思ったらまた膨大な時間かかる。私は最近になってようやく本を読める時間が少し持てるようになったが、それでもかつてと比較すると時間の余裕がない日々を過ごしているので、なかなか書評など書けない。

 そう思いながら本書についてネット検索をかけたところ、社会学者の丸山真央(まるやま・まさお)氏の書評が、本書の発行元である筑摩書房のサイトに出ていたので、それを紹介することにした。

 

www.webchikuma.jp

 

 以下引用する。

 

「維新の会」の "強さ" を財政学で読みとく

吉弘憲介『検証 大阪維新の会―「財政ポピュリズム」の正体』書評

丸山真央

 

独自調査や財政データの分析から、大阪維新の会を徹底検証した吉弘憲介さんの新刊『検証 大阪維新の会 ―「財政ポピュリズム」の正体』(ちくま新書)。同書の書評を、社会学者の丸山真央さんにお書きいただきました。『ちくま』8月号より転載します。

 

 「維新の会」について関西以外の友人や研究仲間からよく聞かれるのが、「どうして人気なのか」「本当にそんなにすごいのか」ということである。本書の著者も言っているように、関西以外で維新の会への関心は高くない。それでも国政選挙が近くなったり大阪発の全国ニュースが増えたりすると(最近だと万博の費用や会場の問題)、維新の会のことが頭をよぎるのであろう。そこで先の問いが投げかけられるわけである。

 

 「どうして人気なのか」とは、要するに「誰がなぜ支持しているのか」ということである。そこで、「支持者は若年層や高所得層に限られないらしい」とか「自民党の支持層と大して変わらないそうだ」とか、「 "大阪の代表" として支持されている面はあるようだが」などと、政治学社会学の実証研究を思い浮かべながら答えることになる。

 

 それに対していつも困るのが、「本当にそんなにすごいのか」への返答である。敵を仕立てて派手に戦って見せたり、「大阪都構想」「万博」「IR」とぶち上げたりしているが、「結局どれほど大阪は変わったのか」という問いである。これに答えるために参照しうる政策研究や財政学の実証研究が、意外にもというべきか、これまで乏しかったのである。

 

 前置きが長くなったが、本書の登場によって評者はこの悩みから解放されることになる。「本当にそんなにすごいのか」という問いに、本書は財政学を武器にして見事に答えてくれる。しかも「どうして人気なのか」に結びつけて説明してくれる。

 

 維新の会は、「行政のムダ」を強調するなど「小さな政府」志向の新自由主義の政党とみられることがある。しかし実際には、維新の会以前も以後も、大阪市の財政規模は「小さ」くなく、むしろ「大きな政府」だという。たしかに維新の会が最近強調する「私立高校の無償化」は「小さな政府」に逆行する。

 

 要するに、維新の会は「大きな政府」の内実を変えたのである。既得権益」層とみなされた公務員は、「身を切る改革」によって著しく人員が減らされた。「身の丈にあった財政運営」という均衡財政主義によって、新たな借金は抑えられ返済が進められた。他方で、小中学校の教育費の支出水準は上昇した。都心部のインフラ整備への支出も増えたという。

 

 こうしたことが「財政ポピュリズム」というキーワードで読み解かれる。「既存の配分を取り上げ、頭割りに配り直すことで人びとの支持を調達する」ものであるが、そこでこれまでの配分を奪われるのは公務員に限られない。特別支援学校の運営費や社会保障支出など、弱者や少数者のための費用が削られ、その分がマジョリティに歓迎される政策へと回されるのである。

 

 このような「財政ポピュリズム」が「財政の本質的な否定」であるとの指摘は非常に重たい。本来、財政は個人でどうにもできないものを共同の税の負担で賄うものである。それを、マジョリティの個人が利益を実感できるものへと解体することは、たしかに「コスパ」重視の時代にウケる面があるのだろう。維新の会はそこに的確に照準したのである。しかし「回りまわって全体の利益につながってきた」ものが解体されるのであり、本書はそこに警鐘を鳴らし、再建の途を探っている。

 

「財政ポピュリズムは、必ずしも維新の会の専売特許ではない」とも指摘される。政治や行政への不信が導く財政ポピュリズムは、私たちの社会をどこへ連れて行くのだろうか。こうなると問題は維新の会にとどまらない。

 

