
27日(木)午後からはお習字のお稽古に出かけた。
「陳根委翳 落葉飄颻(チンコンイエイ ラクヨウヒョウヨウ)」の後半部を書いた。意味は「落ち葉は散って風のままに舞っている」。漢字からもその雰囲気は理解できる。ここ何十年と、文字を鉛筆でもボールペンでも書かなくなり、キーボードで打てば、漢字出てくるので、選択するだけとなった。漢字がどういう意味なのかを考えることも無くなった。唯一、月2回のお習字で、一文字づつと向かう機会があることに感謝。
28日(金)2月最後の日となった。あっという間に2月が終わる。午前中、北野神社の梅を観に行った。家の前から、46番のバスに乗り千本今出川まで行く。そこからバス2駅を歩き、北野神社に。25日の縁日とは違い、人出は少ないが、それでも修学旅行か遠足かで中学生などが大勢来ていた。梅はようやく咲き始めたようで、満開までにはまだまだ先だが、蕾をたくさんつけていた。

机の前にコンピュータとテレビがある。テレビはつけっぱなしなので、なんとなく日本や世界で起こっていることが知れる。コンピュータでは、韓国語を学んだり、フランス語のニュースをみたり、Facebookで友人たちのメッセージを読んだりと、なんとなく社会と繋がっていると錯覚する。コロナの時からずっとそうだ。できるだけ、家から外に出ていこうと思う。
一戸建ての家に住む老婦婦が襲われているだけでなく、マンション住まいの老夫婦も襲われている。私の携帯電話に、何度も非通知電話がかかり、「仕事があります」とメッセージが残されている。私は非通知電話を取らないことにしている。また、メールに「あなたに遺贈された大金が銀行に残っています。手続きをして受け取ってください」というもの。あり得ない話だ。こんな話に乗って、大金を失ったという短編小説を書いた作家がいた。大笑いしたが、「大金」につられた人情の哀れを語っていた。だが、現実には、こうした偽の情報で人を騙したり、老夫婦を狙ってお金を奪ったりする世情だ。
AI法が閣議決定したようだ。「AIによって国民の権利や利益が侵害される重大事案が起きた際に、国が開発事業者らを調査できるようにする法案」だという。悪影響に対応した狙いがある。だが、AIそのものを教育の場に持ち込むとか、ネット上でAI情報を垂れ流しにすること等を問題視しない。問題が起こった時の処置だ。AI情報は過去に蓄積された情報だけを扱う。「情報」とならない事項は無視される。情報量に地域偏重がある。未来の展望もない。99人が賛成していても、1人の反対意見が何年か先に正しくなるかもしれない。そんな少数の意見は無視される。AIは、これまでに語られてきた多くの考えの中から、1つだけを選び出し、決定づける。それが恐ろしい。日々考え続ける人びとの思考プロセスが欠落していく。AIに答えを出してもらって、思考し続ける人間であることをやめるのだろうか。