
コロナ蔓延はおさまらず (−_−)
今回もブログ取材を自粛!
HDの蔵出し写真を中心にお送りします (^_−

関西の皆様は不本意でしょうが・・・
現在日本の首都は東京m(^_−)m
その原因を作ったのが徳川家康 (^-^;
東照大権現様でございますm(_ _)m

家康の死後、問題となったのは「神号」
明神(みょうじん)か権現(ごんげん)か?
結局、秀忠の裁定で「権現」に決まりました。

何権現にするか?朝廷にお伺いをたてると・・・
東照大権現、日本大権現、威霊大権現、東光大権現!
こんなんでました〜
幕府は東照大権現を選びました (^_^)v

奈良の枕詞「青丹よし」は赤と緑の彩色の事!
江戸時代初期の武家屋敷は皆キンピカだったそうです。
※青丹色は緑青色という説もあります。

日光東照宮には将軍や大名、公家から武士、庶民等多くの人が参詣に訪れ、参拝者が増えるに伴い、多くの案内書が刊行されました。

幕臣植田孟縉著の「日光山志」、江戸新橋で仕立屋を営んでいた竹村立義が著した「日光巡拝図誌」など。
東照大権現様は多くの人々に崇敬されていたようです。

維新政府は各地の権現を廃して記紀の神様に取り替え、江戸城紅葉山の東照宮は取り壊しましたが・・・
上野東照宮は取り壊さず、民衆に参詣を許可 (^-^;

明治政府の神祀官も、東照宮が人心鎮撫(じんしんちんぶ)に不可欠と認識していたようです。

日光東照宮ほどではありませんが、北関東には豪華絢爛金ピカ神社が多いです。
群馬県富岡市の貫前(ぬきさき)神社もそのひとつ (^_^)v

この辺りはかつて甘楽郡(伽羅郡)綾女庄といい、御祭神も養蚕機織の女神だったようですが7世紀中頃、物部氏改め石上部磯部氏が侵入!
近所に出雲の国譲りで活躍した、経津主神を祀ってしまいます!
経津主は物部の神なのか?

新任の出雲国造が天皇に対して奏上する「出雲国造神賀詞」によると、
アメノホヒの息子アメノヒナトリがフツヌシを従え葦原中津国を平定!
記紀で言っている事と全然違いますね (・_・)エッ

香取神宮の祭神も経津主で、別名斎主大神(いわいぬしのおおかみ)
齋部広成が書いた「古語拾遺」によると、忌部氏の祖天太玉命は高皇産霊尊の子で、その配下筑紫忌部の祖の天目一箇命は、鍛冶神だそうです。
フツヌシは刀剣の神でしたね ( ◠_◠ )

鹿島神宮の祭神、武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)は神武天皇の子孫、多氏(おおし)の氏神。多氏は「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、古事記の編者太安万侶も多氏の一族。
事代主は母方の祖神になりますm(_ _)m

巷では「記紀」と言いますが、日本書紀は藤原不比等の指揮の元編纂された国史。
古事記は多氏、古語拾遺は忌部氏、先代旧辞本記は物部氏の家伝書と考えた方が良いのではないかと思います。
あくまで個人の意見ですが m(_ _)m