 本書はだから維新の会に関心をもつ読者だけでなく、むしろ他人事だと思っている(関西以外の)読者にこそ届いてほしい。維新の会を理解する格好の入門書であると同時に、維新の会の財政学を手がかりにした現代政治論であり現代社会論でもある。

 

URL: https://www.webchikuma.jp/articles/-/3598

 

 上記書評を読んで、神野直彦金子勝の名前が思い浮かんだ読者の方もおられるに違いない。私もそうだった、というより、書名を見た時に著者はその系統の方ではないかと予想した。そして、それは当たっていた。

 著者は、「東京大学名誉教授神野直彦先生のご薫陶のもとで、アメリカ財政論から研究履歴をスタートさせた」*1、「恩師である慶應義塾大学金子勝先生からは、研究会などで研究アイデアや原稿に対してコメントをいただいた」*2と書いている。やはり、神野・金子系の学者だった。

 日本のリベラル・左派系ネット論壇では、ある時期からこの神野・金子系は不評になった。それに代わって人気を得たのがMMT(現代金融理論)系だが、この系列の人たちはある時期から「消費税減税」ばかり言うようになり、私の見るところ、外形的にはイギリスで一昨年失敗して49日しか政権が保たなかった保守党の新自由主義政治家であるリズ・トラスの過激な減税政策と区別がつかない。もっともこの印象には、ただでさえ経済学のど素人である私が「日本版MMT*3に警戒して近づかないようにしているせいかもしれない。ともかく私が(日本版)MMT論者の言うことに説得力を感じたことは一度もない。

 そのMMTを主張する人たちが目の敵にしているのが神野直彦金子勝である。だから、日本版MMT派が盛んになった頃から、神野・金子派は不人気になった。しかし私は本書を読んで、神野・金子系の財政学者であると思われる著者の分析に説得力を感じるとともに、MMT派は果たして維新をどのように批判するのだろうかと思ったのだった。

 日本版MMTへの偏見というか悪口はこのくらいにしておく。

 本書で強く印象に残ったのは、引用文中で赤色の大文字ボールドにした「財政ポピュリズム」の概念だ。

 他ならぬ神野氏の著作によって、私は再分配の「普遍主義」を学んだ。「普遍主義」と、それと対をなす概念である「選別主義」について、以下に本書から引用する。

 

 政府が公共サービスを供給する際に、その提供の基本的な考え方として、選別主義と普遍主義という二つの考え方がある。自分ではどうしても十分に買うことができない困窮者に限定し、政府が教育や医療などの公共サービスを提供するという発想が選別主義である。一方、医療や教育は、所得にかかわらずすべての人にとって必要な基礎的ニーズであると考え、政府が国民全員に公共サービスを供給するのが普遍主義である。(本書132-133頁)

 

 財政学では一般論としては普遍主義の方が選別主義より望ましいとされる。神野直彦はよく「選別主義から普遍主義へ」というスローガンを、「現金給付から現物給付へ」、「再分配のパラドックス」とともに掲げていた。著者は普遍主義について下記のように書いている。

 

 普遍主義では、多くの人が公共サービスの受益を実感でき、その実感が政府への信頼を育てるといわれている。歳出が大きくなると、政府を信頼する納税者は高い租税負担を受け入れるというのが、一般に語られる仮説である。(本書146頁)

 

 普遍主義と選別主義のいずれにするかで議論になったのが、民主党政権時代の「子ども手当」である。民主党政権はこの制度で普遍主義をとったが、党内でこれに反対して所得制限を設けろと主張したのが当時民主党幹事長だった小沢一郎だ。結局所得制限は設けないことになったが、小沢は「普遍主義」を理解していなかったわけだ。

 ところで、大阪維新の会がやったのは、それまで選別主義で行われていた部分を普遍主義に変更することだった。ここに大きな問題があった。

 再び本書から引用する。

 

 普遍主義に基づく支出には、選別主義よりも多くの財源が必要になる。維新の会が単なる「小さな政府」を指向しているとすれば、このような政策をとらないように思われる。しかし実際の配分を考えると、大阪維新の会が行う普遍的給付の方法には注意が必要である。(本書133頁)

 

 簡単に書くと、維新は生活保護障がい者への給付を削って、その分を私立高校の無償化などの普遍主義に基づいた普遍主義の給付につけ替えたのだ。つまり、財政支出の規模はそのままで、選別主義に使っていたお金を普遍主義へと回した。

