
ここは日蓮宗霊跡本山龍口寺門前。
藤沢市片瀬にある霊場です。
鎌倉時代ここに龍口刑場がありました!

幕府が日蓮を龍口で処刑しようとした時・・・
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人は目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人のお手紙)
信じるか信じないかはあなた次第 m(_ _)m

それから4年後、文永の役の翌年、降伏勧告状を携えたモンゴルの国使、杜世忠等5名が龍口刑場に連行されてきました。
元使塚とは、ここで処刑された彼らの供養塔の事!

江ノ島駅の踏切を渡り右に曲がると龍口寺。
道路を渡り、湘南江の島駅の先をさらに進むと・・・

龍口寺仏舎利塔の裏側、龍口山にぽっかり空いたトンネルから飛び出して来るのは、湘南モノレール!
間も無く終点湘南江の島駅です ^ ^

龍口山の麓、モノレール沿いにあるのが常立寺。
処刑された刑死者を弔う為に出来た寺で、今は日蓮宗ですが元は真言宗の寺。

しだれ梅の名所で毎年2月に「常立寺梅まつり」が行われています。

属国にならないと攻め込むぞ!
フビライ・ハーンは6度に渡り国書を送り恫喝しますが、鎌倉幕府は完全無視!
結局文永の役が勃発するわけです・・・
武士団は元軍に全く歯が立たず、絶体絶命のところに嵐が来て運良く助かった (~_~;)
子供の頃学校でそう習いましたが、実際は違う様です!

こちらの掲示板にも文永・弘安の役両方とも元軍を撃退できたのは台風のおかげ!
そう書いてあるわけですが・・・
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
そうした説が登場するのが神風特攻隊の誕生とほぼ時期を同じくする事を、一年前の記事で考察しました!

大モンゴル帝国に楯突いた小さな島国の小国日本が、征服されなかったのは全て台風のおかげ!
そんな歴史観が最近まで引き継がれたのは何故か?

日本の弓とモンゴルの弓を比較して見ると・・・
https://ncode.syosetu.com/n1045cf/40/
山林が多い複雑な地形では、近距離での貫通力に優れた和弓の方が有利だったのでは?
モンゴルの短弓に大鎧を貫通する威力はなく、無駄に弓を連射してしまったか?

文永の役の目的はモンゴル側の威力偵察という見方もありますが、元史日本伝には矢が無くなったので帰還したと書いてあります!
日本の武士団が想像以上に強く、戦いが長引けば大軍に取り囲まれる危険もあるし援軍も期待できない!

「今日はこれくらいにしといたるわぁ〜!」
その日のうちに船に戻り危険な夜中に出航 ( ◠‿◠ )
這う這うの体で逃げ帰ったというのが実状か?
https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2009/2009_11_0071.pdf

文永の役はモンゴル側だけでなく、日本側にとっても敵の戦法や攻撃力、弱点を探る為の情報収集行動だった可能性があると思います。
降伏勧告状を携えた国使を処刑したのはその為!
準備万端の状態で弘安の役に臨んだのだと思います。

絶望的な戦況の中、旧帝国陸海軍は “ 神風 ” にすがるしか無かった!
軍国主義の失敗と反省から、敗戦後平和主義が生まれましたが・・・
一方的に侵略された歴史まで自虐的に解釈するのは何故でしょうか?