29日(木)あっという間に時間が過ぎていく。大量のT-シャツの処分に、またもや寝巻きや部屋着を作った。作るのが楽しい。ユニクロのT-シャツは安いので、毎年何枚も買っているうちに、各色何枚もたまってしまった結果。捨てるに捨てられず、雑巾と袋ばかり作ってるわけにはいかない。素材の綿製品は着心地がいいので、部屋着に縫い直すことで、多少の罪悪感から救われる。

朝の6時ごろにメールが入った。”Our friend Ngugi has sailed away.”と。 Facebookを見ると、グギさんの娘さんが、グギさんが亡くなり、詳しくは兄から近々報告があると書いていた。87歳だった。グギさんは何度もノーベル文学賞の候補者として名前が上がっていたが、その賞をもらうことはなかった。1977年に、ケニアで、グギさんに初めてお会いして以来、家族ぐるみの長いおつきあいがあった。ジンバブエ、南アフリカ、ガーナー、イギリス、アメリカ、日本でお会いした。私は、グギさんの作品に出会わなかったら、アフリカ文学研究を続けてこれたかどうかはわからない。私の人生にも大きな影響を与えてくれた人が、この世からいなくなったのは、とても寂しい。
韓国語を勉強するきっかけを与えてくれたのは、グギさんだったかもしれない。1977年にグギさんにナイロビ大学で初めてお会いした時、金芝河の長編詩『五賊』への関心があり、色々と質問された。アフリカを知る前に、お膝元のアジアを知れと言われたように思った。そのお陰で冨山妙子さんの「金芝河の詩によせて」(スライド作品)との出会いがあった。グギさんは、金芝河の『五賊』のような作品『十字架の上の悪魔』を書き、2013年に韓国の朴景利文学賞を受賞した。その前に、1992年に私たちのアフリカ文学研究会とウリ文化研究所の共催で「わたしたちと第三世界ーアジア・アフリカ文学者会議」を京都精華大学で開催した。ウリ文化研究所は梁民基さんが主催されていた。韓国から作家や舞台芸術家や美術家が、そして在日韓国の人たちが参加。今思い出すと、何度か韓国語を学ぶ機会があり、それに挑戦しながらも、挫折していた。今日、グギさんが私にアフリカとアジアを繋げてくれたことを思い出した。しっかりと韓国語を学ばなければと誓った。