 普遍主義はもともと政府や財政に対する信頼を増すものだが、維新の政策の出発点は既存政治や財政への批判にある。そして、(財政規模を大きくするのではなく、トータルはそのままで)選別主義を削って普遍主義に回すため、困難を抱えた人たちから資源を取り上げて(社会の)分断を深めると論じられている。

 こうした維新の政策に対する批判をまとめた部分を本書から引用する。

 

(前略)本書で検討を行った維新の会における「身を切る改革」は、既存の配分を既得権益と批判し、さらに均衡財政主義を前提に削減した歳出をマジョリティに配り直す行為といえる。そして、既存の政治に不満を持つ人びとは、自分たちが受給者となる可能性が高まるため、これらの政策を支持することになる。つまり、財政ポピュリズムは自己利益を最大化する合理的個人からはごく自然に支持される選択肢なのである。

 

 しかし、個人が市場を通じて合理的に取引しても供給されないのが公共財である。公共財を供給することは、個人の合理性を超えて市場以外の仕組みで財政を運営しなくてはならないことを意味している。

 

 維新の会が行う財政ポピュリズムが合理的個人にとって魅力的に映るとしても、それは財政の本質的否定にほかならない。財政を信用できないからといって、財政を解体して個人に繰り戻しても、社会全体は徐々に貧しくなっていくことになるだろう。(本書149頁)

 

 普遍主義でありさえすれば良いと言うものではない。考えるまでもなく当たり前のことだろう。それでなくても、日本では2010年代前半頃から「生活保護バッシング」なども起きており、私が運営するブログでも、つい最近もそれをめぐるトラブルがあった。生活保護のような選別主義の施策も必要不可欠だ。

 著者は下記のようにも書いている。

 

そもそも、所得制限を撤廃した教育費無償化政策には「マタイ効果」と呼ばれる格差の拡大を助長する効果も指摘されており、普遍主義的な配分が自動的に社会内の問題を解決するわけではない。(本書148頁)

 

 引用文中に出てくる「マタイ効果」とは何か。「マタイ福音書」や「マタイ受難曲」のマタイかと思ったらその通りだった。下記noteから引用する。「マタイ効果」の説明文の前後にある、例のカタカナ6文字で表記されることが多い安倍晋三政権の経済政策に対する批判も興味深いので、少し長めに引用する。安倍の経済政策に対する批判の部分は赤字ボールド、「マタイ効果」の説明の部分は青字ボールドで示した。

 

note.com

 

 格差是正が重要課題と位置づけながらも、そのための政策の目的と手段をめぐる再検討があったとは言い難い。政策目的は現行の手段を正当化しない。所定の目的を最も効果的・効率的に達成される手段が講じられねばならない。格差是正を目的とした増税はそれをセーフティ・ネットの財源とするなど有機的な設計に基づいていなければ、いわゆる無駄遣いにつながる。

 2012年末に安倍晋三政権が発足して以来、派手な宣伝と共に政策が次々と打ち出される。しかし、それは所得再分配よりもGDP拡大を優先させた復古的なものである。先のニュースは数年に亘る是正論議が政策にさほど生かされていないことを物語っている。

 この傾向はジョゼフ・スティグリッツの懸念通りである。彼がいわゆるアベノミクスを評価したのは、再分配の原資には経済成長が必要だと考えているからだ。01年ノーベル賞受賞者は、13年6月15日付『朝日新聞』のインタビュー記事「アベノミクスに欠けるもの」において、再分配政策が盛りこまれていないことに失望している。

 この宇沢弘文の弟子にとって、アベノミクスに期待していたのは成長戦略ではない。再分配である。スティグリッツは02年に国内外の格差を拡大させているとワシントン・コンセンサスを糾弾した経済学者である。それを無視して彼がアベノミクスを支持していると宣伝する人は素朴か愚劣かのいずれかである。

 格差拡大や二極化を「マタイ効果((Matthew effect)」と呼ぶ。これは『マタイによる福音書』13章12節や25章29節の「持てる者はさらに与えられて豊かになるが、持たざる者はすでにあるものまで奪われる(Qui enim habet, dabitur ei, et abundabit; qui autem non habet, et quod habet, auferetur ab eo)」に由来する。社会学者のロバート・K・マートン(Robert K. Merton)が1968年に提唱している。 

