
23日(木)午後からは習字の教室に出かけた。「妾御績紡 侍巾帷房」(ショウギョセキボウ ジキンイボウ)の後半部を書いた。意味は「侍女が寝室を掃除する」。「巾」は布布のことで、ここでは雑巾のこと。「帷」は寝室を仕切る幕、帷子のこと。
二週間前の習字の教室のあと、上島珈琲店に立ち寄った。その時に携帯のイヤホンを無くしたのではないかと思って、お店の人に尋ねてみた。ムーミン村のミーちゃんを括り付けていたので、私のものとわかる。コーヒを飲んでいると、しばらくしてお店の人がイヤホンを持ってきてくれた。手元にイヤホンが戻ってきた。平和な日本だからか? ありがたいこと。
韓ドラ「イ・サン」全77話を見終えた。朝鮮王朝の時代に国王が如何に権威を持ち、それゆえに絶えず「暗殺」の危機に晒されていた。さらには、国王の政策に反対する派閥は絶えず、画策を練り、国王を貶めてきた。最後ようやく、そうしてグループは処罰を受けることになる勧善懲悪の物語で、その隙間に人間的な愛情の物語を通して身分制度や国王と民衆との関係が挟まれる。韓国語の勉強を初めて、何本かの韓ドラ「宮廷物語」をみてきたが、ストーリの展開は見えてきた。「大王世宗」は86話で、4代目国王世宗の物語だった。「イ・サン」は22代目国王。それぞれが朝鮮王朝時代に成した業績については、フィクションも交えて歴史が語られていたので、興味深かった。だが、国王からの視点よりは、「チャングムの誓い」や「ホジュン〜宮廷移管への道」の方がずっと見応えがあった。
ケープタウンの友人から、ゾイ・ウィカムの追悼文が送られてきた。一つは南アフリカのジャーナリストMark Mark Gevisser、もう一つはDesiree Lewisの追悼文だった。Desireeとは1994年にUniversity of Western Cape (UWC)で出会った。Bessie Headなどの共通する南アフリカ女性作家やフェミニズムへの関心があった。2006年から2007年までサバティカルで、ケープタウン大学に行っていた間、デズリーの研究室を借りて、UWCにも自由に出入りさせてもらった。いろんな事件があったが、そのことは別の機会に。デズリーは、大学時代にゾイ・ウィカムの指導も受けたのだと思うが、デズリーもゾイも「人種」「カラード」に対する従来の考え方には疑義を抱き、新たな方向性を模索してきた。南アフリカの作家ベッシー・ヘッドが「カラード」とは何かを追求し続けたと同じように。私自身、2010年に出版した『わたしの南アフリカ』には、ゾイ・ウィカムの「『光のなかで戯れる」における語り」と題した長いエッセイを書いている。何を書いたか、すっかり忘れていたが、今読み返すと、作品の内容を細かく紹介して、「人種アイデンティティ」の問題を考察していた。最初の1ページの光景がなんとよく知る友人のマンションの一室だった。後で知ったことだが、ゾイとは従姉妹だった。友人の家にはよく遊びに行っていたので、作品に現れる場面、置物までもが目の前に浮かんでくるほどでびっくりしたのはよく覚えている。作品に登場する場所は全て網羅できたのも、ケープタウンが舞台だったからかもしれない。主人公が出自を調べる旅に出たのだが、その場所へも偶然に行くことができた。ケープタウンから200キロ離れたクランウィリアム、さらにセダーバーグの山道を超えてウッパータールまで旅をした。まるで、作品の世界にいるような感覚で旅をしたことをよく覚えている。

フジバカマが咲いた。秋の七草の一つだが、随分前に絶滅危惧種だと聞いた記憶があるが・・・
確かに河原や野原などでは見かけなくなった花で、何年か前に、「大事に育ててください」というので、下鴨神社で買ったような記憶がある。こんなに背が高くなるまで、伸ばしたことはないが。とてもいい香りがする。とても優しいお花。
山上憶良が詠んだ歌。「秋の野に 咲きたる花を指折り かき数ふれば七草の花」の続きに、「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」とある。