
うなぎ?明月川?
ここは精進料理の店「鉢の木」でしたが・・・
鉢の木北鎌倉店は2022年7月に閉店!

でも隣の新館 ( 会席料理 ) は健在の様です (^.^)v
本店はかつて建長寺門前にありましたが・・・
今は建長寺直営の点心庵になっています。
「鉢の木」の店名由来は能の演目「鉢木」
五代執権北条時頼が出家して、諸国を行脚したという伝説が元ネタ!
浄瑠璃や歌舞伎にもなり、人気を博した様です (^.^)

「鎌倉殿の13人」で描かれたのは北条泰時まで。
北条の世はその後100年続くのです!
今回は五代執権北条時頼にスポットを当てます。

時頼の時代、この辺りには最明寺という大寺院が建っていました。

どれだけ大きかったか?
ヒントは明月院まで250m!

広大な敷地の割りに建物がちょっぴりしょぼい?

理由は明治初年に廃寺になった大寺院、禅興寺の支院の一つだったから!
明月院以外の伽藍は全て取り壊されたのです!
では、禅興寺と最明寺の関係は?

拝観料を払ってすぐ、橋を渡って左の方角へ。
下を流れているのが明月川!
明月川の北側が最明寺跡になります。

北条時頼は30歳で出家し、37歳で没するまで最明寺で暮らしましたが、何故か死の直後、最明寺は廃寺になっています!
息子時宗が後に禅興寺として再興しますが・・・

時頼は病気を患い、時宗が成人するまでという約束で義兄の北条長時に執権職を譲りますが・・・

その後、時頼の病状は回復!
実権を握り続けた様ですが・・・
亡くなった途端に最明寺は廃寺 (・_・)
誰の命令なのか、明らかだと思います!

時頼の死の翌年、長時も後を追う様に亡くなり、義時の五男で伊賀の方の生んだ北条政村が執権に就任。
元寇の際、采配を振るったのは実は政村?

母親の身分で後継が決まる時代、政子のツルの一声がなければ、泰時が執権になる事はなかったでしょう!

時頼が比企の血を引く大叔父の娘を正室したのはその為!
長時が早死にしなければ、お家騒動が勃発したかも?

七代執権政村は、伊賀氏の乱の時兄泰時に救われました。
伊賀の方は政子の命令で流罪になりましたが、息子の政村は泰時の計らいでお咎めなし!

時頼の諸国行脚は創作の可能性が高いですが、政村は時宗を支える事で、泰時の御恩に報いたのではないでしょうか?

鉢木の話なのに何で鰻食べてるんだ (*`∧´)/

明月川にまだ来た事なかったもので m(^_^;)m