 現在、世界中にマタイ効果が遍在している。この改善が最重要政治課題の一つであるという国際的なコンセンサスが事実上あると考えて差し支えあるまい。確かに、対象によってマタイ効果の生じる原因やメカニズムは異なる。システム論によるポジティブ・フィードバックが最もよく知られた説明だろう。いずれにせよ、マタイ効果を手放しで認める人はよほど能天気である。

 マタイ効果が問題視されたのは新自由主義グローバル化の世界的伸長からだろう。

 戦後、ケインズ政策をビルトインした福祉国家が国際的な標準体制と認知される。東西での違いはない。この体制下、マタイ効果はおおむね抑制される。しかし、福祉国家はグローバル規模で30年間続いた高度経済成長によって維持が可能だったのであり、その終焉と共に、限界に直面する。福祉国家は、原理上、ケインズ主義施策によって苦境から脱出できない。ケインズ主義を内包した体制であるため、不況に直面しても、財政出動の効果は弱い。

 80年代に入ると、ケインズ主義に代わって、新自由主義が経済政策のヘゲモニーを獲得していく。90年代を迎え、東西冷戦が終結し、国家体制の共通化が進み、共通ルールの下での人・モノ・カネ・情報の自由な移動を国際的に促進させるグローバリゼーションが進展する。

 先に言及したワシントン・コンセンサスはグローバル化におけるIMFによる途上国向けの累積債務の基本方針10箇条である。DCの国際経済研究所のジョン・ウィリアムソンが189年に発表した論文に由来し、新古典派の色彩が非常に濃い。ここから「小さい政府」や「規制緩和」、「市場原理」、「民営化」といった概念が派生する。ワシントン・コンセンサスによる世界統一戦略はグローバリゼーションの一つの象徴である。しかし、それにつれて、さまざまな方面での格差拡大や二極化が顕在化し始める。マタイ効果の時代が到来したわけだ。

 福祉国家がマタイ効果抑制に一定の機能を果たしたなら、その見直しは増殖につながる。マタイ効果の遍在の一因にポスト福祉国家のヴィジョンが明確ではなかったことが挙げられる。新自由主義ケインズ主義を批判したが、国家像の点では、夜警国家への回帰程度で、建設性に乏しい。

 問題意識を持った理論家は、伝統的な国家=市民社会という思考の座標軸に立ち戻り、福祉国家から「福祉社会」への脱皮を提唱する。しかし、この概念は論者によって異なっている。比較的明快に語っていたのがウィリアム・A・ロブソン(William A. Robson)であろう。彼は、『福祉国家と副詞社会(Welfare State and Welfare Society)』(1976)において、福祉社会を分権的で、市民が自主的に参加して問題解決を図るコミュニティと説明する。これは、現代的に言い換えると、高いソーシャル・キャピタルの社会である。

 今日、広範囲で社会関係資本の重要性が認識されている。途上国への支援や災害からの復興などにもソーシャル・キャピタルの有効性が認知されている。議論自体は以前から行われてきたものの、定性的研究が多かったが、近年定量的成果も蓄積され、有効性が可視化されている。グローバル=ローカルのいずれのレベルでも社会関係資本の果たす役割が大きく、その成長が今後のよりよい世界構築に寄与するだろう。

 福祉国家国民国家を単位にしている。しかし、マタイ効果の地球規模での遍在により福祉社会のみならず、「福祉世界(Welfare World)」が求められている。こうした現状に対応するには、その実績を考慮するなら、ソーシャル・キャピタルのさらなる育成が効果的だ。マタイ効果の改善にソーシャル・キャピタルの成長を抜きにして考えるべきではない。

 ワシントン・コンセンサスは国際的標準化であるから、世界各地で時間をかけて蓄積されたソーシャル・キャピタルの違いを考慮していない。こうした市場の突出に対して政府の役割とのバランスをとることだけではマタイ効果是正には不十分だ。政府と市場と社会のバランスが要る。政府や国際機関による政策もその観点から考案・実行される必要がある。少なくとも、社会関係資本を縮小させる施策をしてはならない。格差拡大の税制変更など論外だ。時代錯誤にもほどがある。

 

URL: https://note.com/savensatow/n/n84995d4c6670

 

 従来の「福祉国家」論者は再分配の範囲を国家内にとどめずに「福祉世界」を目指せという主旨だろう。グローバルな社会的資本が必要だというのはその通りだろうと私も思う。その原資としてグローバル法人税を提唱したのがトマ・ピケティで、10年前には非現実的だと嘲笑する向きが多かったが、既に税率はまだまだ低いとはいえ実施されている。

