
私の中では猪木の神というのは7万人を集めたドームでの引退試合で区切りであって、その後好き勝手にやっとている今の猪木は、長年のダメージから頭大丈夫かというような気がする。
確か去年。参院選挙で鶴岡に突然来ていたなぁ。
5位と6位で盛り上がりもどうかと思ったら、やはり腐っても巨人。15000人入りました。
6月28日に青森・弘前市の「はるか夢球場」で楽天・オリックス戦が行われる。青森県でプロ野球公式戦が開催されるのは、1988年以来、29年ぶり。長い空白の時を経て実現にこぎ着けたのには、葛西憲之・弘前市長(70)の強い思いと周到な準備があった。
「ようやく29年ぶりに1軍の公式戦を青森で開催できる。一流のプレー、迫力のあるプレーを子供たちに見てもらえる」と悲願実現を目前にした葛西市長は静かに語った。2010年に市長に就任、2期目となる14年にプロ野球の試合の誘致、球場の改修を公約に掲げて再選を果たしてから、その動きは一段と加速した。
すぐさま市役所にプロジェクトチームを設置し、15年には元日本ハムで楽天ジュニアコーチを務めていた今関勝さん(46)を文化スポーツ振興課の職員として採用。「弘前市プロ野球公式戦誘致実行委員会」を設立し、実現に動いた。
それでも、なぜ29年間、青森県では公式戦を開催できなかったのか。一言で言えば、1軍戦が開催できる規模の球場がなかったからということになる。88年に最後に公式戦が行われた青森県営球場(青森市)は、67年完成。老朽化に伴い、90年に入り青森県は隣接する場所に、プロ野球の1軍戦が行える新球場の建設を目指した。93年に建設が始まったが、翌年、建設予定地から縄文時代の遺跡が見つかったことで急転した。当初から遺跡があることは知られていたが、発見されたのが「大型堀立柱建物跡」という世界でも類をみない大規模な遺跡だったため、保存の声が高まり、94年8月に青森県は球場の建設を断念した。その時に青森県庁の公園整備推進室長として、問題処理に当たったのが葛西市長だった。
「(遺跡発見の時は)一塁側スタンドがほぼできた状態でした。本当に大変な状況でした。でも、そのときに思ったのが遺跡は1回壊したら作れなくなる。野球場はまた作れるということでした。逆転の発想ですね。遺跡を中心とした公園として、遺跡を保存活用することにしました」。そこが現在、三内丸山遺跡になっている。その後、新総合運動公園の建設は場所を変えて進められたが、球場の整備計画は白紙になり、現在に至っている。
三内丸山遺跡は貴重な観光スポットにもなっており、当時の決断に後悔はないが、葛西市長には心残りもあったという。「青森県でプロ野球をずっと見られていないなという思い、心の中で燃えさかっていたものがずっとありました。ライフワークとしてやらなければいけないのではと…。1つのモチベーションにはなっていますね」。
今回の総改修費は28億1000万円。それでも弘前市の実質負担は約5億3000万円だという。「運動公園が防災拠点になっているのです」と葛西市長は説明した。弘前市は青森県から原子力災害発生時に、避難者の受け入れを要請されており、横浜町からの約5000人の受け入れ場所を運動公園で担う。それによって交付される国の補助事業である社会資本整備総合交付金などを活用して、負担を圧縮した。
さらに維持費も抑えた。プロ野球のナイター開催はバッテリー間の照明が2500ルクス以上の明るさが必要とされる。「それを基準にして電力量を契約したら年間の電気料は相当なものになる。そこで試合があるときにだけ発電機を使用することにしました。年間700万円の削減ができます」と知恵を振り絞った。
新しい球場のテーマは「市民が憩えるボールパーク」。そのために様々な意見を取り入れた。2010年に“プロ野球仕様”に大改修した“先輩”の福島・郡山市の開成山野球場を始め、各地の球場を視察。中でも広島・マツダスタジアムを訪問の際には、広島カープの松田元オーナーに面会し意見交換。弘前に招待しアドバイスを聞いたという。
両翼93メートル、中堅120メートルのグラウンドを、両翼100メートル、中堅122メートルに拡張し、人工芝化。外野スタンドにはジョギングコースを整備し、照明灯は「津軽三味線のバチ」をイメージし、岩木山をモチーフにしたメーンスタンドを建設するなど、弘前らしさを織り交ぜた。
「実現不可能なプロジェクトでも“逆転の発想”で成功に導けると思っています」と葛西市長。女子ソフトボールの東アジアカップの誘致に成功し、今夏の高校野球の青森大会の準決勝、決勝を行うことも決まった。「今後も誘致を継続してやっていきます」。弘前市民だけではなく青森県民の念願が叶う「6・28」も葛西市長にとってはゴールではない。(コンテンツ編集部・高柳 義人)