
毎年1年間、干支に因んだ大絵馬が設置されています。
今年の絵馬は年内に撤収されますが、今だけ並んで設置中。

1249年まで、ここも寒川神社の分社でした・・・

平泉で自害した義経の首は鎌倉に送られますが・・・
社伝によるとその夜のうちに川を遡り、この地に辿り着いたといわれています。

川を遡り漂着した首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたそうです。
首が目を見開き、亀の背に乗り飛んできた (・_・)エッ
そんな伝承も庶民に伝わり信仰されていた様です (^^;;

判官贔屓の誰かが首を密かに持ち込み、祀った!
現代人なら、そう考える人も多いでしょうが・・・
真っ先に思い浮かぶ人物が、当時領主だった大庭景義!

石橋山で平家方に加担し、死罪を命じられた河村義秀を10年間匿い、流鏑馬神事で武士の面目を施せるよう、取り計らったのは大庭景義でしたね!
na-mannoeyelevel.hatenablog.com

画面中央を流れる川は引地川、その先に見える丘陵が大庭一族の本拠地大庭城。
画面右側に見える平地が藤沢市稲荷。
その上流には引地川親水公園が広がり・・・

その河岸段丘の上には大庭神社が鎮座!
なんだかとっても見窄らしい感じですが (^◇^;)
延喜式神名帳にも載っている、由緒正し神社です!
祭神は神皇産靈神!スクナビコナはその子供 (^.^)v

では、鎌倉党とは?
景という字を使用しているのが鎌倉党!
この系図では省略されていますが・・・
上杉謙信こと長尾景虎も先祖は鎌倉党!

今の藤沢市と茅ヶ崎市の大半は伊勢神宮の荘園で、景義の父大庭景宗が在地領主として管理していたのですが・・・

頼朝の父親、清和会河内組の源義朝が子分の三浦組や小田原の中村組を率いて侵犯!
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
結局大庭景宗は義朝の暴力に屈し、再び源氏の家来になったのでした・・・

暴力で東国をまとめた義朝ですが父為義とは不仲だったらしく、崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱に勝利した義朝が父親を処刑 (//∇//)
兄弟や叔父甥の殺し合いは珍しくありませんが、実の父親を手に掛けたのは義朝くらいか?

大庭景宗の息子景義景親兄弟は、義朝の郎党として保元の乱に参陣しますが・・・
鎮西八郎為朝の矢が兄景義の膝を砕き、戦働きが出来なくなった景義は弟景親に総領の座を譲り、隠居することになります。

東国を締めていた義朝が滅亡すると、清盛は東国のリーダーに大庭景親を指名します!
義朝一味と大庭一族の因縁を知っていた為か?

大庭一族としては暴力で屈服させられた源氏より、引き立ててくれた平家に御恩を感じ御奉公したということか?

引地川親水公園や大庭城址公園に比べるとこじんまりしていますが、昔の写真を見るとなかなか風情のある公園だった様です。

「稲荷」という地名があるのはこの神社があつたから!
今は鳥居も社殿も撤去され、許可なく立ち入ると逮捕されます!

これは大庭景親が平家の氏神、安芸の宮島の分霊を祀った厳島千人力弁天社の弁天橋。
柏山稲荷神社の敷地内に、後から建てられたと思われます。

“ 千人力弁天社 ” とは実にユニークな名前ですが・・・
「女人だけで社殿を建てよ」という龍神様のお告げがあり、女人千人をもって社殿を建築したとされます。
こちらは、有りし日の写真集です(^_^)