 なお、本書の短い紹介として良いと思ったのが、前記丸山真央(*4の書評についたはてなブックマークだ。

 

「維新の会」の "強さ" を財政学で読みとく|ちくま新書|丸山 真央|webちくま

"「財政ポピュリズム」が「財政の本質的な否定」であるとの指摘""財政は個人でどうにもできないものを共同の税の負担で賄うもの""それを、マジョリティの個人が利益を実感できるものへと解体" →自分の足を喰う蛸

2024/08/29 18:18

 

 最後に、本書を読んでいて気になった事実関係の誤りを指摘しておく。本の初めの方に書かれた、二度目の大阪都構想住民投票衆議院総選挙の時系列に関する誤りだ。これは本書の論旨に直接影響するものではないが、明白かつ初歩的な誤りだったので非常に気になった。その部分を以下に引用する。なお引用に際して漢数字を算用数字に改めた。

 

 直前の衆議院選挙でも躍進した維新の勢いから、ついに都構想賛成が多数派になるかと思われたが、住民投票の結果は賛成67万5829票、反対69万2996票となり再び僅差で否決された。(本書43頁)

 

 このように書かれているが、二度目の都構想住民投票が行われたのは2020年11月1日である。

 

vdata.nikkei.com

 

 その直前に衆議院選挙など行われていない。維新が躍進した(思い出したくもないし、その後の日本の政治を思いっきり混迷させたと私がみなしている)総選挙の投開票日は2021年10月31日だった。

 ちなみに、二度目の住民投票が行われる前の最後の衆院選で、維新は旧立民のブームに飲み込まれるなどして大惨敗した。2021年の総選挙はそこからのV字回復だったために、日本の政治に非常に大きな悪影響を与えたのだった。現在の維新は大逆風にさらされており、つい先日も衆院選候補予定者の離党騒ぎなどもあったので、次の衆院選で維新は再び2017年のような大惨敗をするのではないかとひそかに(ではなくて大っぴらに)期待している。

 上記の誤記は、せっかくの好著だけに惜しまれる。著者のみならず、ちくま新書の編集部に対しても、もっとしっかりせよと「激励の喝」を入れたい。

*1:本書206頁

*2:同前

*3:本家のアメリカではMMTは左派が主唱しているが、日本版MMTにはなぜか右派の賛成者が多い。

*4:まおではなくまさお。丸山眞男でも浅田真央でもない。

今こそ財政の所得再分配機能と自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)の修復・強化の議論を

(この記事は、9月7日に自ブログにあげ、その後加筆修正したものを転記したものになります。)

 

 岸田首相の退陣表明前夜に、次の施策が少し話題になった。

www3.nhk.or.jp

この施策に対して、総裁選や総選挙を念頭に置いた人気取りだという批判が噴出したが、私も同意する。まさに、政権が特別に恩恵を与えることを、恩着せがましく強調するような施策であった。しかし、これは、手法があまりにも露骨で反感を買うものだっただけで、特別な給付や減税が政権の人気取りに利用されることは、近年では、べつに特別なことではない。

 

 けれども、これは、望ましい財政のあり方ではない。それを説明するキーワードとなるのが、財政の所得再分配機能と自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)だ。まず、改めて、所得再分配機能とビルトイン・スタビライザーについて確認する。ここではあえてネットからの引用はせず、カシオの電子辞書に収録されている山川出版社『政治・経済用語集』から引用する。学術的にも異論の少ない基本的な用法を確認したいからだ。

 

所得再分配

財政は,所得を再分配して,所得の平等化に役立つということ。所得税累進課税制度と,低所得者に対する医療・年金などの社会保障相続税による財産所得の平等化などによって,所得の再分配の役割を果たす。財政の機能の一つで,所得再分配機能⑩ともいう。

 

ビルト=イン=スタビライザー(自動安定化装置)⑰
built-in stabilizer 累進(るいしん)課税制度や社会保障制度を組み入れておくと,財政が自動的に景気を調節する機能をもつこと。財政の自動安定化装置ともいう。具体的には,景気が後退して国民の所得が減ると,税率が下がるため可処分(かしょぶん)所得はゆるやかにしか減少せず,社会保障制度によって給付などを受け取る人が増えるから,景気の急速な後退が避けられる。景気の拡大期には,所得の増加にともなって税率が上がり可処分所得はゆるやかにしか増大せず,給付などを受け取る人は少なくなるから,景気の過熱が抑制される。

