
一番有名なのは最終日の流鏑馬神事ですが、今回は15日に催される「神幸祭」をご紹介しますm(_ _)m

八幡宮の総本社は大分県の宇佐神宮でその分霊を京都に勧請したのが岩清水八幡宮。
その分霊を鎌倉に勧請したのが鶴岡八幡宮です m(_ _)m

右奥の神輿(菊)に神功皇后の御霊をお乗せし、氏子区域にお渡りいただくのが神幸祭 m(_ _)m

神輿の担ぎ手は平安時代から神人が着用する伝統的な装束、白丁(はくちょう)を着ています。
外国人の方もいらっしゃいますね ( ̄∇ ̄)

神幸に先立ち束帯姿の神職が上宮に参拝。
束帯の色は官位の違いを表していましたね!

この光景を見ると黒い束帯姿で左大臣昇進の儀式に臨む、源実朝の姿が目に浮かびます・・・
当日右の景色は無かったでしょうが (^_^;)
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上宮参拝を終えた神職は神輿に一礼、その場を立ち去ります。
神馬、錦旗、盾矛などの威儀物や、お供する供奉員(くぶいん)達は既に移動済み!

続いて応神天皇を乗せたお神輿が、静かに通過・・・
湘南担ぎだと「どっこいどっこい」の掛け声と共に、神輿を上下に揺らします。

お神輿は、揃いのハッピで威勢良く担ぐものだと思っていましたが・・・
こちらのお神輿は天皇の行幸を模した、岩清水八幡宮の神幸にならっている様です。

お神輿の起源は東大寺大仏建立の時、宇佐八幡大神を奈良へお迎えする時用いた神輿だという説もあります。
実はこちらの方が正統な担ぎ方?

鎌倉に勧請された時は既に神仏習合の神八幡大菩薩でしたが、こちらが江戸時代の祭礼行列の様子!

興味深いのは坂下御霊神社の奇祭面掛行列が、八幡宮で行われていた事!
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今の形になったのは、明治以降の様です。

お神輿が三基揃ったところで神幸に出発進行!
人混みを掻き分け平家池を迂回、行列の先頭を目指します!

八幡宮前にたどり着いた時には既に、最後尾の神功皇后のお神輿が三の鳥居を通過していました!
若宮大路を直進し最前列を目指します!

日本に馬が輸入されたのは応神天皇の時代。
ヤマトタケルの移動手段は船と徒歩でした。
倭に乗馬の風習が広まったのは、高句麗の騎馬軍団に惨敗した後と考えています。

『日本書紀』応神天皇15年の条にそう書いてありますが、初代征夷大将軍坂上田村麻呂は渡来人阿直岐の子孫 (・_・)エッ

応神天皇のお神輿に追いつきました!
馬の生産拠点は河内から東国へ (^.^)v
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先頭に追いつきました!
鶴岡八幡宮の例大祭は1187年に源頼朝が催した放生会と流鏑馬が起源とされます。

春の鎌倉まつり行列巡行の方が賑やかですが・・・

さてこの後二ノ鳥居前で鎌倉神楽の八乙女舞が地元の小学生によって奉仕された後、本宮に戻って還御祭が執行されます。
でも、疲れたので今回はパス (^_^;)

最終日には流鏑馬神事が執行されますが都合によりパス (^_^;)
10月7日の鶴岡八幡宮崇敬者大祭でも流鏑馬神事が執行されます。
予定が合えば行ってみます (^.^)v