カナリヤです。今回はインディーロックバンド「downy」が2025年3月に発表されたアルバム「第八作品集『無題』」への僕個人の感慨を書いてみます。だいぶ感情に任せた内容になっているのはご容赦ください。それでは始めます。
「第八作品集『無題』」は結成25周年を迎えたインディーロックバンド「downy」が前作からおよそ5年ぶりに発表したアルバム。アルバムのアートワークは『攻殻機動隊 SAC_2045』のキャラクターデザインを務めたロシア出身のイラストレーターであるイリヤ・クブシノブ氏を起用している。
2022年に3ヶ月連続で発表されたシングル「枯渇」「叢雨」「喘鳴」も収録された今作(「喘鳴」は未発表曲「紙の朝」とともにフィジカル版にのみ収録)はそれぞれパートのリズムの取り方が異なる「日蝕」やdownyらしい刺すような、いやむしろ叩き潰すようなサウンドで圧倒する「foundyou」、先述の破壊的なイントロが特徴の「枯渇」「叢雨」など含め実験的な音楽を模索し続けてきたdownyに相応しい作品ではあるが、そのなかで唯一と言ってもいい程今作で異彩を放つ楽曲が収録されている。
「Night Crawlin'」優しく響くカッティングギターの音色、穏やかな海の静寂にも、荒々しい海鳴りにも聴こえるサウンドスケープが絶えずループしながら徐々に苛烈さを帯びていき楽曲が形作られていく。青木ロビン氏の不明瞭だがメロディアスなボーカルが相まって、感情に訴えかけるような極めてメランコリックな曲に仕上がっている。ボーカルの情感溢れるループとともに唐突に、いっそ残酷に映るくらいにあっけなく終わる様はまるで考察を促す映画のようだと思った。
本作発表に際したインタビューによれば、この曲は成人を機に家を出る息子への思いを込めた曲なのだという。バンド結成からこれまでの25年で特定の誰かに宛てて曲を作ったことはないと語る青木ロビン氏は周囲の勧めもあってこの曲を作り、そしてメンバーとの試行錯誤、幾多のセッションを経て完成させたのだとか。
そのエピソードでどうしても想起せざるを得ないのは2020年11月に開催された彼らの生配信ライブ「雨曝しの月」だ。未曾有のパンデミックによりライブ活動の自粛を余儀なくされた彼ら。観客制限やマスク着用など様々な配慮をしながらのライブはこの年唯一のライブだった。僕は残念ながら現地には赴けず配信による試聴ではあったが常にセッションを繰り返し楽曲の質を練り上げ高めあっていく彼らの姿を画面越しとは言え味わうことが出来たのはまさしく僥倖と言えるものだった。
このライブで披露された楽曲のなかで「下弦の月」という曲のアレンジVer.がある。配信ライブという特異性、アコースティックVer.という珍しさ、そしてバンドのリーダーである青木ロビン氏が急逝したメンバー青木裕氏への思いを語った後に演奏されたこともあってこのライブにおける最も印象深いシーンだったことは間違いない。
しかし配信後にこのライブの模様が映像化された作品「雨曝しの月を見ている」では「下弦の月」はおろか青木裕氏に言及した青木ロビン氏のMCも音源化されず丸々カットされている。その理由をメンバーによる副音声で配信された「雨曝しの月を見ているを見ている」で青木ロビン氏が語っている。
曰く、アコースティックVer.の下弦の月はコロナ禍にも関わらず会場に来てくれた、そして配信を観ている人のために急遽披露された、いわばサービスのようなもので本来予定にはなかった、かつ青木ロビン氏一人による弾き語りはdownyというバンドの名を冠した作品として残すべきではないと判断したのだという。急逝した青木裕氏への追悼の意味を込めたであろう「下弦の月」を青木ロビン氏はその感傷に必要以上に浸ることを良しとしなかった、ということだったのかもしれない。青木ロビン氏の頭のなかにある断片的な曲の構成。打ち込みではなくあえて生身の演奏で形作っていくことで独特の鋭さを演出していく。そこにあるのは情感ではなく孤高に美しい音像を作るという意思のみ。downyは曲作りへの妥協は一切ないのだろうし、そんな彼らを彼ららしいと思えるのは僕だけではないはずだ。
そして副音声ではこうも語っている。いつか新曲でこの夜の下弦の月のような曲を作れればいい、と。それはこの「Night Crawlin'」のことなのではないか、とあの夜に酔いしれた僕は勘ぐってしまうのだ。