 

 ご存知だと思うが、見出しの後の丸数字は、この用語を取り上げている高校教科書数を記したものだ。参考までに、どの教科書にも登場しているであろう「日本国憲法」を引くと、⑰と記されている。これらが学習必須用語であることが分かる。

 

 さて、特別な給付や減税は、主に困窮者救済や景気対策を名目に行われる。しかし、所得再分配の項にあるように、そもそも財政は、累進課税制度や相続税などで得られる財源をもとに、低所得者社会保障を行うものだ。また、自動安定化装置の項にあるように、累進課税制度や社会保障制度などによって、自動的に景気を調節するものだ。よって、特別な給付や減税による困窮者救済や景気対策が求められる状況というのは、財政が機能不全を起こしている状況なのだ。もちろんそれは、リーマンショックウクライナ危機などのような非常事態に多くの原因がある。

 

 しかし、「失われた30年」の間に行われた「財政改革」に目を向けると、それだけが原因ではなく、政府が積極的にこの財政本来の機能を失わせてきたことも原因であることが分かる。この間に、政府は、累進課税緩和や資産課税減税、社会保障の切り捨てを行なってきたからだ。ここから、現在、当然のように行われている特別な給付や減税は、政府が財政本来の機能を破壊したことの当然の帰結として必要になったものだといえる。それを政権の人気取りに利用するのは、まさにマッチポンプで、ろくでもない風潮だ。

 

 ここで、今、立憲民主党の代表選と自民党の総裁選が注目を集めているが、そこでの議論を、この風潮を改める契機とすることができないか。そうした観点から焦点を当てたいのが、まず、立民の枝野幸男が代表選立候補表明に際して掲げた政策だ。

www3.nhk.or.jp

www.tokyo-np.co.jp

 

 枝野の政策について、NHKの記事には、

消費税5%分の実質的な減税策として、中間層までを対象にした「給付付き税額控除」を創設することを打ち出しました

とあり、東京新聞には、

所得税などの累進性を強化すると訴えた一方、消費税減税には踏み込まなかった

とある。NHKの記事にある「給付付き税額控除」は、具体的な方法は語られていないが、何らかの形で、中間層の所得税などの税額を控除するとともに、低所得者には給付を行うものだろう。緊急時の特別措置としてではなく、平時から制度として低所得者に給付を行うものになるのではないか。そうだとすると、財政本来の機能を回復させる性格の政策になる。低所得者への給付は、本来なら、生活保護の拡充こそが求められるが、残念ながら、現在、それは、「水際対策」や「スティグマ」などの問題により、困窮者をもれなく機敏に救済するものとは程遠いものになってしまっている。よって、それを補助し、財政本来の機能を回復させるものとして、この「給付付き税額控除」は議論する価値のあるものだと考える。東京新聞にある「所得税などの累進性を強化する」ことは、ストレートに「失われた30年」の間に破壊された財政本来のあり方を修復するものだ。

 

 実は、枝野が掲げたこれらの政策は、立憲民主党として新しいものではない。次の2023年11月の時事通信の記事は、立民がこれらを含む政策を、次期衆院選公約の原案として発表したことを報じている。

www.jiji.com

しかし、当時、立民がこうした発表をした印象は薄い。今、枝野に注目が集まったことを好機として、改めて、こうした方向での政策の競い合いを盛り上げていくことが求められる。*1

 

 一方、自民党の総裁選では、金融所得課税の強化が争点の一つとして浮上している。

www.asahi.com

これも、ストレートに「失われた30年」の間に破壊された財政本来のあり方を修復するもので、こうした方向での政策の競い合いを盛り上げていくことが求められるものだ。しかし、自民党には、岸田文雄が首相になる前に総裁選でこれを掲げたものの、首相になるとすぐに取り下げた過去がある。

www.asahi.com

金融所得課税強化の議論を盛り上げていくこととあわせて、自民党がそれを拒んできたことを、必ず確認していかなければならない。

 

 まとめになるが、立憲民主党の代表選と自民党の総裁選を好機として、今こそ、財政の所得再分配機能と自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)の修復・強化の議論を盛り上げることが求められる。

*1:この記事の執筆中に、野田佳彦も給付付き税額控除を政策として掲げたことが報じられたことを付記しておく。

www3.nhk.or.jp




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