
11月3日は文化の日 d(^_^o)

室生神社の流鏑馬は “ 民 " の神事!

流鏑馬は2時からですが、電車が1時間に一本しかないもので (^^;;

駅近でお神輿に遭遇 (^.^)v
駅前広場で暫し休憩をとり、2時前に宮入りする様です。

まだ1時間以上あるので「ポッポ駅前屋」でアジイカフライ定食を食べていく事にします。
山北がなぜ鉄道の街なのか?興味のある方はこちら↓

山北町はイベントが盛り沢山 (^.^)v
今回は流鏑馬の取材ですが、15日のもみじ祭りでは猪肉と地元産の野菜をふんだんに使用した、しし鍋を約千人に提供!
「また来てね」女将さんに声をかけられ店を後にしました ^ ^

室生神社前の舗装道路全面に砂を撒き特設馬場にしています。
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
馬場に埒(らち)は無く、観客はガードレールの外側で見物するようです。

午後2時、馬場駆け開始!
馬を馬場にならす為騎乗者がハッピ姿で裸馬に乗り、2頭で馬場を走ります。

なんとも牧歌的な後ろ姿 ( ̄∇ ̄)
ところが・・・

普通の流鏑馬の“ 素馳せ”とは一味違う迫力 ( ̄∇ ̄)
裸馬の胴に白い紐を巻きつけあぶみにしていますね!

この後、騎乗者が正装に着替え神社拝殿前でお祓いを受けた後、流鏑馬始式!
先導役と射手役が重なってしまった (>_<)
2頭立てというのは極めてユニークです (^^;;

今度は上手くいきそう (^。^)v
平安後期、山北は秀郷流藤原氏の一族河村義秀が治めていましたが、源頼朝の挙兵の際は平家に味方!
捕縛され、領地没収の上死罪となる筈でしたが・・・

茅ヶ崎懐島の領主大庭景義のはからいで助命され、建久元年 (1190) 鶴岡八幡宮の流鏑馬神事で妙技を披露!
三尺(さんじゃく。笠懸)・手挟(たばさみ。四寸≒12センチ四方の的)・八的(やつまと。二町≒218メートルで8つの的を連射する)の全て的中!
罪を許され所領安堵御家人に取り立てられます ^ ^
※『吾妻鏡』建久元年(1190年)8月16日条

一族の多くは討死しますが、流鏑馬の技は農民達に継承されたそうです。
渋沢栄一の渋沢家の様に帰農した者もいたでしょう^^

応仁の乱以降戦いの主役は足軽雑兵となり流鏑馬も廃れますが、徳川将軍吉宗の時代に復活!
徳川将軍家の弓馬術礼法師範、小笠原流宗家が家伝書などをもとに、再興したのが今日の流鏑馬!

武田と小笠原は共に甲斐源氏の一族ですが、鎌倉時代には蝦夷と関係の深かった藤原秀郷の騎馬弓術が存在した様です!

普通の流鏑馬では、弓手と水平な近距離に的が設置されていますが、こちらの的がずっと高い位置に設置されているのは何故か?
遠くの的を射るには放物線軌道を計算する技術が必要!

河村義秀が頼朝に披露した “三尺" は、5杖から10杖(約11.35m - 22.7m)離れた三尺の高さの的を射る、遠笠懸(とおかさがけ)だった可能性があります!
あくまでも、推測に過ぎませんが (^_−☆