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「こういう時こそやってよかった」あの時、新日本プロレス

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 昨日は新日本プロレス旗揚げ記念日。
 昭和47年3月6日、大田区体育館にて旗揚げしました。
 写真上は旗揚げ時のライオンマーク。真ん中が現在の。
 このマークは故・山本小鉄さんが考案したんです。
http://blog.livedoor.jp/ryosijj/archives/51731773.html
新日本プロレスと聞いて、真っ先に思い出す“マーク”はなあに?
そう、あの真ん丸の輪に囲まれた力強きライオンマークだ。
旗揚げから現在まで、新日本に籍を置き、道場にも顔を出し続ける
唯一のスタッフだからこそ言える秘話を、東京スポーツで大披露。
ライオンマークは、山本小鉄さんが考え出した!
東京スポーツでは現在山本小鉄さんの自叙伝「山本小鉄 鬼乃自白(おにのじはく)」が
毎週月曜から木曜日に連載中。今週はデビューから新日本黎明期までを語らっており、
水曜日は旗揚げ前夜にスポットライトが。その中で道場にまつわる逸話も出てくる訳ですが…。

 日プロを飛び出したものの、何の準備もしていなかった。
 まず道場がない。そこで世田谷区野毛にあった猪木さんの家を使うことになった。猪木さんに出て行ってもらって、庭に道場を作り、母屋を合宿所にした。突貫工事で、翌年の1月には完成というスピードだった。(6月23日付け東京スポーツ
世田谷は閑静な住宅街にある新日本プロレス野毛道場。そのちょっと場違いな感もある立地は、
元々アントニオ猪木氏の自宅であったからというのは有名ですが、
もともとアントニオ猪木氏の自宅だったということは知っていましたが、
「猪木さんに出て行ってもらって」! 小鉄さん強いッス!
アントニオ猪木自伝では自ら道場として提供したようなことが書いてあったけど、どうだっただろう。
まあ、細かいことは関係ない。小鉄さんが正義だ。小鉄さんがルールだ!

旗揚げ当時から変わらないといえば、道場、団体名と並び称される、あのトレードマークに関する逸話も。
荘厳なる獅子の証、いわゆるひとつのライオンマークです。

 日プロは王冠マークだった。「あんなマークに負けるもんか」という意地があり、ひとつのイメージがひらめいた。
「そうか、戦いだから百獣の王ライオンだ」
 デザイナーに「ライオンでもあまり怖くなく、漫画チックでもないものを」と頼み、そして「NEW JAPAN PROWRESTLING」と「KING OF SPORTS」の文字を入れて仕上げた。(同上)
こちらも知る人ぞ知る逸話ですが、ライオンにしようと提案したのは小鉄さん
(ラフ画のような下絵まで描いたとの説もある)。
クラシックコンサートのパンフレットを参考に当時はモノクロ単色。
その後、赤と青と黄色を配色した原色豊かなものとなり、
2000年前後からは黒を取り入れた現在のシャープな配色に。

今では社内エントランスや、会見場となる大会議室にも大きくデザインされ、
新日本といえばライオンマーク、ライオンマークといえば新日本となっているのは周知の通り。
アメトーーク」をはじめとするプロレス好き芸人さんたちの積極的露出、
はたまた新北京プロレス日本上陸により「プロレス」を象徴するシンボルにもなっている?
(あ、「
TRICK」のこれは知らなかった…)

最近ではツイッターでのアイコン効果により「愛嬌」すら出てきています。
旗揚げの1972年から約38年間ものあいだ、変わらずひとつのトレードマークが愛されてるというのは
老舗・広島東洋カープの「カープ坊や」でも1975年生まれと、
他のプロスポーツでもなかなかないこと。感慨深い。改めて小鉄さん、ありがとう!
(ちなみに阪神タイガースの「虎」が1935年、読売ジャイアンツの「YG」マークが1953年生まれ)。

 前振りが長くなったが、今、「新日本プロレス、V字回復の秘密」を読んでいて、この震災が転機になったそうです。

 震災当日はライバル全日本は塩釜でしたかで震災に遭遇し、3日間ほど足止めされました。
 かたや新日本は休みで、明日土曜日の興行に備え、グッズをトラックに積んでいる最中に起きたそうです。当然興行は中止。その後何日かして、どうしても外せない大会がありました。
 こんな時にやって不謹慎ではという思いは頭にありましたが、いざ強行するとどっかんどっかん爆発。「よくやってくれた」という声があちこちから。

 テレビもあらゆるメディアも震災一色。イベントも中止が相次いだ中で開催したこと、特にプロレスは、打たれてもどん底から這い上がって勝つという単純さが受けたこと。

 たしか阪神大震災の時も、ノーテレビ・無料で大阪府立で全日本が開催した時も満員だったと記憶している。

 ものの援助はどんどん来ているが、こうしたつかの間の「震災を忘れさせてくれる時間を与えてくれるイベント」が、あの時は喜ばれていた気がします。

 というわけで、今週はあの時の思い出をひねってお送りします。



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