20日(金)午後からはフランス語の授業。財布を忘れて家を出た。財布がなければ、不安な気持ちになるので、取りに帰った。不思議なところにしまっていた。どうしたの?と思ったが。財布と家の鍵と敬老乗車券の3点セットは一つの小さなバックに入れてある。できるだけ、一月に一度はバックを交換するようにしている。財布を取り出したのは、銀行のカード番号を見る必要があったからだと思い出した。そしてそのまま、無意識のうちに銀行関係の書類がしまってあるところに入れたようだ。習慣となっている無意識の行動は、そろそろ恐ろしいと思った。
そのために、いつものバスには乗れなかったので、コースを変えた。バスはほぼ時刻通りにくる。私の選択は2コースあったが、20分間はバスがこないことがわかっていたので、2駅先の別のルートのバスに乗るために、5〜6分、河原を歩き始めた。堀川通りを下っていくので、四条堀川でバスを降り、四条通りを西に京都外大まで乗った。いつもは、烏丸通りを下り、地下鉄に乗り換え、12〜3分歩くコースか、今宮神社を通り、千本通りを下って、四条大宮でバスを乗り換え、京都外大に行くコース。京都は碁盤の目のように東西南北に通りがあるので、どのコースでも距離的には同じなのだが、車の混み具合で変わってくる。特に四条通りは混雑する。千本通りも堀川通りもバス停の距離が短いので時間がかかる。結局は、いつものように1時間近くかかってしまった。
フランス語の授業は今年最後となった。エディット・ピアフの「私の回転木馬」を歌い、イブ・モンタンが歌った「私の回転木馬」も聞いた。同じシャンソンなのに、歌手によって全く異なる曲になっていたことに驚いた。シャンソンが人びとの日常に溶け込んでいるのを感じた。
最近も、知らない人から私の携帯電話にかかってくる。絶対に取らないことにしている。その電話番号をネットで調べると大体が不審電話とでている。そして銀行やカード会社を名乗る偽メールがくる。こうしたことが日常生活の中にあるのがとても嫌なことだ。あちこちで老人家庭に押し入り、強盗殺人事件が起こっている。日本の家屋は障子で玄関戸は開けっぱなしで、安全な地域社会だった。それがいつ強盗に入られ、殺害されて、放火されるかもしれない。隣人は誰が住むか知らない地域社会になっている。なんだか悲しい。
22日(日)大原の朝市に出かけた。雪の予想があったが、なんとか持ち堪えた。お花屋さんがきていた。少し早いが、お正月用のお花を購入した。松、千両、菊が定番。入れ方もそう変わらない。年賀状を「出すか、出さないか」と議論がある。年賀状ハガキが値上がりしたので、辞める人が増えるだろうという。SNS やLineやXなどで、ハガキの不要論がある。一年に一度であれ、あらたまった気持ちで、無事一年を過ごした日々を伝えてくれるお便りは嬉しい。一年に一度であれ、思い出してくれるお便りは嬉しい。そうであるので、こちらも応えたいと思う。高齢になり、そうしたことに煩わされたくなれば、やめればいい。どうだ、こうだという議論は鬱陶しい。

毎日新聞が、国民民主党の玉木雄一郎衆議院議員が代表職3ヶ月役職停止処分を受けたにもかかわらず、「テレビ出演や公演活動を精力的にこなし、ネット交流サービス(SNS)で情報発信すれば注目を集める。」是非について報道していた。私自身もどうかと驚いた。メディアに出て、国民民主党が提案した年収「103万円の壁」議論に意見を述べている玉木氏を見るのは不愉快だった。「国民民主党党首停止」期間中であるにもかかわらず、まるで「国民民主党首」として発言している。「不倫問題」は、男性にとって、「職務一時停止」=謹慎処分で済まされるのだろうか、「正直に認めて、謹慎すれば許される」のだろうか。芸能人は徹底的に私的生活を破綻させるまで「世間」は許さない。皇室の人たちも同じだ。私は玉木雄一郎の私的生活を破綻させるまで追求せよとは言わない。だが玉木雄一郎が「事実を事実と認めて、反省した。家族にも許された」ということだけで、「国民党代表停止3ヶ月処分」だけで、済まされるのだろうかと思う。「女性の不倫」は許されず、「男性の不倫」は許されるというのが、腑に落ちない。どこに違いがあるのだろうか。こんな無神経な玉木氏を「役職停止」だけでいいのだろうか。「役職」が抜けただけで、普通以上にあちこちで「政治活動」をしている。