青木ロビン氏は本作発表のインタビューでこれが最後の作品になるかもしれないという思いを口にしている。前作「第七作品集『無題』」から5年。青木裕氏逝去後に正式加入したサンプラーのSUNNOVA氏が持病を悪化させて離脱したことを含め、自身やメンバーの体力的に今後アルバムを発表できる時間があるのか分からないのだという。だからこそ、これが最後なのであればやれることは全部やろう、悲壮感めいたものではなく、あくまでも聴く人をして一瞬で打ちのめすような音楽を追い求めるその純粋性に則った感情の発露。
これは僕個人の考えではあるが、本作はまとまりに欠ける作品だと思っている。一貫性はなくどの曲も別々の方角を向いてるように思える。圧倒的な物量で押し潰されることは、作品全体の収まりの良さを是とすることとはまったく異なる快感だ。パイプの漏水のようにあちこちで勝手に噴出するような、コントロールできない精神のほとばしり。だからこそ先述の「Night Crawlin'」のような彼ららしくないメランコリックさを前面に押し出したような曲もあれば、「断層ジャズ」や「spectrum」といった彼ららしいただただ尖り切ることを至上命題とするようなえげつないリフをぶちかます曲を挿入してくる。アルバムコンセプトなど関係なくただひたすらに好き勝手に荒れ狂う、そんなゆらゆらと掴みどころのない様を見せつつ、楽曲自体は凄まじく強度のある曲を繰り出してはこちらを圧倒してくるこの無邪気な自由さは結成25年を迎えたバンドとはとても思えない。でもそれが、こちらを振り回すような様が僕は美しく思えてならないのだ。
彼らの25年の集大成は冷たく、熱く、機械のように、正確で緻密で、生命の息吹のように荒々しく蠢いている。
5年前の「下弦の月」のアレンジに対してクオリティは認めつつも「これはdownyではない」と冷静に判断するバンドとしての矜持、確固たる芯を垣間見た瞬間、そのアーティスティックな姿勢は楽曲から抱く彼らのイメージそのものだった。その孤高さは彼らにとって最大の武器であり、同時に彼らを縛る枷でもあったのではないか。downyとはこうであってほしい。こうでなくてはならない。彼らを彼らたらしめるのはいつだって彼らの残した足跡による。しかし「Night Crawlin'」で見せたその優しい音色からは特有の不穏さも、混沌さも感じさせず、ひたすらに旅路の無事を願う叙情的な感情のみ。
僕は今作でこの曲が最も好きだ。バンドサウンドを武器としながらもそれを突き詰めたが故の機械的な美しさが特徴のdownyというバンドらしさは随所に感じさせつつも、けれど感情に彩られた人間そのものを描いたようなこの曲が僕はたまらなく好きなのだ。彼らの枷を取り払うのではない、枷を昇華させたのではないか。「Night Crawlin'」のメロディへのもの珍しさ、そこに「downyらしさ」をひねくらせ、練り上げ、「downy」という意味を肉付けしていく。だからこそ、これまでアルバムジャケットには抽象画を採用し続けてきたdownyがここにきて1st以来となる明確な「人間」を採用したのではないか。
5年前に1度聴いただけのアレンジ。暗く深く荘厳な情景はやけに鮮明に覚えているけれど、時間とともに僕の記憶からどんどん薄れていく。この「downyらしくないdowny」はきっと、あの日の下弦の月だった。
downyの新たな一面という可能性、それは息子の旅立ちや最後のアルバムになるかもという思い、様々な要素が重なっての偶発的なものだったのかもしれない。それでもこの叙情的な苛烈さが最後とは思いたくない。いちリスナーの我儘だと分かっていても彼らがこれよりも強く、優しく暴れ回るのをずっとずっと聴いていたいと思う感情は抑えられない。
願わくば、そう遠くない未来に「第九作品集『無題』」を楽しめる日が来ればいいと、そう無邪気に思えてならないのだ。
8thアルバム「第八作品集『無題』」
収録曲
- 日蝕
- 剥離の窓
- foundyou
- 朔
- Night Crawlin'
- 断層ジャズ
- 枯渇
- spectrum
- 錯覚。それは眩しい
- Edge_Swing
- 叢雨
- 喘鳴 (フィジカルのみ収録)
- 紙の朝 (フィジカルのみ収録)